AirLand-Battleの日記

思い付きや素朴な疑問、常識の整理など、特段のテーマを決めずに書いております。

時代劇と西部劇の意外な関係

 勧善懲悪の物語、かつての江戸風情の中に生きる人々、そして大立ち回りで切り結ぶチャンバラシーン…。「古いもの」というイメージがあるかもしれませんが、実は時代劇はBS放送ではまだまだ健在ですし、海を越えて世界のエンタメに影響を与え、今もなお私たちの心を掴んで離さない魅力に満ち溢れていると思っています。

 今回は、時代劇のあれこれをご紹介したいと思います。

 

時代劇と西部劇の意外な関係

 「黒澤明監督の『七人の侍』が、西部劇の『荒野の七人』の元になったって知ってる?」これ、実は正真正銘の事実なんです!

 1954年に公開された黒澤明監督の不朽の名作『七人の侍』は、戦国時代を舞台に、野武士の襲撃に苦しむ農民たちが、たった7人の侍を雇って村を守るという壮大な物語です。この作品は世界中で絶賛され、映画史に名を刻みました。

 そしてそのわずか6年後、1960年にはジョン・スタージェス監督の手によって、この物語が西部劇に生まれ変わります。それが、かの有名な『荒野の七人』。メキシコの貧しい村が盗賊に襲われ、7人のガンマンが立ち上がるという設定は、『七人の侍』そのままに、舞台を西部開拓時代に移したものです。黒澤監督自身もこのリメイクを高く評価していたんですよ。

 さらに驚くべきは、黒澤監督の別の作品『用心棒』(1961年)もまた、クリント・イーストウッド主演のマカロニ・ウェスタン『荒野の用心棒』(1964年)としてリメイクされています。最初は無断での翻案だったそうですが、後に裁判を経て正式なリメイクとして認められました。

 このように、日本の時代劇がハリウッドに多大な影響を与えたのは、単なる偶然ではありません。黒澤作品が持つ普遍的な人間ドラマや、スタイリッシュな映像表現が、ジャンルや文化の壁を越えて世界中のクリエイターに響いた証拠と言えるでしょう。

 

 不覚ながら出典を忘れてしまったのですが、ある書籍によると、西部劇の脚本を元に日本の時代劇(映画)が作製されていた実例もあるそうです。たしかに西部劇は日本でも多く上映されていて人気がありましたから、黒澤映画の方が例外であって、日本の脚本家の方が西部劇を真似たという実例は少なくないだろうと推察できます。

 

関西と東京で好みが違う?「必殺仕事人」vs.「水戸黄門」論争

 今から30年ほど前、テレビの時代劇を巡って、こんなジョークめいた話があったのをご存知ですか?関西人は『必殺仕事人』を好み、東京人は『水戸黄門』を好む。

 これは、特に関西のお笑い芸人さんが、東京批判のネタとして使っていたネタだったと思いますが、実は当時の視聴者の傾向や、それぞれの地域の文化的な背景を非常によく捉えていたようです。

「必殺仕事人」に熱狂した関西

 関西で圧倒的な人気を誇った「必殺仕事人」シリーズ。この作品は、表向きは普通の庶民(飾り職人や三味線弾きなど)が、裏では法では裁けない悪人たちを始末する「仕事人」として活躍する物語です。悪徳商人や腐敗した役人など、庶民を苦しめる権力者や金持ちを、法に頼らず非合法な手段で成敗する…というところに、多くの視聴者がカタルシスを感じました。

 京都が時代劇制作の中心地だったこともあり、関西では、弱者に感情移入する「判官贔屓(ほうがんびいき)」の精神が根強く、権力や体制に対して懐疑的な気風があると言われます。だからこそ、体制に抑圧される庶民が、裏で悪を討つ「必殺仕事人」の構図が、多くの関西人の心に響いたのでしょう。

「水戸黄門」に安心する東京

 一方、全国的な人気を誇った「水戸黄門」シリーズ。こちらは、徳川御三家の一員である水戸光圀公が、身分を隠して旅をしながら、各地の悪代官や悪党を「この紋所が目に入らぬか!」の一言で一網打尽にする物語です。

