新しい外来語や商品、サービス、技術、印象的な発言などが広まってゆくときには、当然のことながらそれらは「新しい用語」として流行り言葉となりますが、それとは別に日常会話や文章の中で「表現」として流行り言葉が生まれ定着することもあります。前者については例示の必要は無いと思いますので、後者の例として特に気に掛かっているものを挙げるならば、「ヤバい」「エグい」「半端無い」といった言葉が挙げられます。
流行り言葉に対しては、年齢を重ねてゆくにつれて保守的になって新しい単語を覚えることを疎ましく感じて嫌い、使うのを避けるべきと考えるようになったら、基本的に自身の老化減少として考慮しなければならないと思っています。しかし「ヤバい」「エグい」「半端無い」については、他に使うべき言葉(形容詞・副詞)が既に多く存在しているにも関わらず、何にでも安易にこの言葉を充てているように感じられてなりません。多様で適格な表現を選ぶ努力をせずに、何にでも使える単語だけを無自覚に使い回す人が増えてゆくことは、日本語が将来に向けて貧相になってゆくことになります。もちろんそれは同時に日本人の思考力も全体として低下してゆくことにもなります。
他方で、衒学的に新しい専門用語を一般向けに使うような無遠慮な人も間違いなく存在するので、その正当な反論として誰にでも分かりやすい日本語を心がけるべきという意見も以前からあります。そもそも日本語というのは他の言語と比べても語彙量が膨大で、更には外国からの「新しい用語」のカタカナやアルファベットも増加し続けており、これに加えて古代から続く奥ゆかしい表現の伝統もあることで、現代における分かりやすさの追求は常に文字であり会話であれ必要であることは論を俟たないでしょう。
ここであらためて留意したいのは、分かりやすい日本語というのは決して簡素化だけを意味しないということです。新しい用語を正しく理解するためには、的確な説明表現が必須であり、そのためには既存の用語を元に推敲された言葉で述べなければならないと考えます。また、日常会話の中でも工夫した比喩や考えながらの発言には、多くの人から「上手いことを言うなぁ」という敬意が多少の差はあれ得られるものです。
もうひとつ別の面で留意しておきたいのは、「ヤバい」「エグい」「半端無い」といった言葉ばかり使う人というのは、それを注意深く聞いている人からすると「この人は語彙の少ない、不勉強な人間かもしれない。アホだな。」と思われているという事実です。怖くはありませんか?