日本人の労働時間の長さ(つまりは生産性の低さ)に関する意見の中で、始業時刻を守ることに対しては非常に厳格なのに反して、終了時刻が延びることに対しては非常に寛容という指摘があります。インターネット上で外国人からの最近の指摘として広まったようですが、多くの方が首肯せざるを得ない現実的な問題点と言えそうです。
対外的な「納期」であれば意識されているはずの時間厳守の考えが、内部向けでは意識されないというのも考えてみるとおかしな現象です。
背景を幾つかここで推測してみると、まずひとつ考えられるのは戦後の高度成長期に残業代を頼りに給与を稼いでいた時代の慣習が、現在に至るまで解消されてこなかったという点が浮かびます。他には、「お客様は神様」なのでサービス提供時間が長いことや時間をかけて仕上がりに注力することを良しとして労働者側の権利を軽視する価値観もあるかもしれません。また、管理者側が所要時間を的確に見積もることができていなかったり、自分に次の予定が無ければ関係者(特に目下の人間)の終了時刻後の都合は考慮しなかったり、といったことが日本的経営の隠れた要素になっていたことも想像できます。
日本の鉄道の運行時刻に関する正確性は、軍国主義時代に鉄道会社に対して軍部が強く指導していた名残であるという話を聞いたことがあります。当時の軍部の価値観からすれば、下々の国民の個人的な時間を奪うことなど何ら痛痒に値しないことだったでしょう。鉄道会社に留まらず日本社会全体として戦時下に浸透した時間厳守の考えが上意下達だったことが、戦後になっても広く組織風土として残っている可能性も考えられそうです。
何とか終了時刻を厳守する意識を根付かせたいところです。
就業時間中の会議に関しては、管理者の方のスケジュールを詰めてゆく、つまり次の予定が常に手帳やカレンダーにぎっしり入るように計画性の指導と実践を指示しておけば、次の予定の開始時刻を守るためにその前の会議の終了時刻を守るようになるのではないかと思います。
または就業時間の最初に朝礼をしているように、就業時間の最後には「終礼」を毎日実施してから全員即座に帰宅するよう経営者が決めるということもできないでしょうか。
他に気になっている点としては、始業時刻に遅れた場合には「遅刻」という「罪状」が名付けられていますが、終了時刻を延ばした場合についてはこれといった「罪状」が決まっていないように思います。遅延とか延滞では意味合いが弱いので、何か悪い印象をより強く与える命名と普及があっても良いかもしれません。
皆さんの中で何か妙案はないでしょうか?