AirLand-Battleの日記

思い付きや素朴な疑問、常識の整理など、特段のテーマを決めずに書いております。

立場が人をつくる、はず

 「立場が人をつくる」という言葉があります。人は置かれた環境や役割によって、その行動や人格が形成されるという意味です。この言葉は、私たちと議員の関係を考える上で、重要な示唆を与えてくれます。

 

議員バッシングの功罪

 近年、一部のジャーナリストや評論家による報道や論評において、「議員イコール政治屋、イコール悪人」といった通俗的な見方が広まっているように感じます。もちろん、議員の不祥事や問題行動は厳しく批判されるべきです。しかし、議員全体を悪とするようなバイアスを含んだ報道は、以下のような問題点を孕んでいると考えられます。

  • 偏った情報の発信:  議員の行動や政策を客観的に評価せず、悪意のある側面ばかりを強調することで、国民に偏った情報が伝わります。
  • 国民の政治不信の助長:  議員全体を悪とするような報道は、国民の政治に対する信頼を失わせ、政治への無関心や嫌悪感を助長する可能性があります。
  • 建設的な議論の阻害:  感情的な批判や人格攻撃は、建設的な政策論議を妨げ、問題解決を困難にします。
  • 議員の萎縮:  過度な批判は、議員の自由な発言や行動を萎縮させ、多様な意見が政治に反映されにくくなる可能性があります。

 

司法と立法・行政の相違

 一方で、司法の場においては「法廷侮辱罪」というものが存在し、裁判の公正な進行と裁判所の権威を維持するために、批判的な言論が制限されることがあります。これは、立法や行政とは異なる点です。

  • 司法:  裁判官は、法律に基づいて個別の事件を判断する役割を担います。その権威を保護し、公正な裁判を実現するために、法廷侮辱罪が存在します。
  • 立法・行政:  議員は、国民の代表として政策を議論し、決定する役割を担います。言論の自由が保障され、国民の監視を受けることが求められます。

 しかし立法・行政に携わる議員も皆、選挙という民主主義の代議士制度を経て多くの選挙民から認められた存在であって、民主主義の価値を認めるのであれば、司法の権威を認めるのと同様に、最低限の敬意を払うべきではないでしょうか。

 

民主主義における議員の役割

 民主主義の価値を認めるのであれば、選挙で選ばれた議員に対して、頭ごなしに悪し様に罵るようなスタンスは望ましくありません。議員は国民の代表であり、その選出は民主主義の根幹をなすものです。選挙結果を尊重することは、民主主義の原則です。

 議員の責任は重大です。高い倫理観と責任感を持って行動することが求められます。しかし、過度な批判は、議員の萎縮を招き、多様な意見が政治に反映されにくくなる可能性があります。

 

「選良」としての自覚

 さて、「立場が人をつくる」という言葉は、欧米にも類似の慣用句が存在します。

  • "Dress for the job you want, not the job you have."(今の仕事ではなく、なりたい仕事のために服を着なさい)
  • "Fake it till you make it."(できるまで、できるふりをしなさい)

 また、「ピグマリオン効果」といって、他者から期待されると、その期待に応えるように行動し、成果や成績が向上する心理効果が認められたという(後に批判的な意見もありましたが)研究がありました。

 人が置かれた環境や役割によって、その行動や人格が形成されることはある程度説得力があるとは思えませんか?。議員も「選良」と呼ばれる立場にいることを自覚すれば、自ずと行動を律し、責任感を持って職務を遂行するはずと信じています。