AirLand-Battleの日記

思い付きや素朴な疑問、常識の整理など、特段のテーマを決めずに書いております。

アフガニスタン政府の崩壊から学ぶこと

 2021年8月に起きた米軍の撤退とあっという間のアフガニスタン政府の崩壊という衝撃的な出来事をご記憶でしょうか。けっして遠い国の出来事として片付けるのではなく、この出来事を日本の安全保障の糧として捉えることが重要と思っています。

 

衝撃的な崩壊:米軍撤退後のアフガニスタン

 2021年8月、長年にわたりアフガニスタンに駐留していた米軍が撤退を開始すると、事態は急変しました。当時の大統領であったアシュラフ・ガニ氏は15日に国外へ脱出してしまい、多くの専門家や関係者の予想を覆し、わずか数週間、場所によっては数日という驚異的な速さで、反政府組織タリバンが首都カブールを制圧し、アフガニスタン政府は崩壊してしまったのです。

 この背景には、アメリカ軍の情報収集能力の低下といった技術的な要因も指摘されていますが、私が注目したいのは、より根深い問題、つまりアフガニスタン政府軍や政府そのものの主体的な国防意識の欠如です。アメリカ軍が多大な国防物資や兵器を残していたにもかかわらず、なぜ彼らはあれほど急速に崩壊してしまったのでしょうか?

 

クラウゼヴィッツの視点

 この問いを考える上で、19世紀の軍事思想家カール・フォン・クラウゼヴィッツ (1780~1831) が提唱した「戦争の三要素」という概念が非常に示唆に富んでいるように思えます。クラウゼヴィッツは、戦争を「国民の情念的な力」「軍隊の偶然と確率の遊戯」「政府の理性の道具」という三つの要素が相互に作用する複雑な現象として捉えました。この三つの要素が調和し、それぞれの力が有機的に結びつくことで、国家は効果的に戦争を遂行できると考えたのです。兵器の質と量も大切ですが、それだけでは決して(防衛や利権争奪、領土拡大などの)戦争の成否は決まらないということです

 アフガニスタン政府軍の崩壊をこの三要素の視点から分析すると、以下のような問題点が浮かび上がってきます。三要素のいずれの要素も脆弱であったことが、アフガニスタン政府軍の急速な崩壊を招いた大きな要因と言えるでしょう。

  1. 「国民」の情念的な力の脆弱性:  長年の紛争や汚職、政府の不安定さにより、アフガニスタン国民は政府や軍に対して十分な信頼を寄せることができませんでした。自らの国を守るという強い感情、つまり「情念的な力」が十分に育まれていなかったと言えるでしょう。
  2. 「軍隊」の創造的な精神の欠如:  アメリカ軍の支援に過度に依存した結果、アフガニスタン政府軍は自立した作戦遂行能力や臨機応変な対応力、つまり「偶然と確率の遊戯」に対応する「創造的な精神」を十分に養えなかった可能性があります。
  3. 「政府」の従属的な知性の機能不全:  政府は、国民の信頼を得られず、明確な国家目標や戦略を示すことができませんでした。政治目的を達成するための手段として戦争を捉え、軍を効果的に指揮・統制する「従属的な知性」が十分に機能していなかったと考えられます。

 

日本の現状

 では、上記のクラウゼヴィッツの三要素の視点を日本の国防に当てはめてみると、どのような状況が見えてくるでしょうか。

  1. 「国民」の情念的な力:  戦後の平和主義教育や比較的安定した社会の中で、日本国民の間に他国に対する強い憎悪や敵意は一般的に希薄です。しかし、近年、周辺国(朝鮮半島や台湾海峡、ウクライナ)の軍事的な活動が活発化する中で、自国の安全に対する関心や危機意識は徐々にですが高まっているのではないでしょうか。災害時には国民の連帯感や助け合いの精神が強く発揮されることは、潜在的な「情念的な力」の表れとも言えるでしょう。
  2. 「軍隊」の創造的な精神:  日本の自衛隊は、高い練度と近代的な装備を有しており、災害派遣などを通じて国民からの信頼も厚いです。しかし、長年の防衛費抑制や人員確保の課題、そして憲法上の制約といった側面も存在します。変化する安全保障環境に対応するためには、より柔軟で創造的な戦略・戦術が求められます。
  3. 「政府」の従属的な知性:  日本政府は、国民の安全確保を最重要課題として掲げ、防衛力の強化や日米同盟の深化を進めています。しかし、安全保障政策に対する国民の意見は多様であり、決断力不足で、外交でも後手に回って積極的な提言や行動はあまり見られません。

