日本の公教育については以前から暗記重視や知識偏重という批判があり、その反省から論理性や問題解決能力を求める意見が絶えず見受けられる。そして具体的な対応策として様々な学習方法が研究されるとともに一部で実際に取り組まれているようだ。その中でも「考えさせる教育」といった、学生に討論や試行錯誤、調査などを委ねるパターンもあるようだ。
企業内研修などを含めて教育現場でそうした取組みをされ、その欠点にも向かい合っている熱意のある責任者には敬意を表したいと思うが、ちょっと気にかかるのは字面だけで「考えさせる教育」を直ぐに分かった気になる人間が現れることだ。例えば教育する範囲や進行、評価方法などについて綿密な計画も無しにとにかく学生にやらせて事足れりとする事例が蔓延するといった事態だ。要するに「考えさせる教育」が教える側にとって都合の良い手抜きの大義名分とされてしまうことが懸念される。
「考えさせる教育」については、個々の学生の意欲に差異がある点や適切な教材を用意することが難しいという点、教育成果にバラツキが発生しやすい点などの課題が挙がっているようなので、そもそも教える側がこうした多くの課題を理解した上で計画することが必須条件と考える。つまり従来の教育よりも教える側の工夫や労力が求められるものであって、決して手抜きができる教育手法では無いだろう。しかしもしも半可通に名前を長所だけを聞きかじって、手抜きができる目新しい教育方法として実施されたら、教わる側はとにかく困るし成果も不十分になることは容易に想像できる。
少なくとも「考える」ということは、基礎知識を確実にしているか必要な情報を入手できることが前提と思う。また「試行錯誤」は非常に重要だが、何も手応えや達成感が得られないのであれば、苦手意識や意欲喪失につながるのが普通だ。こう考えると、とにかく暗記させてテストを受けさせるという教育方法は、なかなかどうして確実で捨てたものではないとい見方もできるだろう。
「考えさせる教育」には大いに期待しているが、教える側になってその能力に自信が無い限りは、従来からの一般常識のとおり、懇切丁寧な教材作成や熱意と根気をもった説明に専念した方が順当に思えるのだが、皆さんはどうお考えになるでしょうか。