世界で最も有名で広まっている日本の武道が『柔道』だという点について、おそらく誰も異論はないでしょう。しかし合気道や江戸時代以前から残る古流柔術からの視点では、柔道は際立って異色な技術体系で成り立っていることが知られています。この点について、少しご説明したいと思いますので、興味がございましたら少しお付き合いください。
柔道が他の日本武道の体術と比較して異色と映る大きな技術的差異は、自らの足を使って相手の足を掛けたり、払ったりして崩す技法を主としている点です。これに対して多くの古流柔術や合気道では手首や肘の関節を決めて崩してゆく技法が主になっていて、足払いはほとんど使いません。
柔道、あるいは講道館柔道は1882年に嘉納治五郎が創設した講道館で教授を始めた新派です。嘉納自身は古流柔術の天神真楊流と起倒流を学んだ後、自身の工夫を加味して講道館柔道を体系付けたとされおり、YouTubeなどの動画共有サイトで天神真楊流を始めとする古流柔術や合気道の技法を見ていただければ、柔道の体落としや巴投げ、裏投げなどの似た技法を部分的に確認できるでしょう。しかし、足払いによる崩しは古流柔術ではほとんど使われないこともご理解いただけると思います。
いったい講道館柔道にどのような革新が起きたのでしょう。理由については明確にされていませんし、意外に言及される機会も少ないようですので、以下に素人ながら足払い導入に関する個人的な推測を述べたいと思います。
《乱取り主導》講道館では他の古流柔術以上に乱取り稽古を練習体系の重点に置くとしており、その乱取り稽古を続けるにつれて重要なコツとしての足払いが技法として定着するようになったことが考えられます。足払いそのものは相撲で遊んだことがあれば、誰でも使ったことがあるはずで、他の古流柔術では控えていた足払いが乱取りを通じてその有用性が認識され、基本技法として取り込まれた可能性は小さくないでしょう。
《偶力応用》嘉納は柔道技の原理を説明する上で物理学の偶力を紹介しています。反対向きとなる2方向へ同時に力を加えて位置を変えるということは、例えば相手の肩は自らの手で後ろへ押し、相手の足は自らの脚で前へ刈ると倒れるという崩しに当てはまります。この原理を念頭に置いて稽古をする限り、足払いは多くの場面で必須になるでしょう。
《侍の時代の終わり》古流柔術は剣術と同様に侍が学ぶ戦闘技術であり、あまり粗雑な振る舞いや非礼は認められなかったはずです。これに対して講道館は明治の世になって創設された流派であり、未だまだ士族が健在とはいえ、より実効性や即習性を優先した体系を構築できる時代になっていたのではないかと思います。そこで足払いを多用することについても抵抗は無くなってきたのかもしれません。
それにしても嘉納治五郎の偉大さはもっと現代でも知られてしかるべきです。自らが創設した講道館柔道を一代で世界に広め、多くの弟子も残し社会的にも重要な役割を勤め、「自他共栄」と「精力善用」の精神を唱えていました。柔道を愛する人にはオリンピックのメダル数よりも、もっと嘉納治五郎の遺志を重視して欲しいのですが、困ったものです。