現代社会では、友情が功利的なものに変化しているように感じます。特にビジネスの場では、「人脈作り」という言葉が頻繁に用いられ、友人関係も一種の打算的な投資対象と捉えられる傾向にあります。人脈作りが目的化され、互いの利益のために利用し合うような関係を目的とするケースも少なくありません。「友人」や「親友」という言葉の意味合いも変化しつつあるのかもしれません。
古来より、人間は社会的な動物として、友情という美しい繋がりを大切にしてきたはずですが、それでも「おのれにまさるよき友を」(戦前の唱歌「水は器」)という歌詞や、「よき友、三つあり。一つには、物くるゝ友。二つには医師。三つには、智恵ある友。」(徒然草 第177段)といった言葉にもあるように、自分にとって有益な友人を求める処世術あるいは価値観があったようです。(余談になりますが、他の国の詩文ではある程度散見される友情を詠ったものが日本では比較的に少ないという話をどこかで聞いたことがあります。日本民族は決して薄情ではないと思いますが、これは大自然や女性の方が、詩文の題材としてはるかに美しく魅力的だったからでしょうか...)
そもそも皆が損得勘定から考えて自分より優れた人間としか友人付き合いをしないとしたら、そしてそれが何らかの便益を魂胆にしているとしたら、かなり醜い社会になってしまいます。また逆に格下の人間ばかりを集めた「友人」を高圧的に従わせて、自分の利益に使うというのも下劣極まりない集団になります。
また他方では「親友」を作れないことに悩む若者も多いようですが、親友や友人というものは決して無理をして作るものでもないと考えます。むしろ若いうちに悪い「友人」や「親友」に囲まれて遊んでいると将来にわたって悪影響が多くなる可能性は割と高いと思います。特に若い男が夜に街中で群れて騒いでいるのを見たときに、あなたには麗しい光景に映るでしょうか? マイナスの影響しか無い友人ならば、いない方が良いのは当然だということは覚えておきたい。
では、どのようにすれば良好な友人関係を築くことができるのでしょうか。まず大切なのは、自分自身と向き合い、自分自身が誠実な「友人」になることです。約束を守り、思いやりの心を持つことは、周囲の人々から信頼を得る上で不可欠です。また、何か得意なことがあれば、それを惜しみなく人に与えることも大切です。見返りを求めるのではなく、純粋に相手のために行動することで、心からの友情を築くことができるでしょう。
また、友情は、必ずしも対等な関係である必要はありません。年上の知恵を学び、年下の活力に刺激を受けるなど、様々な形の友情が存在します。
友情は、無理に作ろうとするものではありません。自然な形で生まれるものです。焦らず、まず自分自身が誠実な友人となるように磨き、様々な人と出会い、交流を深めていく中で、きっと良い友人と出会えるはずです。