老年になると幼年に返るのか

  皆さんは身の回りの老人が幼児退行したという例を見聞きしたことはないでしょうか? 頑迷になって他人の言うことを聞かなくなる(わがままになる)とか、逆に身近な人に以前よりも依存するようになる(甘える)、喜怒哀楽の感情をあらわにすることが増えるといった事例のことです。

 これらは心身の老化に伴う現象として医学的に説明できるようですが、今回は老年になってなおも成長の可能性を求めている傾向と見立てて、その結果として幼年の頃と同じような志向になっている事例もあるという意見にお付き合いいただきたいと思います。

 

 以前に相似しているのではと感じた例として、お年寄りの趣味としてよく知られる陶芸は幼稚園児の粘土遊びに、ダンスや合唱はお遊戯にと同じような志向で選好されているのではないかということでした。

(なお、老年になって機能回復・維持を目的として幼年に親しんだ折り紙やお手玉といった手遊びをする例もありますが、こうした例は運動能力が低下して激しい運動ができなくなったり感覚機能が低下して芸術などで表現する手段が限定されたりした結果として仕方なく採用されている性質のものなので、少し方向が異なります。)

 老化によって運動能力や感覚機能が低下してゆく中でも、残る人生で学習意欲や向上心を継続できる対象として何をするか選ぶとなると、それが陶芸やダンスや合唱になっているものと想像できます。また、運動機能や感覚機能の維持にも役立ちそうです。

 

 それらがなぜ幼児教育で具体的に選定・採用されているのかという理由を調査するべく、幼児教育の資料や書籍を少しあたったのですが、これは残念ながら今のところ私には見つけられませんでした。ただし、幼児教育では学習意欲や探求心などを培い、感性や発想力といった可能性を伸ばすことを目的として重視していることや、新しいことを覚えたり、考えたりする経験を積ませようとする手段としていることから、粘土遊びやダンス、お遊戯といった教科・教材が歴史的変遷を通じて選ばれるようになったものと考えられます。

 ただし幼児教育で重視されている躾や集団生活といった社会性の養成、遠足などの社会学習などは、流石に老年になると不要とみられるため、幼児教育がそのまま老年の趣味の参考になるわけではありません。

 

 もちろん老年になれば幼年にはまず取り組めない、知識の集積や思考力、社会実務経験を要する研究をすることもできます。 それほど高度でなくとも将棋や囲碁、俳句なども永く探求してゆけるでしょう。経済力に応じた楽しみとして自主的な登山や旅行、各種スポーツに取り組むことも(健康である限りは)可能です。

 

 例えば敬老の日を機会にご自身の老年の嗜みを考えてみてはいかがでしょうか?