AirLand-Battleの日記

思い付きや素朴な疑問、常識の整理など、特段のテーマを決めずに書いております。

感情的になるなとは言うけれど

 「感情的になるな!」 私たち日本人の多くは、幼い頃からそう教えられてきました。特に日本では、感情を露わにすることは美徳とされず、常に冷静でいることが求められます。実際のところ、現代の日本人が伝統的に感情を内に秘め、忍耐強い性向にあるのは事実と言えるでしょう。しかし、本当に感情を押し殺すことだけが、私たちにとって最善の選択なのでしょうか?

感情を抑えることの美徳

 日常生活において、感情を無闇に表に出さないことは、確かに多くのメリットをもたらします。例えば、感情的な対立を避け、円滑な人間関係を築くことができます。(実は周りの感情を探るという気配りも必要になっています。)また、冷静な判断力を保ち、困難な状況でも適切な行動を取ることができます。

 しかし、感情を抑えすぎると、私たちは自分自身の本当の気持ちを見失い、ストレスや不満を溜め込んでしまうことがあります。特に、不正や不公正に対して感じた怒りや悲しみは、社会を変えるための原動力となる可能性を秘めています。そうでなければ、不正や不公正の横行、蔓延を許してしまうことにもなりかねません。

感情を露わにすることの重要性

 近年、私たちは多くの社会問題に直面しています。政治の腐敗、企業の不正、環境破壊、差別や偏見。これらの問題に対して、私たちはただ傍観者でいるべきなのでしょうか?

 もちろん、感情的に行動することは、問題を解決するための唯一の方法ではありません。しかし、時には感情を露わにし、声を上げることが、社会に変化をもたらすきっかけとなることがあります。 例えば、近年世界中で広がった「#MeToo」運動は、性暴力の被害者たちが勇気を持って声を上げたことで、社会に大きな影響を与えました。また、気候変動問題に対する若者たちの抗議活動は、世界中の人々に環境問題への意識を高めるきっかけを与えました。

感情の適切な表現

 感情を露わにすることは、決して感情的に行動することではありません。大切なのは、感情を適切に表現することです。

 まず、自分の感情を理解し、その原因を冷静に分析することが重要です。そして、感情を表現する際には、相手を尊重し、建設的な対話を心がける必要があります。

 また、感情を表現する手段は、言葉だけではありません。芸術、音楽、文学など、様々な方法で感情を表現することができます。

感情と社会

 感情は、私たち人間にとって自然なものであり、社会を形成する上で欠かせない要素です。感情を完全に排除することは不可能であり、また望ましいことでもありません。

 大切なのは、感情を理解し、そこから生まれるエネルギーを適切にコントロールし、社会にとって有益な方向に活用することです。

 感情的な社会は、時に混乱や対立を生み出す可能性があります。しかし、感情を共有し、共感し合うことで、私たちはより深く繋がり、より良い社会を築くことができるのではないでしょうか。

義憤という感情

 社会生活を送る上で、時には「義憤」という感情が湧き上がることがあります。義憤とは、不正や不義に対して抱く怒りや憤りの感情であり、直感的ではあってもある種の「判断」に基づいた結果には違いありません。この感情は、社会の正義や倫理観を維持するために重要な役割を果たします。

 義憤を感じた時、私たちはどのように行動すべきでしょうか?感情に任せて行動するのではなく、冷静に状況を分析し、適切な手段を選ぶことが重要です。例えば、情報収集を行い、事実に基づいた批判を行うことができます。また、弁護士や専門家に相談し、法的な手段を検討することもできます。

 義憤は、社会を変えるための原動力となります。しかし、その力を正しく使うためには、冷静さ、知識、そして勇気が必要です。

私たちにできること

 感情的になるなとは言うけれど、私たちには現実に感情があります。そして、その感情は、私たちの「判断」のきっかけとなり、「行動」へと駆り立てる原動力となります。大切なのは、感情に振り回されるのではなく、感情と向き合い、それを社会にとって有益な方向に活用することです。(ただし一般人以外の、行政や司法、その他大きな組織の管理者の立場にある人は、感情を排して公正公平に判断、行動する必要があります。)

 私たち一人ひとりが、感情を理解し、論理性を失わずに適切に表現し、社会と向き合うことで、より良い未来を築くことができるのではないでしょうか。