AirLand-Battleの日記

思い付きや素朴な疑問、常識の整理など、特段のテーマを決めずに書いております。

身体障碍者に対する理解の乏しさ

 現代の日本社会は、多様な人々が共に生きる社会を目指していますが、身体障碍者(しんたいしょうがいしゃ)に対する理解は、まだまだ十分とは言えません。街を歩けば、バリアフリーの不備に気づかされます。車椅子や白い杖の人が通行するのに、十分な配慮や手助けはできていません。「障害者雇用促進法」で定めた法定雇用率では常用雇用労働者のうち2.5%を障碍者で占めなければいけないところが、民間企業全体の達成度は約半分程度に過ぎません。あるいは障碍者による取り組みに対して、ジャーナリストの一部は感動的なドラマに仕向けるだけで、ずっと「かわいそうな人」「特別な人」という姿にしておこうとする方向性が認められます。

 なぜ、このような状況が生まれてしまうのでしょうか?それは、日本社会においては、身体障碍者に対する無理解や偏見が根強く残っているからに他なりません。

 

日本社会における理解の浅さ

 上記の通り、日本社会では身体障碍者は「かわいそうな人」「特別な人」といった、固定観念で見られがちです。彼らは私たちと同じように、喜び、悲しみ、怒りを感じる、一人の人間です。しかし、本当に私たちは、彼らの個性を尊重し、対等な立場で接することができているでしょうか?

 また、日本では、障碍者に対する支援は先進諸外国に比べて、まだまだ制度やサービスに偏りがちです。もちろん、制度やサービスは重要ですが、それだけでは、彼らの社会参加を十分に促すことはできません。必要なのは、社会全体の意識改革です。

 

宗教的な見方の問題点

 一部には、身体障碍者の存在を「神の配剤」と捉え、人間の相互扶助を促すものとする考え方を聞いたことがあります。これは、一定割合で生まれてくる身体障碍者というのは、神の配剤のひとつであって、人間同士が自然に支えあうべきであることを示唆している、という解釈を導き、人間はほかの動物と違って単純な弱肉強食の社会を良しとしないと考えるという説明です。

 しかし、この考え方は、現実からの乖離や、優生思想との関連性など、多くの問題点を含んでいます。身体障碍者は、神の試練や教訓ではありません。彼らは、私たちと同じように、尊厳を持って生きる権利を持っています。私たちは、彼らの権利を尊重し、社会の一員として受け入れる必要があります。

 

 ちなみに優生思想を掲げていたナチス・ドイツは、「T4作戦」と呼ばれる安楽死計画で、1930年代から終戦(1944)までの間に数十万人もの身体障害者や精神障害者を殺害しています。ユダヤ人に対する残虐行為に比べると認知度が低いのですが、もっと知られるべきである問題と思います。(あまりに残酷な話なので触れたくないのかもしれません。) 健常者に比べて身体障碍者はその能力が低いという価値観から、その命は軽んじられて良いという判断に自然につながってしまうのは、現代にも起きているとは思います。

 

WHOとEUの理念

 WHO(世界保健機関)やEU(欧州連合)は、身体障碍者の権利擁護と社会参加を促進するために、様々な理念を掲げています。 参考までに以下に簡単に紹介しておきます。 これらの理念は、身体障碍者の尊厳と権利を尊重し、社会のあらゆる側面への平等な参加を促進することを目的としており、日本社会も今よりも成熟し、民度が向上してゆけば、先進国の平均水準としてこうした理念について理解が定着することになるでしょう。いや、現在でも定着しなければなりませんね。

  • インクルージョン: 障碍者が社会のあらゆる側面に平等に参加できる社会を目指す理念
  • アクセシビリティ: 障碍者が情報、サービス、環境にアクセスできることを確保する理念
  • 合理的配慮: 障碍者が他の人と平等に権利を享有できるように、個別のニーズに合わせた調整を行う理念
  • 自立生活: 障碍者が地域社会で自らの意思に基づいて生活を送ることができるように支援する理念

 

なぜ身体障碍者を差別してはいけないのか?

 では、そもそもなぜ私たちは、身体障碍者を差別してはいけないのでしょうか? 以下の理由のとおり、彼らを尊重し共に生きる社会を築くことは、私たち自身の未来を守ることにもつながります。

  1. 人権の尊重: 身体障碍者も、私たちと同じように、命あるもの、人間としての尊厳と権利を持っています。社会にとって必要な存在として捉えることが基本です。
  2. 社会の多様性: 社会は、多様な人々によって構成されています。身体障碍者は、社会の多様性を豊かにする、かけがえのない存在です。彼らを排除することは、社会全体の損失です。
  3. 相互扶助の精神: 人間は、互いに支え合うことで生きています。身体障碍者を支援することは、私たち自身の人間性を高めることにもつながります。
  4. 未来の自分: 自分自身も、いつか身体障碍者になる可能性があります。突然の事故や災害による負傷、あるいは高齢化で五感や四肢の機能低下は避けることが難しく、その可能性は決して低くありません。

 

私たちにできること

 では、私たちには何ができるのでしょうか? 私たち一人ひとりの意識と行動が変われば、社会は必ず変わります。身体障碍者が、私たちと同じように、尊厳を持って生きられる社会を、共に築いていきましょう。

  1. 知識を深める: 身体障碍に関する正しい知識を身につけ、偏見や差別をなくしましょう。
  2. 意識を変える: 身体障碍者を「かわいそうな人」ではなく、個性豊かな一人の人間として尊重しましょう。
  3. 行動する: バリアフリーの改善や、合理的配慮の提供など、社会全体の意識改革を促す行動を起こしましょう。