AirLand-Battleの日記

思い付きや素朴な疑問、常識の整理など、特段のテーマを決めずに書いております。

二重国籍と帰化一世の国会議員

 2017年に民進党・代表の蓮舫議員の二重国籍が問題になったことがありました。また、最近(2025年)では中国出身の帰化一世である石平さんが、一度は国会議員選挙への立候補を表明したものの、SNSでの非常に攻撃的な批判を受けて取り下げたという話題がありました。

 このようにグローバル化が加速する現代において、ますます重要な意味を持つ「国籍」について。特に今回は、議論の中心に「二重国籍」を据えつつ、日本社会におけるもう一つの注目すべき国籍に関する論点、すなわち「帰化一世の国会議員立候補」についても触れながら、多角的にこの問題を考えていきたいと思います。

 

なぜ日本は原則として二重国籍を認めないのか?その背景にある考え方

 まず、二重国籍について改めて確認しておきましょう。二重国籍とは、一人の人が同時に二つ以上の国の国籍を持つ状態を指します。日本がこれを原則として認めない背景には、国家に対する忠誠義務の明確化、国際的な義務の履行、兵役義務の重複の回避、行政上の複雑化の回避、そして歴史的な経緯といった理由があります。これらの考え方は、国家の安定と秩序を維持する上で重要な視点と言えるでしょう。

 

個人から見た二重国籍のメリット&デメリット

 二重国籍を持つことの個人としてのメリットには、パスポートの選択肢の増加、居住・就労の自由度の向上、社会保障・福祉の恩恵、文化的な多様性の享受などが挙げられます。一方で、デメリットとしては、日本における国籍選択の義務、納税義務や法的義務の複雑化、兵役義務の可能性、政治参加の制限(例:外交官は不可)、アイデンティティの葛藤などが考えられます。これらのメリットとデメリットは、個人の状況によって大きく異なるため、一概にどちらが良いとは言えません。

 

議論の交錯点:「単一国籍」原則と「帰化一世の立候補」容認

 ここで注目したいのは、日本が原則として二重国籍を認めない一方で、帰化して間もない外国人、いわゆる「帰化一世」であっても国会議員に立候補できるという点です。これは、一見すると矛盾するようにも捉えられます。なぜなら、二重国籍を認めない理由の一つに「国家への忠誠義務の明確化」があるにもかかわらず、帰化したばかりの人物が国の代表となることを認めているからです。

 この背景には、以下のような考え方があります。

1. 日本国籍取得者の平等な権利

 帰化とは、外国人が日本国民となる法的な手続きです。日本国籍を取得した者は、法的には他の日本国民と全く同じ権利と義務を持つことになります。したがって、国籍取得後の期間を理由に、被選挙権という重要な権利を制限することは、法の下の平等という原則に反するという考え方があります。

2. 社会統合と多様性の尊重

 帰化を認めることは、日本社会が多様な背景を持つ人々を受け入れ、共に生きていくという姿勢を示すものです。帰化一世に国会議員への道を開くことは、彼らの社会参加を促し、異なる視点や経験を国政に反映させることで、より成熟した社会を目指すという考え方にも繋がります。

3. 能力主義と国民の選択

 国会議員は、その能力と国民からの信任によって選ばれるべきです。帰化したばかりであるという事実は、その個人の能力や資質を否定するものではありません。最終的に議員を選ぶのは国民であり、国民がその人物の資質を認めたのであれば、国籍取得の時期を理由に排除すべきではないという考え方です。

 

なぜ二重国籍者と帰化一世で扱いが異なるのか?

 それでは、なぜ日本は二重国籍を認めないにもかかわらず、帰化一世の国会議員立候補を認めるのでしょうか?この違いは、主に以下の点に起因すると考えられます。

  • 忠誠心の方向性:  二重国籍者は、複数の国家に対して忠誠義務を負う可能性がありますが、帰化によって日本国籍のみを持つことになった人物は、その忠誠の対象が日本のみとなります。
  • 法的地位の明確性:  帰化によって日本国籍のみを持つことになった人物は、法的に完全に日本人としての地位を得ます。一方、二重国籍者は、法的には複数の国の国民としての地位を持つため、権利や義務の面で複雑さを生む可能性があります。
  • 本人の意思:  二重国籍は、本人の意思によらずに生じる場合もありますが、帰化は本人の明確な意思に基づいて行われる手続きです。日本国籍を選択し、日本社会の一員となることを望んだ人物に対して、過度な制限を課すことは、その意思を尊重する観点からも適切ではないと考えられます。

 

グローバル社会における国籍のあり方は?

 二重国籍を原則として認めない日本と、帰化一世の国会議員立候補を認める日本。この二つの側面は、グローバル化が進む現代において、国籍という概念が揺らぎ、多様な価値観が共存する社会において、どのように国籍制度を設計していくべきかという課題を私たちに突きつけています。

 二重国籍の議論は、個人の多様なアイデンティティや国際的な活動の自由と、国家の安定や国民の統合という伝統的な価値観との間で揺れ動いています。一方、帰化一世の国会議員立候補の議論は、新たな国民を積極的に受け入れ、共に社会を築いていくという包容性と、国家の代表としての資質や忠誠心に対する慎重な姿勢との間でバランスを取ろうとする試みと言えるでしょう。

 

まとめ

 さて今回は、「二重国籍を中心」に議論を進めながら、帰化一世の国会議員立候補という視点も交えて、日本の国籍をめぐる状況を考察しました。二つの議論は、それぞれ異なる側面から、現代社会における国籍のあり方という複雑なテーマを映し出しています。

 私たち一人ひとりが、これらの議論を通じて、国籍とは何か、国家と個人の関係はどうあるべきか、そして多様な人々が共生する社会をどのように築いていくべきか、より深く考えることが求められているのではないでしょうか。

 

 個人的には、基本的に日本社会は閉鎖的である中で、小泉政権(2001~2006年)以降の規制緩和の一環で、外国人の日本国籍取得(帰化)はそれ以前よりガラっと基準が下がったという印象です。下げ過ぎではないかとも感じます。

 しかし将来的には国際標準(グローバル・スタンダード)に従って、二重国籍の方は容認に転じ、帰化一世の国会議員立候補の方は禁止に転じるのではないかと予想していますが、どうなりますか...