時折りインターネット上で、日本人は「民度」が高いとして、外国人からの好評価された実例が記事にされているのを目にすることがあります。しかし個人的には同意しかねるところです。
例えば私たちが日々利用する公共物について。図書館の本、公園のベンチ、駅のトイレ…これらは私たちの生活に欠かせない存在ですが、残念ながら、大切に扱われているとは言い難い現実をしばしば目にします。図書館の本を開けば線やマーカーの跡、公園の遊具は落書きだらけ。駅のトイレはいつもどこか汚れていて、備品が壊れていることもしばしば。先日ニュースでは、公園施設の金属製部品が転売目的で盗まれたという嘆かわしい事件も報道されていました。自由に使えるように置かれていた傘立ての傘が、いつの間にか誰かに持ち去られて返却されない、そんな小さな出来事も、公共物が大切にされていない日本社会の現実を物語っています。しかも年々悪化しているという印象を個人的に受けているのです。
広がる棄損、蝕まれる未来
もし、このような公共物への棄損が止められずに広がってしまうと、私たちの未来にはどのような暗い影が忍び寄ってくるのでしょうか?
まず、生活環境の質の低下は避けられません。美しい街並みは汚れに覆われ、安全であるべき公園は危険な場所へと変わり果てるかもしれません。誰もが気持ちよく利用できた公共空間は、不快感と不信感に満ちた場所へと変貌してしまうでしょう。
経済的な負担の増加も深刻です。頻繁な修繕や清掃には、私たちの税金が投入され続けます。それは、本来ならば教育や福祉といった、もっと重要な公共サービスに使われるべきお金かもしれません。地域の魅力も失われ、観光客が減少し、地域経済全体が衰退する可能性すらあります。
そして、最も懸念されるのは社会的な影響です。「どうせみんな汚すから」「自分一人くらい」という無関心や諦めが蔓延し、公共心という大切な心の拠り所が失われてしまうでしょう。規範意識や遵法精神の低下は、他のルールやマナーの軽視にも繋がり、社会全体の秩序を揺るがしかねません。次世代を担う子供たちが、公共物を粗末に扱う大人たちの姿を見て育つとしたら、その影響は計り知れません。
なぜ大切にされないのか?
では、なぜこのような状況が生まれてしまうのでしょうか?この問題を学術的に掘り下げてみると、様々な要因が見えてきます。
社会心理学では、「責任の分散」という考え方があります。多くの人が利用する公共物に対して、「自分一人くらい」という気持ちが働き、個人の責任感が薄れてしまうのです。また、公共の場では匿名性が高いため、規範意識が低下しやすい傾向も指摘されています。
環境心理学では、周囲の環境が人々の行動に影響を与えると考えます。例えば、落書きが多い場所では「ここなら自分も…」という心理が働き、さらなる落書きを誘発する「割れ窓理論」が提唱されています。手入れが行き届いていない荒れた環境は、不適切な行動を助長する可能性があるのです。
社会学の視点からは、社会構造や文化、規範意識の変化などが挙げられます。個人主義の浸透や地域社会のつながりの希薄化は、公共に対する意識の低下を招く可能性があります。また、世代間の価値観の違いも、公共物の扱いに対する意識の差を生む要因かもしれません。
法学では、公共物の損壊や不適切な利用に対する法規制の不備や、法の執行の甘さが問題点として指摘されます。明確なルールと罰則がなければ、一部の心ない行動を抑止することは難しいでしょう。
経済学では、「共有地の悲劇」という概念で説明されます。誰もが自由に利用できる共有財は、適切な管理が行き届かないと、乱用や劣化が進みやすいというものです。公共物も、その性質上、この問題に陥りやすいと言えます。
精神医学の観点からは、一部の人に見られる衝動性や攻撃性、精神疾患などが、悪質な破壊行為の背景にある可能性も考えられます。
海外の対策事例
世界に目を向けてみると、この問題に対して様々な対策が講じられ、成果を上げている事例があります。
例えば、ニューヨーク市の地下鉄では、「If You See Something, Say Something(何かを見たら、言いましょう)」というキャンペーンを展開し、市民の監視意識を高め、迷惑行為の抑止に繋げています。
アムステルダムでは、ゴミが散らかりにくいデザインのゴミ箱を設置したり、落書きされにくい素材を使用したりと、物理的な環境設計によって不適切な行動を抑制する工夫がされています。
シンガポールは、ポイ捨てや落書きといった行為に対する厳しい罰則と、徹底的な啓発活動によって、高い水準の清潔さを維持しています。
韓国では、市民団体が主体となって公共スペースの清掃ボランティア活動を積極的に行い、美化意識の向上に貢献しています。
カナダの国立公園などでは、「Leave No Trace(来た時よりも美しく)」という運動が推進され、利用者の環境保護意識を高め、公共物への敬意に繋がっています。
日本への提言
では、日本社会が今後も公共物を大切にする心を維持・向上させていくためには、どのような対策が必要でしょうか?
まずは、教育・啓発の進化が不可欠です。子供の頃から体験を通して公共の大切さを学び、デジタルツールも活用しながら、あらゆる世代に向けて継続的に意識啓発を行う必要があります。
次に、社会規範の再構築と可視化です。地域コミュニティを活性化させ、住民が主体的にルールを作り、守る意識を高めることが重要です。良い行いを可視化し、社会全体で規範意識を共有する仕組みも有効でしょう。
テクノロジーの積極的な活用も鍵となります。IoTセンサーやAIによる監視システムは、早期の問題発見と対応に役立ちます。情報共有プラットフォームを通じて、市民一人ひとりが公共物の維持管理に貢献できる仕組みも検討すべきです。
そして、インセンティブ設計も有効な手段です。地域通貨やポイント制度などを活用し、公共物を大切にする行動が報われる仕組みを作ることで、市民のモチベーションを高めることができます。
公共物は、私たち一人ひとりの生活を支える大切な共有財産です。その価値を理解し、大切に使うことは、豊かな社会を未来へと繋ぐための重要な責務と言えるでしょう。これまで述べてきた「なぜ公共物は大切にされないのか」という問いへの答えを胸に、明日から少しでも公共物への意識を変えてみませんか?小さな心がけ一つひとつが、きっと大きな変化を生み出すはずです。