スポーツニュースを見れば、アメリカのプロ野球チームで活躍する日本人選手の活躍(ときどき不振)が頻繁に取り上げられています。ここでかなりの人は既にお気づきになると思いますが、アメリカのメジャーリーグのユニフォームのなかには、日本のユニフォームとほぼ同じ配色、同じ書体、同じ柄になっているものをかなり多く見かけるということです。
実は、日本のプロ野球のユニフォームのルーツを調査してみると、そのほとんどが本場アメリカのメジャーリーグに行き着くことが確認できるのです。さらにその影響は日本に留まらず、韓国や台湾といったアジアのプロ野球リーグへと広がりをみせています。
今回は、球界のレジェンドたちの交渉秘話やデザインの共通点を交えながら、国境を越えて受け継がれてきた「野球ユニフォームの流用と影響の歴史」を、分かりやすく整理してお伝えしたいと思います。
1. 100%そのまま
日本のプロ野球は、1934年(昭和9年)の大日本東京野球倶楽部(現在の読売ジャイアンツ)の創設から、およそ90年以上の歴史を積み重ねてきました。その黎明期から現在に至るまで、デザインの教科書となったのはやはりアメリカでした。
その代表格が、日本プロ野球の象徴とも言える読売ジャイアンツです。 1930年代、巨人の創設者である正力松太郎(1885~1969)らはアメリカ視察を行いました。その際、当時ニューヨークに本拠地を置いていた(現在はサンフランシスコが本拠地の)強豪「ジャイアンツ」のニックネームや、黒とオレンジのチームカラー、そして胸に書かれた独特のヒゲ付きフォントの「GIANTS」をそのまま取り入れたのです。戦後、水原茂(1909~1982)監督の時代にそのデザインはさらに本家へと近づけられ、現在も伝統の意匠として引き継がれています。これは単なる模倣を超え、本家からも公認された歴史的な遺産になっているとも言えます。
一方、西のライバルである阪神タイガースもまた、アメリカにルーツを持っています。 1935年(昭和10年)の球団創設時、メジャーリーグで当時最強を誇っていた「デトロイト・タイガース」にあやかってチーム名をタイガースと命名。現在も阪神の象徴である「縦縞(ピンストライプ)」や、帽子にあしらわれた虎のマークは、デトロイトからの強い影響を受けてスタートしたものです。
このように、日本の2大伝統球団のトレードマークは、いずれも1930年代のアメリカへの強い憧れから100%そのまま継承したものでした。
2. 信頼関係が結んだ公式流用
日本のユニフォーム史において、最もドラマチックであり、なおかつ「完全な流用」として有名なのが中日ドラゴンズとロサンゼルス・ドジャースの関係です。
中日のユニフォームといえば、気品あるブルーの筆記体ロゴと、胸にぽつんと配置された赤い背番号が印象的です。このデザインは、ロサンゼルス・ドジャースのものと完全に一致しています。
この「完全な流用」が誕生したのは、今から約40年前の1987年(昭和62年)、第1次星野仙一(1947~2018)政権が誕生した年でした。 当時、監督に就任した星野氏は、チームのぬるま湯体質を根本から変えるための象徴としてユニフォームの一新を計画します。中日球団はもともとドジャースと親交がありましたが、星野氏個人もドジャースの当時の名将トミー・ラソーダ(1927~2021)監督と深い絆で結ばれていました。
星野監督は、ドジャースの強さと洗練されたイメージをそのままチームに注入するため、ラソーダ監督やドジャース球団幹部に「ドジャースのユニフォームをそのまま使わせてほしい」と直談判したのです。 良好な国際業務提携関係と、指導者同士の固い信頼関係があったからこそ、ドジャース側はこれを快諾。ロイヤリティフリー(使用料無料)での公式な流用が認められました。
このエピソードには、さらに最近の面白い後日談があります。2023年(令和5年)末に大谷翔平選手がドジャースへ移籍した際、日本国内でドジャースのユニフォームが品薄となりました。その際、デザインがそっくりで、しかも「青地に赤番号の背番号17(当時の中日・柳裕也投手のもの)」という、大谷選手と同じ背番号の中日ユニフォームを代わりに購入するファンが続出し、アメリカでも好意的なニュースとして取り上げられました。星野監督が結んだ40年前の縁が、今も生き続けているのです。
3. 多様なアレンジと変遷
巨人、阪神、中日以外の球団は、アメリカの影響を受けていないのかと言えば、決してそんなことはありません。セ・リーグの残り3球団にも、明確なアメリカのデザイン文化が見られるのです。
