教科書検定で本当に見てほしい基準

 教科書検定についてニュースで採り上げられるのは歴史問題が通例だが、そもそも学習する側の児童にとってはもっと分かりやすく、独学や自習に耐えるような説明文が記載されているか否かを重要な基準にして欲しいと考えている。

 

 教科用図書検定基準の第2章「教科共通の条件」を読むと、学習指導要領で定めた内容を漏れなく教えることを主旨とした記載になっていることが分かる。また学習意欲のある児童のための施策も見られる。そしてここで教科書というものは学習現場で教師が説明をすることを想定していることも読み取れる。

 これは自明のことのようにも思えるかもしれないが、自ら復習しようという児童や病欠したので自習しようとする児童、1学年分を一時に予習しようという児童にとっては、教師の説明が必要では諦めるほかない。教科書中に出てくる練習問題や設問についても答え合わせをすることができない。つまり、いわゆる落ちこぼれ児童への対応策としても、理解が早い児童への配慮としても教師の説明が無いと分かりにくい教科書というものは不親切な存在なのだ。

 

 現行の教科書だって繰り返し読めば分かる、という言説もある程度は真実だが、それでも教科書の説明は全般的に短い上に不親切であり、教師の説明を前提としていると思わざるを得ない。そうした教科書では理解度の進んでいない児童にとって自習ははやり難しいだろう。もしももっと詳しい説明文を(ときには説明図も)徹底できれば、上記の問題点の解決にとって有効な対応策にならないだろうか。

 理解度の進まないような児童は概して教科書をあまり読まないので、説明文を詳しく長くしたところで意味が無いかもしれないという意見も出そうだが、それでも予習か復習ができる材料が手元に揃っているのは意味があると考える。また、理解の進んだ児童は余った時間で応用問題に取り組むもよし、不得意科目の勉強に取り組むもよし、次の学年の教科書を入手して更に進んでいってもよいだろう。教師は計画通りの年間日程で授業を進めつつ、個々の児童の進度に応じて教科書に残る不足を補って説明し、児童が勉強を楽しいと感じる場を実現することに注力できるようになることが目標だ。

 

 

 ここで予想される現実的な懸念事項として点として、教科書が厚く重くなってしまうことが挙げられるだろう。この点は紙媒体である以上は回避できない。

 また他の懸念事項として、説明文が長く詳しくなることで読むのにあたって抵抗感を感じる児童もある程度増えそうだということで、これについてはレイアウトや文字の大きさなどで工夫するしかない。(個人的には文章が長くとも読みやすければ問題ないと思うが、一般論としてはやはり個々人の感覚に左右されるのは間違い無いだろう。)

 

 さらに余談になるが、大学の教科書なども決して独習には向いていない説明が不親切なものが多いと思う。これも教授が授業で補足説明することを前提にしているのではないだろうか。あるいはそもそも学生向けでなく自身の所属する学会向けの実績づくりで著していたり、自分の大学内でのみでしか売れないことを前提としていたりする教科書も多いのではないかと邪推してしまう。

 仄聞する限りでは欧米の大学のテキストというのは多くが大冊になってはいるものの、文章は平易で繰り返し説明も見られるそうで、学習者にとっては明らかに日本の大学よりも予習や独習に適していると考える。

 

 さて皆さんは重いが詳細な教科書と軽いが簡便な教科書のどちらが好みでしょうか。