ニュースなどで「公安組織が特定の団体を監視している」という言葉を耳にすることがありますよね。あるいは、世間を騒がせる凶悪事件が起きた際、「なぜあの人物を事前にマークしておけなかったのか」という疑問を抱く方も多いはずです。
「疑わしきは罰せず」という法の大原則がある一方で、なぜ国家は「まだ何もしていない(かもしれない)」人々を監視できるのか。そして他方で、なぜ再犯を繰り返す「累犯者」をあらかじめ隔離・監視し続けることは難しいのか。
今回は、日本の公安活動と刑事司法の舞台裏にある「論理と限界」について、皆さんと一緒に整理していきたいと思います。
公安組織による監視制度
まず、日本において「危険な組織や人物」を監視している実例から見ていきましょう。主な主役は、警察庁・警視庁・各道府県警に所属する「公安警察」と、法務省の外局である「公安調査庁」です。
現在、国が公に監視対象としている代表例には、地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教の派生団体(アレフ、ひかりの輪など)や、過激な暴力革命を肯定する極左暴力集団、さらには国際テロ組織や外国のスパイ勢力が含まれます。
ここで一つの疑問が浮かびます。近代法の鉄則は「疑わしきは罰せず」であり、罪を犯していない段階で人を裁くことはできません。それなのに、なぜ「監視」という自由を制限するような行為が許されるのでしょうか。
その答えは、警察活動には二つの異なる目的があるからです。
一つは、事件が起きた後に犯人を捕まえる「司法警察(刑事)」の役割。こちらは「過去」を裁くため、厳格な証拠と「疑わしきは罰せず」の原則が適用されます。 もう一つは、事件が起きる前に社会の安全を守る「行政警察(公安)」の役割です。こちらは「未来」の危険を回避することが目的です。
公安組織が監視を行う判断基準は、単なる「怪しい」という直感ではありません。その組織が掲げる教義や活動方針の中に、民主主義を暴力で破壊しようとする意思があるか、あるいは過去に無差別テロを起こした体質を引き継いでいるかといった「組織的な危険性」を重視します。
これは「戦う民主主義」という考え方に基づいています。自由を保障する民主主義社会であっても、その自由を悪用して社会そのものを壊そうとする勢力に対しては、無防備であってはならない。そのための最小限の防衛策が、現在の「監視」という仕組みなのです。
累犯者への監視はできないのか
さて、視点を「組織」から「個人」に移してみましょう。 皆さんの中には、「過去に何度も犯罪を繰り返している累犯者こそ、高い確率でまた事件を起こすのだから、公安のように24時間監視すべきではないか」と考える方もいらっしゃるでしょう。これは防犯効率の面から見れば、非常に合理的な推測です。
ストーカー対策規制法は若干上記の現実的懸念ないし危険性を受け容れた法律になっていますが、この法律と行政措置(警告と禁止命令など)があってもなお不幸な事件は発生していることは、ときおり報道で見聞きするところです。
しかし、現実には出所した個人を警察が常にマークし続けることは、極めて困難です。それには「法」「制度」「リソース」という三つの壁が立ちはだかっています。
第一に、法の壁です。刑期を終えた人は、法律上「罪を償い終えた市民」です。その人を、過去の罪を理由に監視し続けることは、憲法が禁じる「二重処罰」や、プライバシーの著しい侵害にあたる恐れがあります。日本の刑事政策は「更生(社会復帰)」を重視するため、常に監視の目にさらされる環境は、かえって本人の社会復帰を妨げ、再犯を誘発しかねないという懸念もあります。
第二に、制度の壁です。日本には「保護観察」という仕組みがあり、保護司の方などが更生を助けますが、これはあくまで「支援」であり「24時間の動静把握」ではありません。刑期を満了して出てきた人に対し、国が強制的に居場所を報告させる権利は、現在の法律では非常に限定的です。
第三に、物理的な壁、つまりリソースの問題です。年間の出所者は数万人に及びます。一人の対象者を24時間体制で尾行・監視するには、交代要員を含めて少なくとも10人以上のチームが必要です。すべての累犯者を監視対象にすれば、警察組織は一瞬で麻痺してしまうでしょう。
つまり、国家の転覆を狙う「組織」への監視は、その社会的影響の大きさから正当化され、リソースも集中投下されますが、個人の犯罪傾向に対する「予防的な監視」は、人権とコストの両面から非常に高いハードルがあるのです。
累犯加重
「累犯者に対する監視が難しいなら、せめて刑務所にいる期間を長くできないのか」という疑問も当然湧いてきます。
実は、日本の刑法にはすでにそのための武器が備わっています。それが「累犯加重」という規定です。懲役刑を終えてから5年以内に再び罪を犯した場合、その罪に設定されている懲役の最高年数を「2倍」まで引き上げることができます。
例えば、本来なら最大10年の懲役となる罪でも、累犯であれば20年まで言い渡すことが可能です。裁判所は、その人物の「反省のなさ」や「再犯の危険性」を考慮して、より重い刑を選ぶことができる仕組みになっているのです。
しかし、これにも限界があります。いくら累犯だからといって、万引きを繰り返した人に殺人罪以上の重刑を科すことは、刑罰のバランス(均衡)を欠くことになります。また、刑期を延ばすことは「社会からの隔離」にはなりますが、「根本的な解決」にはならないという側面もあります。
「監視」とともに「支援」も
近年の日本では、単に閉じ込めたり監視したりするだけでなく、新しいアプローチが模索されています。
例えば、性犯罪などの特定の重大犯罪については、出所後のGPS装着を義務付ける議論が進んでいます。これは「人手による監視」の限界をテクノロジーで補おうとする動きです。
一方で、累犯者の背景にある「生きづらさ」への対策も重要視されています。統計によれば、累犯者の多くは知的障害や精神疾患、あるいは薬物依存や深刻な経済困窮を抱えています。彼らにとって、刑務所は「罰」ではなく「雨風をしのげる場所」になってしまっている現実があるのです。
2016年に制定された「再犯防止推進法」は、国や自治体に対し、出所者の住居や仕事の確保を支援することを求めました。「監視」して追い詰めるのではなく、社会の中に居場所を作ることで「犯罪をする必要がない環境」を整える。これが、現代日本がたどり着いたもう一つの安全保障の形です。
おわりに
公安による「組織の監視」は、私たちの社会の屋台骨を守るための特殊な外科手術のようなものです。一方で、個人の「累犯」に対するアプローチは、社会全体の体質を改善していく内科的な治療に近いのかもしれません。
「疑わしきは罰せず」という自由の尊さを守りながら、いかにして未来の被害者を減らしていくか。私たちは、監視という強力な薬の副作用に注意しながら、テクノロジーと福祉、そして厳格な法運用の間で、絶妙なバランスを取り続けなければなりません。
皆さんは、この「監視」と「更生」のバランスについて、どう考えますか?