まずは、1970年代に強烈な変革を遂げた東京ヤクルトスワローズです。 球団名が現在のものとなった1974年(昭和49年)、ユニフォームはそれまでの紺色ベースの地味なものから劇的に生まれ変わりました。採用されたのは、白地に赤い縦縞(ピンストライプ)、そして胸に赤で書かれた「Swallows」の筆記体。これは、当時のニューヨーク・メッツのカラーリング(ブルーとオレンジ)を、ヤクルトの企業カラー(赤と青)に置き換えた、極めて忠実なオマージュでした。ヤクルトがこれまでに達成した6度の日本一は、すべてこの「メッツ風ユニフォーム」の時代に成し遂げられており、今や球団の誇り高き伝統となっています。
次に、古葉竹識(1936~2021)監督のもとで黄金期を築いた広島東洋カープです。 広島といえば「赤ヘル」がお馴染みですが、実は1950年(昭和25年)の創設からしばらくの間、チームカラーは紺や白で、地味な印象の球団でした。転機となったのは1975年(昭和50年)。ジョー・ルーツ監督が就任した際、「選手たちの闘争心を煽る色に」と、帽子やアンダーシャツを鮮烈な『赤』へ変更しました。 これは当時、メジャーリーグで圧倒的な強さを誇り「ビッグレッドマシン」と恐れられたシンシナティ・レッズのデザインをそのまま持ち込んだものでした。またヘルメットに付くイニシャルも、"Cincinnati”と"Carp"で同じ「C」となっています。この赤ヘル改革の年に、広島は球団創設26年目にして初のセ・リーグ優勝を飾り、文字通り「赤」が広島のチームの象徴となったのです。
最後に、横浜DeNAベイスターズです。 前身の大洋ホエールズ時代の1974年(昭和49年)には、やはりニューヨーク・メッツを意識した「オレンジとグリーン」の鮮烈なユニフォームを採用していました。その後、1993年(平成5年)に「横浜ベイスターズ」へと生まれ変わった際には、白地に鮮やかな横浜ブルーの筆記体ロゴ、そして「胸番号だけが赤」という、中日に次ぐロサンゼルス・ドジャース風のデザインへと大転換し、1998年(平成10年)の日本一を経験しています。DeNA体制となった現在でも、ビジターユニフォームに都市名である「YOKOHAMA」を大きく配するスタイルは、ニューヨーク・ヤンキースなどのクラシックなメジャーリーグの文法を色濃く受け継いでいます。
気がつけば、セ・リーグの全6球団はすべて、メジャーリーグの特定の球団をモデルに、その歴史をスタートさせたかたちとなったのです。
4. パ・リーグでは.....:親会社交代や最新トレンド採用
セ・リーグが「歴史と伝統」としてメジャーリーグのデザインを血肉化していったのに対し、パ・リーグの6球団は、1970年代から90年代にかけての「親会社の交代」や「ドーム球場への移転」といった大改革のタイミングで、当時の最新のアメリカン・トレンドをダイレクトかつダイナミックに流用していきました。
もっとも象徴的なのは、黄金時代を築いた埼玉西武ライオンズです。 1979年(昭和54年)、西武グループが球団を買収して新生ライオンズが誕生した際、球団は組織作りの手本としてロサンゼルス・ドジャースと業務提携を結びました。このとき、ドジャースのフロントから提供されたのが、あの爽やかな「ライオンズブルー」のカラーと、胸の「Lions」の筆記体ロゴでした。本家のドジャーブルーを日本風に明るくアレンジしたこの色彩は、1980年代から90年代にかけてパ・リーグを席巻した「最強軍団」の象徴となりました。
千葉ロッテマリーンズも、アメリカの流行をストレートに反映した球団です。 1995年(平成7年)、ボビー・バレンタイン監督を迎えた大改革の際、それまでのピンクや青を基調としたデザインから、白地に黒のピンストライプ、左胸に「M」の1文字という、現在のクールなスタイルへ変貌を遂げました。これは完全に、当時のシカゴ・ホワイトソックスのデザインをベースにしたものです。さらに2005年(平成17年)、バレンタイン監督が再任した際には、ホワイトソックスが1980年代に使用していた個性的な変則ユニフォームをオマージュした「サンデーユニフォーム」を導入し、関心が集まりました。
北海道日本ハムファイターズと、現在の福岡ソフトバンクホークス(旧・ダイエーホークス)の2球団は、いずれもサンフランシスコ・ジャイアンツからの影響を受けています。 日本ハムは1993年(平成5年)にオレンジの縦縞から、黒のブロック体ロゴに赤い胸番号という、当時のサンフランシスコ・ジャイアンツにそっくりなスタイルへ移行しました。また、ダイエーが1993年(平成5年)に福岡ドームへ移転した際に採用した、黒とオレンジを基調としたクラシックな「HAWKS」ロゴも、やはりサンフランシスコのデザインを範をとったものでした。のちに巨人軍の象徴である王貞治氏が監督に就任したことで、その「黒×オレンジ」の系譜は奇妙な運命の糸で結ばれることになります。
さらに、オリックス・バファローズの前身の一つである大阪近鉄バファローズは、1997年(平成9年)の大阪ドーム移転時に、当時メジャーで黄金期を迎えていたアトランタ・ブレーブスを模した、赤と紺の力強いフォントを採用しました。
