AirLand-Battleの日記

思い付きや素朴な疑問、常識の整理など、特段のテーマを決めずに書いております。

鉄道、特に駅舎に感じる不満

 日本の鉄道は、その正確な運行管理、高性能な車両、そして文化とさえ言える駅弁や鉄道模型など、世界に誇れる要素を数多く持っていると思います。しかし、「駅舎」に関してだけは、必ずしも満足しているとは言えないのが個人的・率直な感想です。

 運行管理については、外国とは比較にならない正確性という声をしばしば聞きます。車両についても、モデルチェンジを重ねている新幹線のような超特急車両だけでなく、以前にテレビで東京メトロ・丸の内線の車両がアルゼンチンで使われている映像を見たことがあり、堅牢で優秀な機械が使われていることが伺いしれます。しかしどうしても「駅舎」に関しては世界に誇れるとは到底思えないのです。

 

駅舎設計の画一性

 多くの駅舎、特に地方の駅では、設計思想が画一的で利用者の視点に欠けていると感じることがあります。

 また設計例えば、改札口の付近で人の流れ(動線)を塞ぐような位置に大きな柱があったり、乗り換えをするのに長い回り道になっているのは、設計ミスのように感じられてなりません。おそらくは鉄道会社が線路と同列に考えて設計・建設しているのでしょう。多くはコンクリート造りの無機質な建物で、旅の気分を盛り上げてくれるとは言い難いです。日本の建築学の水準はこの程度なのでしょうか。

過剰な広告と情報過多

 駅構内や地下街に溢れる広告の多さにも辟易します。もちろん、広告収入が鉄道会社の運営を支えていることは理解できます。しかし、あまりにも多すぎると、本来必要な案内表示、例えば出口や乗り換えの案内などが埋もれてしまい、非常に分かりにくいです。特に、緊急時の避難経路などが分かりにくくなるのは、安全上の問題にもつながりかねません。広告と必要な案内のバランスを、もう少し考慮してほしいと感じます。

 以前に「駅名標から多様性への対応を考える」というタイトルの文章を載せましたが、特に首都圏内の駅舎では視界から入ってくる情報量が多すぎるように感じます。多すぎる看板広告はとにかく猥雑とした印象を与えるので、好ましくないと感じている利用者も多いのではないでしょうか?

プラットフォームの狭さと混雑

 首都圏のラッシュアワー時のプラットフォームの混雑は、日常的に危険を感じます。特に、東京の地下鉄のプラットフォームの中には、人が一人通るのがやっとという狭い場所もあり、転落や将棋倒しが起きてもおかしくない状況です。

 法令でプラットフォームの最低基準は定められているようですが、実際のプラットフォームの幅は、駅や路線によって大きく異なり、特に都市部ではスペースの制約から、最低基準に近い幅のプラットフォームも少なくありません。

 ホームドアの設置も進んでいますが、設置によって実際に人が通行できる幅が狭くなっている箇所もあります。鉄道会社には、利用者の安全を第一に考え、プラットフォームの拡張や混雑緩和のための対策を講じてほしいです。

鉄道会社と利用者の意識改革

 もちろん、歴史的な価値を持つ駅舎や、地域の特色を活かした駅舎も存在します。近年、東京駅のように歴史的な駅舎(空襲の被害で2階建てになったものを元の3階建てへ)の復元や、京都駅のように著名な建築家である原広史による斬新なデザインの駅舎へ改修するといった事例も増えてきましたが、まだまだ一部です。

 駅は、その地域の玄関口であり、第一印象を決定づける重要な要素です。鉄道利用者は「駅ナカ」で消費活動をすることで、鉄道会社の収益にも貢献することができるはずですので、もっと多様で魅力的な駅舎が増えることを設計関係者に期待します。

 

 駅舎に対する不満は、鉄道会社だけの問題ではありません。私たち利用者側の意識改革も必要です。駅は、多くの人が利用する公共の場です。一人ひとりがマナーを守り、快適な空間を維持するよう心がける必要があります。例えば、混雑時に列に割り込んだり、ゴミをポイ捨てしたりする行為は、他の利用者の迷惑になります。また、駅員への不当なクレームや暴力行為も、決して許されるものではありません。鉄道会社と利用者が互いに協力し、より良い駅をつくり上げていくことが大切だと考えます。

 

まとめ

日本の鉄道は、世界に誇れる素晴らしいシステムですが、駅舎に関しては、まだまだ改善の余地があると感じます。鉄道会社には、利用者の声に耳を傾け、より快適で安全な駅づくりを進めてほしいです。そして、私たち利用者も、公共の場を利用する一人として、マナーを守り、駅を大切に利用する意識を持つことが大切だと思います。

 

 

以上