AirLand-Battleの日記

思い付きや素朴な疑問、常識の整理など、特段のテーマを決めずに書いております。

奈良の大仏は農民が作った?

 小学校の先生から社会科(歴史)の授業中やテストで「奈良の大仏を作った人は?」と問われたら、何と答えるでしょうか? 多くの子どもたちは「聖武天皇!」と答えるでそう。でも、もし「お百姓さん!」と答えた子がいたら……。

 単純に考えるとこの答えは、設問の主旨を理解していない「間違い」に思えます。しかし、実はこの答えの裏には、歴史を深く理解するためのヒントや、私たちが歴史をどう捉えるかという、非常に奥深いテーマが隠されていると思います。

 今回は、この「お百姓さん」という答えを軸に、歴史の見方、特に階級史観に対する考え方について、一緒に考えていきましょう。

 

「お百姓さん」という答え

 まず、なぜ「お百姓さん」と答えたのか、その気持ちを想像してみましょう。

 きっと「あんなに大きくて立派な大仏を作るには、たくさんの人が働いたはずだ」「当時、一番多かったのは農民、つまりお百姓さんだったから、きっと彼らが中心になって汗を流したんだ」という、素朴な論理と共感があったのではないでしょうか。

 実際、大仏建立には莫大な労力が必要でした。当時の日本では、民衆が賦役(ぶえき)として国に動員され、無償に近い形で土木工事などに駆り出されることが珍しくありませんでした。ですから、大仏造営の現場にも、多くのお百姓さんが駆り出されたのは事実です。

 一般的な歴史の教科書では、大仏建立を発願(ほつがん)した聖武天皇や、その計画を全国に広めた僧侶の行基(ぎょうき)が「作った人」として挙げられます。彼らは確かに、大仏建立という一大プロジェクトの主導者であり、精神的な支柱でした。しかし、実際にノミを振るい、木材を運び、銅を鋳造し、仏像を組み立てたのは、名もなき多くの人々です。「お百姓さん」という答えは、この「実際に手を動かした人々」に光を当てた、非常に素朴な人間味あふれる視点だと言えるかもしれません。(勿論、生意気な子供の混ぜっ返しだったのかもしれません。)

 

階級史観とは?

 この「お百姓さん」という答えは、歴史学の考え方の一つである階級史観と深く結びついています。 階級史観とは、歴史を社会の階級関係階級闘争の変遷として捉える見方です。ざっくり言えば、歴史の動きを「支配する側(支配階級)」と「支配される側(被支配階級)」の対立や相互作用から読み解こうとするアプローチです。

 この階級史観から見ると、「奈良の大仏を作ったのはお百姓さん」という言葉には、以下のような意味合いが込められています。小中学校の教師の中には、未だこうした歴史観や社会観を重視する人も残っているようですので、こうした答えをことさら面白がるのでしょう。

  1. 歴史の主役は「名もなき民衆」であるという主張:  歴史の教科書は、しばしば天皇や将軍、貴族といった権力者に焦点を当てがちです。しかし階級史観は、「本当に歴史を動かし、社会を築き上げてきたのは、日々の労働に汗を流した農民や労働者といった被支配階級の民衆なのだ」と考えます。大仏のような巨大な建造物も、その背後には民衆の膨大な労働力があったからこそ実現した、と強調するのです。

  2. 支配者による「搾取」構造への指摘:  聖武天皇が大仏建立を発願した背景には、国を治め、仏教の力で社会を安定させるという「鎮護国家(ちんごこっか)」の思想がありました。しかし階級史観は、その理想を実現するために、多大な労力や資材が民衆から強制的に徴収されたことを重視します。大仏の壮麗さは、支配者の権力や権威の象徴であると同時に、その陰に隠された民衆の犠牲と搾取の上に成り立っている、というメッセージが込められていると解釈するのです。

  3. 既存の歴史認識への異議申し立て:  「お百姓さん」という答えは、一般的な歴史認識、つまり支配者中心の歴史記述に対する異議申し立てでもあります。それは、公式な歴史からこぼれ落ちてしまう、あるいは意図的に軽視されてきた民衆の存在と役割を浮き彫りにし、歴史の語り方そのものに疑問を投げかけるものです。