 「水戸黄門」は、既存の秩序や法の下で、権力の中枢にいる人物が悪を解決するという構図が特徴です。政治の中心である江戸(東京)では、中央の権力や秩序が確立されていることへの信頼が強く、「困った時にはお上が何とかしてくれる」という安心感が受け入れられやすかったと考えられます。

 この比較は、単なる笑いのネタに留まらず、当時の地域ごとの文化的な嗜好や、権力と庶民、秩序と反体制といったテーマに対する意識の違いを浮き彫りにする、とても興味深い話だったと言えるでしょう。(現代的な法治国家としては、水戸黄門の方が社会的に健全かもしれません。)

 

隠密捜査は国境を越える!「スパイ大作戦」と「大江戸捜査網」の共通点

 テレビドラマの決まり文句の中には、一度聞くと忘れられないものが多いものです。海外ドラマと日本の時代劇にも、そんな忘れられない共通のフレーズがあるのをご存知ですか?

 アメリカの(西部劇ではありませんが)人気ドラマ「スパイ大作戦」(Mission: Impossible)では、任務指令のテープが「もし君や君の不可能作戦部隊のメンバーが捕まるか、あるいは殺されても、当局は一切関知しないからそのつもりで。」という言葉で締めくくられます。

 一方、日本の時代劇「大江戸捜査網」でも、隠密同心心得之條として「御下命、如何にても果すべし。尚、死して屍拾う者なし。」というセリフが登場します。

 どちらも「秘密裏に活動する組織のメンバーは、何かあっても公には存在を認められず、見捨てられる」という、非常に似たニュアンスを持っています。スパイ活動や隠密行動の冷酷な現実と危険性を視聴者に伝える、印象的なフレーズです。

 「大江戸捜査網」が「スパイ大作戦」から直接的な脚本の許諾を得た可能性は低いと考えられます。なぜなら、ジャンルも時代設定も異なりますし、当時は今ほど著作権管理が厳しくありませんでした。

 しかし、「秘密組織の一員が公には存在を認められない」というテーマは、スパイものや隠密もののジャンルにおいて、洋の東西を問わず普遍的に用いられる概念です。日本の時代劇にも「影の者」「裏の者」といった、公に存在を認められない悲壮な覚悟を持つキャラクターは古くから描かれてきました。

 

権力者が「世直し」する物語のルーツは?

 「遠山の金さん」「暴れん坊将軍」「水戸黄門」…これらの人気時代劇には、共通するお決まりのパターンがあります。それは、主人公が実は偉い権力者(奉行や将軍、副将軍)なのに、普段は身分を隠して市井に出て事件に遭遇し、最終的にその権威で悪を裁くというもの。

 こんな物語、日本独自のものなのでしょうか?

 実は、この物語のアイデアには、中国の歴史や伝説が深く関わっている可能性が高いんです。

 中国には「微服出巡(いふくしゅつじゅん)」という言葉があります。これは「粗末な服を着て(=身分を隠して)巡察に出る」という意味で、皇帝や王様が宮廷を抜け出し、民衆の暮らしや地方の政治の実情を直接視察するために行われたとされています。

 特に有名なのは、清の乾隆帝(けんりゅうてい)です。彼は微服出巡のエピソードが豊富で、市井で様々な事件に遭遇し、時には自らの身分を明かして解決に導く話が、多くの物語や戯曲の題材となっています。これらの中国の物語や伝説が、古くから日本に伝わり、歌舞伎や講談、浪曲などの日本の芸能に影響を与えてきました。その中で、「微服出巡」の物語形式も日本に紹介され、日本の文化や歴史的背景に合わせて翻案されていったと考えられます。

 日本の場合は、庶民と権力者との距離が中国ほど絶対的ではなかったことや、「水戸黄門」のように隠居した権威者が旅をするという設定など、日本独自の要素が加わり、より親しみやすい形で定着していったのでしょう。

 

「銭形平次」と「鬼平犯科帳」のルーツを探る

 現代の刑事ドラマや探偵ものが好きな方なら、きっと楽しめるのが「銭形平次」や「鬼平犯科帳」といった時代劇です。これらの作品は、江戸時代を舞台にした「捕物帳」と呼ばれるジャンルに属します。

