様々な目標に向かって必死に努力を重ねている人がいます。スポーツでの勝利や記録更新、受験勉強での志望校合格、仕事での成果追求、あるいは日々の小さなタスクに至るまでいろいろありますが、その頑張りの源泉はどこにあるのでしょうか? 自身の将来の豊かな人生や目標・成果の栄光を求めている場合には、周囲から「頑張るのは自分自身のためだ!」という励ましの言葉がしばしば聞かれます。一方では「他人のためなら頑張れる!」と語る人も少なくありません。家族、チームメイト、困っている誰か。その「他人」の存在が、私たちに想像以上の力を与えてくれることがあります。
この「自分のため」と「他人のため」という二つの頑張る動機は、どちらが真理なのでしょうか?どちらに妥当性があるのかは、個人差があるように思えます。「他人のため」の方が高尚で有徳なように思える一方で、人間心理の我欲を考慮すると最終的には「自分のため」の方が根源的に思えます。読者のみなさんはどちらでしょうか?
心理学、精神分析、そして古代から近代に至る哲学思想を紐解くと、これらは決して排他的なものではなく、むしろ人間の複雑な心を理解する上で、欠かすことのできない二つの側面であることが見えてきます。本稿では、これらの視点を整理し、二つの動機が持つ意味合い、相互の関係性、そして状況に応じた使い分けについて掘り下げていきます。
心理学と精神分析から見る二つの動機
心理学において、「自分のため」に頑張る動機は、自己実現や達成動機といった概念と深く結びついています。マズローの欲求段階説では、自己実現は人が持つ最も高次の欲求であり、自身の潜在能力を最大限に発揮し、成長したいという内発的な衝動です。スポーツでの自己ベスト更新や、困難な課題への挑戦は、まさにこの自己実現欲求の表れと言えるでしょう。また、達成動機は、目標を設定し、それを克服することに喜びを感じる心理状態を指します。成功体験を通じて得られる自己肯定感は、さらにこの動機を強化します。
精神分析の観点からは、「自分のため」の頑張りは、自我の確立や自己愛と関連付けられます。自分の能力を認め、自己価値を高めたいという欲求は、健全な自我の発達に不可欠です。努力によって成果を得る経験は、自己肯定感を育み、成熟した自己愛を形成する上で重要な役割を果たします。
一方、「他人のため」に頑張る動機は、利他性や共感といった社会心理学の概念と深く関連しています。利他性は、見返りを求めずに他者の幸福を願う性質であり、共感は他者の感情や経験を理解し共有する能力です。家族や仲間を助けたい、チームの勝利に貢献したい、困っている人の役に立ちたいという気持ちは、利他性と共感によって強く喚起されます。
精神分析においては、「他人のため」の頑張りは、対象関係論や超自我との関連が考えられます。対象関係論は、幼少期の他者との関係性が人格形成に影響を与えるとする理論であり、大切な他者の期待に応えたいという気持ちは、初期の養育者との関係性の中で育まれる可能性があります。また、超自我は、親や社会の規範を内面化したものであり、倫理観や責任感といった側面を持ちます。「他人のため」に頑張るという行動は、この超自我が持つ道徳的な要請と深く結びついていると言えるでしょう。
古代哲学から近代思想における考察
「自分のため」と「他人のため」という動機は、哲学においても古くから議論されてきました。
古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、人間の最高の善を幸福(エウダイモニア)と捉え、個人の徳を磨くことを重視しましたが、同時に人間を社会的な存在として捉え、共同体の中での他者との関係性も重要視しました。ストア派は、理性的な自己制御を重視する一方で、宇宙の秩序と調和を理解し、他者との協調を説きました。エピクロス派は、心の平静を最高の善としましたが、友情を幸福の重要な要素と捉えるなど、他者との繋がりも軽視しませんでした。
中世哲学においては、キリスト教の教えが中心となり、神への愛と隣人愛が重要な徳目とされました。「他人のため」に尽くすことは、宗教的な義務であり、自己の救済にも繋がる道として捉えられました。