 現状の日本は、アフガニスタンのように三要素の各要素が極端に脆弱というわけではありません。しかし、国民の国防意識の更なる向上、自衛隊の能力強化、そして政府の戦略的リーダーシップの発揮が、より強固な国防体制を構築する上で不可欠であると言えるでしょう。

 

世論調査から見る日本の国防意識

 ここで、内閣府が令和5年12月に実施した「外交に関する世論調査」の結果を見てみましょう。この調査によると、日本の防衛力について「もっと強化すべきである」と答えた人の割合は32.7%でした。一方、「現状程度がよい」と答えた人は43.2%、「むしろ抑制すべきである」と答えた人は11.5%となっています。

 また、日本の安全保障にとって重要な国・地域としては、アメリカが83.0%と最も高く、次いで中国が52.0%、韓国が30.7%となっています。この結果からは、日米同盟の重要性が国民に広く認識されている一方で、周辺国の動向に対する関心も高いことが伺えます。

 日本世論調査会が令和5年11月に行った「安全保障に関する世論調査」では、日本の安全保障を脅かすものとして、中国の軍事力増強を挙げた人が75%と最も多く、次いで北朝鮮の核・ミサイル開発が68%、ロシアの軍事行動が54%となっています。防衛費の増額については、賛成が51%、反対が32%と意見が分かれています。

 これらの世論調査の結果からは、国民の間に日本の安全保障環境に対する一定の危機意識が存在するものの、防衛力の強化や防衛費の増額については、様々な意見があることがわかります。

 

アフガニスタンの教訓:日本との比較

 2021年のアフガニスタンと現在の日本を比較すると、国民・軍隊・政府の意識において、いくつかの重要な類似点と相違点が見られます。

類似点としては、

  • 国民の間に、主体的な国防意識が十分に根付いていない可能性があること。
  • 軍隊が、外部の支援に依存する傾向があること。
  • 政府が、国民の多様な意見をまとめ、明確な国家戦略を浸透させることに課題を抱えている可能性があること。

一方、相違点としては、

  • 日本の社会は比較的安定しており、政府や自衛隊に対する国民の信頼感が高いこと。
  • 自衛隊は一定の組織力と練度を有していること。
  • 日本政府は安定した統治能力と国際的な地位を有していること。
  • 日本が直面する脅威は、国内の反政府勢力だけでなく、周辺国の軍事動向やサイバー攻撃など多様であること。
  • 日本には、戦後の平和主義という独自の歴史的・文化的背景が存在すること。

 アフガニスタンの急激な崩壊は、主体的な国防意識の欠如が国家の脆弱性につながることを示唆しています。日本はアフガニスタンとは異なる状況にありますが、決して他人事として捉えるべきではありません。

 

国防意識

 アフガニスタンの教訓を踏まえ、日本がより強固な国防体制を構築し、国民の安全を守るためには、私たち一人ひとりの国防意識を高めることが不可欠でしょう。

  • 国民一人ひとりの意識改革:  安全保障の問題を他人事として捉えるのではなく、自分自身の問題として関心を持ち、積極的に情報収集や議論に参加することが重要です。「とにかく戦争反対」という小学生からの模範解答から、他国で起きている現実に目を向けて、もし該当国の国民であったらどう考えるか、といった思考が大切と思います。
  • 政府の積極的な情報発信と国民との対話:  政府は、日本の安全保障を取り巻く現状や課題について、国民に分かりやすく説明する責任があります。また、国民の意見に耳を傾け、双方向の対話を通じて理解を深める努力が求められます。 もっとも政府外の野党は伝統的に憲法9条絶対堅持なので、ここから「立法」の議論が進まないという問題は重要視しておく必要があると考えています。
  • 教育における安全保障の重視:  若い世代を中心に、学校教育や社会教育において、安全保障に関する基礎的な知識や考え方を学ぶ機会を充実させる必要があります。ただ、そもそも歴史の授業で近代の扱いが小さいという現状から変える必要があるので、この点も大きな断絶が存在することを認識しておきましょう。
  • 報道機関の役割:  報道機関は、客観的かつ多角的な情報を提供し、国民の安全保障に対する意識を高める上で重要な役割を担うべきです。この点について、視聴者や読者は客観的かつ多角的な情報を求めているものの、報道機関に対してはいくらかの偏向を感じているのが現状の課題でしょう。
  • 自衛隊との連携強化:  自衛隊の活動に対する理解を深め、国民と自衛隊の間の信頼関係をより一層強固なものにするための取り組みが必要です。

 アフガニスタンの悲劇は、私たち日本人に多くの教訓を与えてくれたと感じています。他国の失敗を学びとし、日本の愛国心に基づく国防意識をより一層高め、強固な国家を築き上げていくことこそが、亡くなった人々への最大の弔いとなるでしょう。