 このように、階級史観は、歴史の表舞台に立つことのなかった人々の視点から、社会構造や権力関係を問い直す強力な視点を提供するのです。

階級史観の限界と問題点

 しかし、階級史観が持つ独自の視点は、時に問題点をはらむこともあります。

  1. 歴史の過度な単純化と矮小化:  階級史観は、歴史を「支配する側」と「支配される側」という二項対立で捉える傾向が強いです。このため、大仏建立に関わった様々な技術者、僧侶、貴族、商人など、多様な人々の役割や動機が無視され、「お百姓さん」という一言で片付けられてしまう危険性があります。歴史の複雑さや多面性を見落とし、すべてを階級闘争の物語に押し込めてしまうと、豊かな歴史像が失われてしまいます。

  2. 特定のイデオロギーに基づく解釈の偏り:  階級史観は、特にマルクス主義の影響を強く受けて発展してきました。そのため、歴史上のあらゆる出来事を「階級闘争」の枠組みで説明しようとしすぎると、その説明に合わない要素や、階級関係だけでは説明しきれない複雑な人間模様、文化、思想などが軽視されがちです。例えば、当時の人々が本当に抱いていた信仰心や、社会貢献への意識といった精神的な動機が、「支配のためのイデオロギー」としてのみ解釈されてしまうことがあります。

  3. 事実の選択的解釈:  特定の結論を導き出すために、都合の良い史料や事実のみに焦点を当て、そうでないものを無視したり、過小評価したりする危険性も伴います。例えば、民衆が自発的に信仰心から寄進や労働に参加した側面があったとしても、それが「支配による搾取」という枠組みに合わないため、看過されてしまうかもしれません。

 階級史観は、歴史の隠れた側面を照らし出すレンズのひとつとしては有効ですが、そのレンズを通して見えるものがすべてだと考えてしまうと、かえって歴史の全体像を見誤る可能性があるのです。

 

先生は、どう正したらよかったのか?

 では、「奈良の大仏を作った人は?」という問いに「お百姓さん」と答えた子に、先生はどう対応するのが理想的だったでしょうか? 大切なのは、頭ごなしに「間違い」と否定せず、子どもの素朴な気づきや共感の心を尊重しながら、より広い視野へと導くことです。

  1. 子どもの視点を肯定的に受け止める: 「なるほど、お百姓さんね!どうしてそう思ったの?」と、まず子どもの考えを引き出し、その着眼点を認めます。

  2. 「作る」の多義性を説明する: 「先生が『作った人』と聞く時、いくつかの意味があるんだよ。大仏を『作ろう』と決めた人、計画を『立てた』人、そして実際に『手を動かして』作った人。聖武天皇は、その中でも『作ろう』と決めた人なんだよ。」と、言葉の持つ複数の意味を伝えます。

  3. 歴史の多様な関わりを提示する: 「そうだね、お百姓さんも大勢、大仏を作るために一生懸命働いたんだ。でも、それだけじゃないんだよ。大仏の設計をしたり、銅を溶かす特別な技術を持った人たちもいたし、お金を寄付してくれた人、全国から人を集めたお坊さんもいたんだよ。みんなで力を合わせて、あんなに大きなお大仏ができたんだね。」と、多様な人々の役割を説明し、歴史の奥行きを広げます。

  4. 貢献と犠牲のバランスを考えるきっかけを与える: 「たくさんのお百姓さんが大変な思いをして働いたのは事実だね。でも、聖武天皇は、みんなが仏様の力で平和になれるようにって願って、大仏を作ったんだよ。一つの大きなものを作る時には、たくさんの人の力がいるし、いろいろな思いが込められているんだね。」と、支配者の意図と民衆の労力、その両面があることを示唆します。

  5. さらなる探求心を促す: 「もしよかったら、聖武天皇がどうして大仏を作ろうと思ったのか、もっと調べてみない? 大仏の周りにはどんな人たちがいたんだろうね。」と、子どもの知的好奇心を刺激し、自ら学ぶ姿勢を育みます。

 

歴史は「誰か」だけの物語じゃない

 「奈良の大仏を作った人」という問いは、単なる歴史のクイズではありません。それは、歴史を「誰か」だけの物語として捉えるのではなく、そこに関わった多様な人々の思いや労力、そして社会の仕組みにまで想像を広げるための入り口です。

 階級史観は、歴史の影に隠れがちな「名もなき人々」に光を当てる貴重な視点を与えてくれます。しかし、その視点にこだわりすぎると、歴史の豊かさや複雑さを見落とす危険性もはらんでいます。現に、「名もなき人々」はその後もずっと存在していたわけですが、奈良の大仏ほどの遺物はそれほど多くは作られていません。

 私たちは、一つの視点に囚われることなく、多様なレンズを通して歴史を眺めることで、より深く、より多角的に過去を理解することができるはずです。そして、その理解こそが、今を生きる私たちにとっての羅針盤となるのではないでしょうか。