2005年(平成17年)に新規参入したもっとも新しい球団、東北楽天ゴールデンイーグルスには、特定のオールド球団からの直接的な文字の流用はありません。しかし、チームカラーである「クリムゾンレッド(エンジ色)」は、2000年代のメジャーリーグでアリゾナ・ダイヤモンドバックスなどが好んで採用したモダンなカラー戦略そのものです。スタジアムのボールパーク化を含め、デザインの設計図自体が「現代のメジャーリーグ」をお手本にして作られています。
5. 日本を経由した韓国・台湾への流れ
ここまで、日本がいかにアメリカのユニフォームデザインを流用し、自らのものとして育ててきたかを見てきました。しかし、この「憧れの連鎖」はここで終わりません。日本がアメリカから受け取ったベースボールのバトンは、今度は日本を経由して、韓国や台湾といったアジアのプロ野球リーグへと流用・伝播していくことになります。
特に韓国プロ野球(KBO)が創設された1982年(昭和57年)前後には、日本のプロ野球組織やデザインがそのままの形で多数「流用」されました。当時、多くの在日韓国人選手が海を渡ったこともあり、人的・ビジネス的な結びつきが非常に強かったためです。
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ロッテ・ジャイアンツ(韓国・釜山) 親会社が同じ「ロッテ」であるため、最も直接的な影響関係にあります。面白いのは、日本の千葉ロッテが1995年にホワイトソックス風へモデルチェンジした際も、韓国のロッテはあえて、日本のオールドスタイル(昭和のロッテオリオンズ時代)のライトブルーと赤のロゴ、あの独特のフォントをそのまま残したことです。現在でも復刻ユニフォームとして、日本のオールドファンが涙するようなデザインがそのまま使われています。
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OBベアーズ(現在の斗山ベアーズ) 創設期のホームユニフォームの胸に書かれた「Bears」の文字は、読売ジャイアンツの「GIANTS」のフォント(文字の端にヒゲがある独特の書体)をそのまま流用していました。さらに、彼らの帽子の「B」のマークは、当時の広島東洋カープの「C」のロゴマークと、色以外は全く同じ形状で作られていました。
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MBC青龍(現在のLGツインズ) 1980年代の彼らのユニフォームは、当時の中日ドラゴンズ(ドジャース風になる前の、濃紺に黄色と赤のラインが入ったデザイン)と瓜二つでした。胸の筆記体のうねり方まで、当時の日本の流行をそのまま移植したものでした。
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三星ライオンズ(サムスン) 1980年代から90年代にかけて、日本の西武ライオンズの黄金期に呼応するかのように、同じチーム名を採用。ユニフォームのカラーも西武の「ライオンズブルー」とほぼ同色の明るい青を採用し、強者のイメージをストレートに流用しました。
一方、台湾プロ野球(CPBL)においては、近年、よりダイレクトなブランドの移植が行われました。 2020年、日本の楽天が台湾の「Lamigoモンキーズ」を買収して誕生した楽天モンキーズは、日本の東北楽天と全く同じ「クリムゾンレッド」のカラー、まったく同じ「Rakuten」のフォントをそのまま台湾の地に流用しました。 また、台湾で絶大な人気を誇る伝統球団、中信兄弟(旧・兄弟エレファンツ)は、鮮やかなイエローをチームカラーとし、定期的に「阪神タイガース・デー」というコラボイベントを開催するなど、日本の阪神のユニフォーム文化やストライプの精神を非常に強くリスペクトしています。
ユニフォームもまた野球文化のひとつ
アメリカで生まれたデザインが、海を渡って日本の土壌に根づき、時には星野監督とラソーダ監督のような男たちの約束によって公式に譲り受けられ、それぞれの球団の「伝統」へと積み上げられていく。そしてその洗練されたデザインや成功のセオリーが、今度は韓国や台湾といった隣国の新しいプロ野球の歴史を彩っていく――。
この件について調べる前までは、訴訟社会でも有名なアメリカのことですから、「類似したユニフォームのことで、高額の賠償請求を受けたことがあるのでは?」などと心配していましたが、想像以上にアメリカ側は寛大でした。野球文化が日本に広がり定着することについて、オープンかつ積極的であったのだなという印象を強く受けます。
次にスタジアムやテレビ画面でユニフォームを見る時は、ぜひその胸のロゴやカラーの背景にある「海を渡った物語」に目を向けてみてください。いつもの野球観戦が、少しだけ深く、感動的なものに見えてくるかもしれません。