近代思想においては、ルネサンスや啓蒙主義が個人の理性と自由を重視する一方で、功利主義は「最大多数の最大幸福」を倫理の原理とし、「他人のため」という視点を強く打ち出しました。社会契約説は、個人の利益と社会全体の秩序維持という異なる動機が、社会の成立に不可欠であることを示唆しています。実存主義は、個人の主体性を極限まで追求しますが、他者の存在が自己認識に不可欠であるという側面も持ち合わせています。
このように、哲学の歴史を辿ると、「自分のため」と「他人のため」という二つの動機は、時代や思想によって異なる解釈がなされながらも、常に人間の行動原理を考察する上で重要なテーマであり続けてきたことがわかります。
二つの動機の使い分けとバランス
「自分のため」と「他人のため」のどちらの動機が有効に働くかは、目標の性質、個人の価値観や発達段階、周囲の環境など、様々な要因によって左右されます。
個人的な成長や達成が主な目標である場合、資格取得や趣味のスキル向上など、直接的な恩恵が自分自身に及ぶため、「自分のため」という内発的な動機が持続的な努力につながりやすいでしょう。一方、チームスポーツや共同研究のように、他者との協力や貢献が不可欠な目標においては、「チームのために」「誰かの役に立ちたい」という利他的な動機が、より強力な推進力となります。
個人の発達段階によっても、重視する動機は変化します。幼児期には自己中心的な傾向が強いため「自分のため」の動機付けが有効ですが、思春期以降は仲間意識が高まり、「他人のため」の動機が大きな力を発揮することがあります。また、利他的な価値観を持つ人には「人の役に立つ」という動機が、自己成長を重視する人には「自己成長のため」という動機が、それぞれ強く響くでしょう。
周囲の環境も重要です。競争的な環境では「自分のため」の動機がパフォーマンス向上に繋がる一方、協力的な環境では「他人のため」の動機が一体感を生み出すことがあります。
重要なのは、どちらか一方の動機に偏るのではなく、状況に応じて使い分け、バランスを取ることです。「自分のため」の努力が結果的に周囲に良い影響を与えることもあれば、「他人のため」の行動が自己成長や達成感に繋がることもあります。
二つの動機を同等・並列に理解するために
「自分のため」と「他人のため」という二つの頑張る動機を、対立するものではなく、同等かつ並列なものとして理解するためには、以下の点を意識することが重要です。
- 人間の多面性を認識する: 私たちは、自己中心的欲求と社会的な欲求の両方を持つ複雑な存在です。どちらか一方だけが人間を動かす原理ではありません。
- 相互依存性を理解する: 「自分のため」と「他人のため」は独立したものではなく、相互に影響し合い、循環する関係にあります。一方の行動が、予期せぬ形で他方にも影響を与えることがあります。
- バランスの重要性を認識する: どちらか一方に偏りすぎると、個人や社会に不均衡が生じる可能性があります。状況に応じて両方の動機を大切にすることが、健全な成長と社会生活を送る上で不可欠です。
- 発達段階による変化を考慮する: 人の成長と共に、どちらの動機がより強く意識されるかは変化しますが、どちらも人間にとって普遍的なものです。
子供に対して動機付けを行う際も、一方的な価値観を押し付けるのではなく、子供自身の興味や関心、置かれている状況、そしてその子が持つ価値観を理解した上で、適切な言葉かけやサポートをすることが大切です。「なぜ頑張るのか」という問いに対して、子供自身が納得できる答えを見つけられるように導くことが、最も効果的な動機付けと言えるでしょう。
「自分のため」か「他人のため」か? この二つの動機は、私たち人間が持つ二つの翼のようなものです。片方の翼だけでは、高く舞い上がることはできません。それぞれの価値を理解し、状況に応じて使い分け、そして何よりもそのバランスを大切にすること。それが、私たち自身の成長を促し、より豊かな人間関係を築き、より良い社会を創造していくための鍵となるのではないでしょうか。