 「ひょっとして、これってアメリカの刑事ものや探偵ものがアイデアの元になっているのかな?」 そう考えるのは、もっともな疑問です。

 「銭形平次」は、町奉行所の手先として働く「岡っ引」が主人公。公的な役人ではない市井の人間が、投げ銭を武器に庶民の事件を解決していく物語です。 一方、「鬼平犯科帳」は、火付盗賊改方という特殊な役職の長である長谷川平蔵が、凶悪な盗賊や犯罪者を冷徹かつ人情味を交えて追い詰めていく物語です。

 これらの作品には、「犯罪の発生」「捜査」「犯人の特定」「逮捕」「裁き」という、現代の刑事ドラマや探偵ものに通じる普遍的なプロセスが描かれています。アメリカの刑事ドラマや探偵小説が持つ「手がかりを元に犯人を追い詰める」「事件の裏にある人間ドラマを描く」といった物語の骨格は、確かに世界中のクリエイターに影響を与えてきました。日本の時代劇作家たちも、そうした物語構成のエッセンスを吸収していた可能性は十分にあります。

 しかし、これらの作品は、日本に古くから存在する「捕物帳」という独自のジャンルの上に成り立っています。江戸川乱歩の「半七捕物帳」のように、日本には近代的な探偵小説とは異なる、独自の捜査方法(聞き込みや人情、地理的知識など)が描かれた捕物帳の伝統がありました。

 また、「銭形平次」の岡っ引は、江戸時代のユニークな治安維持システムを反映しており、「鬼平犯科帳」の火付盗賊改方も、当時の幕府の特殊な役職を巧みに物語に組み込んでいます。そして何より、単なる謎解きだけでなく、犯人の背景にある事情や、登場人物たちの「人情」や「義理」が深く描かれるのが、日本の捕物帳の特徴です。

 つまり、「銭形平次」や「鬼平犯科帳」は、アメリカの刑事ものや探偵ものが持つ普遍的な要素から示唆を得つつも、日本の捕物帳の伝統と、江戸時代の社会、そして日本人の倫理観や美意識が融合した結果生まれた、独自の作品群と言えるでしょう。

 

時代劇の悪役は「現代社会の悪役」?

 時代劇を観ていると、悪役の人物設定に「あれ?これって現代の社会問題にそっくりじゃない?」と感じることがありませんか?

例えば、

  • 勘定奉行や大目付など、幕府の偉いお役人が悪役として出てきたら、なんだか現代の財務省や銀行、金権政治家による汚職や不正を連想させたり…
  • 悪徳な薬種問屋や医者が登場すると、製薬会社の倫理問題や薬害、医療業界の不正や利権構造が頭をよぎったり…
  • 廻船問屋や豪商が悪事を働けば、まるで現代の大手商社や大企業が不透明な取引や独占で私腹を肥やす様子が目に浮かぶようです。

 これらの悪役の類型は、当時の脚本家や制作者の社会に対する鋭い批判的な視点が反映されている可能性が高いです。 昭和の高度経済成長期からバブル期にかけて、日本では社会主義や共産主義といった左派的な思想が、学術界や文化界に一定の影響力を持っていました。マルクス主義的な階級闘争の視点や、資本主義社会における矛盾や搾取に対する問題意識は、多くのクリエイターに共有されていた時代です。

 時代劇は、現代社会を直接的に批判することが難しい時代において、江戸時代という「架空の舞台」を借りて、現代の社会問題を風刺するという巧みな手法を可能にしました。幕府の権力構造や、商人たちの強欲さを描くことで、当時の日本社会における権力や資本のあり方に対する疑問や批判を間接的に表現できたのです。

 「庶民の晴らせぬ恨みを晴らす」という「必殺仕事人」のようなテーマは、まさに「弱者は理不尽な権力や富裕層によって苦しめられる」という構造を前提としており、この視点こそが、左派的な価値観と深く結びついていたと言えるでしょう。

 

 いかがでしたでしょうか? 時代劇は、ただ古いだけじゃない。海外の作品と影響し合ったり、日本の地域ごとの文化を映し出したり、さらには社会批評のメッセージまで込めていたりと、本当に豊かな世界が広がっているんです。

 もし今回のお話で、少しでも時代劇に興味を持っていただけたら嬉しいです。ぜひ、昔の作品を新しい視点で観てみてください。きっと、新たな発見があるはずですよ!