AirLand-Battleの日記

思い付きや素朴な疑問、常識の整理など、特段のテーマを決めずに書いております。

スポーツで負傷退場する選手に敬意を

 スポーツ観戦は、私たちに興奮、感動、そして時には深い悲しみを与えてくれます。選手たちの鍛え上げられた肉体と精神がぶつかり合う試合は、まさにドラマそのものです。しかし、その熱狂の裏側で、選手たちは常に怪我のリスクと隣り合わせです。

 特に、激しい接触プレーが多いスポーツでは、選手の負傷退場は避けられない現実です。そんな時、観客である私たちは、どのような態度で選手を見送るべきでしょうか?

 

残酷な拍手

 1987年10月3日、大洋ホエールズの遠藤一彦投手はゲーム中に深刻な負傷(検査の結果、右足アキレス腱断裂であることが判明)で立ち上がることができず退場するという事故がありました。このときの対戦チーム名は敢えて省きますが、相手チームのファンから拍手が巻き起こるという一幕があり、この点についてはテレビや新聞でその倫理観や共感性の欠如を批判する意見があったと記憶しています。本当に嫌な歴史です。

 スポーツのファンというものは集団心理から、贔屓のチームへの強烈な応援と強い愛情のあまり、相手チームへ不要な憎しみを抱いてしまうという点は、ある程度は理解できます。特に野球の場合は「野次」が習慣として定着しているため、スポーツマンシップを忘れがちになるのかもしれません。しかしスポーツ選手たちは、私たちの想像をはるかに超える努力と覚悟を持って、試合に臨んでいるのであって、たとえ相手チームの選手であっても、その努力と覚悟には、心からの敬意を払うべきでしょう。

 

敬意と感謝の拍手

 最近になってアメフトを少しだけ観るようになったのですが、アメリカのNFLの試合では、負傷退場があると敵味方両方のファンが拍手で送るのが通例になっているとのことでした。この場合の拍手は、その選手の健闘を称え、敬意を表する意味で湧き上がるという、スポーツマンシップに基づいているということで、かつての日本の野球ファンの拍手とは正反対の価値観にあると思います。

 アメリカのスポーツ文化として、ゲームは人気のあるエンターテイメントであり、観客は試合だけでなく、選手たちのパフォーマンス全体を楽しんでいます。そこでスタジアムに集まった観客は、同じ時間を共有し、感情を共有することで、一種の連帯感をも生み出します。日本のスポーツ文化もこのような高みまで到達したいものだとは思いませんか?

 

 ヨーロッパのサッカーでの負傷退場選手への意思表明に関しては、全く見聞していないのですが、どうやらイギリス・プレミアリーグにおいてはフェアプレー精神を重んじる文化が根強く、相手選手へのリスペクトを示す拍手も見られることが少なくないということでした。

 やはりヨーロッパ・サッカーについては、国や民族、チームカラーなどでバラつきが大きそうですから、ファンの表現行動も一概に説明するのは無理がありそうですね。また、サッカーという競技については、負傷かのように倒れていた選手が直後に走り出したりしますので、どこで心配したら良いのかが分かりにくいという特殊事情もあります。

 

拍手以外の敬意の示し方

 あまり出くわしたくは無い場面ですが、もしも観客として負傷退場の現場に居合わせたら、どのような態度を示すべきでしょうか? 拍手というのは上記の野球ファンと同じと誤解されそうですし、目を閉じて両手を合わせて祈るというのも深刻過ぎる気がします。

 比較的受け入れられやすい拍手以外での敬意の示し方としては、例えば以下のような方法も考えられると思います。これらの表現方法であれば、選手たちに勇気と希望を与え、スポーツ界全体の品位と相互の敬意を高めることにきっとつながるでしょう。

  • スタンディングオベーション:
    • 選手が退場する際に、観客全員が立ち上がり、惜しみない拍手を送る。これは、選手への最大限の敬意を表す行為です。
  • 応援チャント:
    • 応援団が中心となり、相手選手の健闘を称える応援チャントを歌う。これは、言葉で選手を励ます、非常に温かい行為です。
  • メッセージボード:
    • 観客がメッセージボードを持ち寄り、選手への応援メッセージを掲げる。これは、視覚的に選手を励ます、心温まる行為です。
  • SNSでのメッセージ:
    • 試合後、SNSを通して選手にメッセージを送る。直接会場に行けなかった人も思いを伝えられます。

 

スポーツ界を超えた敬意の拍手

 スポーツの世界だけでなく、私たちの社会全体でも、敬意の精神は非常に重要です。

 例えば、1997年9月6日にイギリスで執り行われたダイアナ妃の葬列では、沿道に集まった人々から自然発生的に拍手が起こりました。これは、悲しみだけでなく、ダイアナ妃への感謝、尊敬、そして別れを惜しむ気持ちが入り混じった一般国民の感情表現であったと考えられています。

 このように、特別な状況下では、慣習にとらわれない感情表現が生まれることがあります。しかし、どのような状況であっても、相手への敬意を忘れないことが大切です。

 

敬意の精神を広めるために

 スポーツを愛する私たち一人ひとりが、敬意の精神を持ち、それを具体的な行動で示すこと。それが、スポーツ界全体の意識を変え、より良いスポーツ文化を築くことにつながります。選手たちの素晴らしいプレーに感動し、彼らの努力と覚悟に敬意を払い、スポーツを愛するすべての人々が、互いに敬意を忘れずに、スポーツを心から楽しみましょう。