日本のニュースを見ていると、奇妙な矛盾に気づくことがありませんか? あるときは「ルールが厳しすぎて身動きが取れない管理社会」という嘆きや批判、そしてまたあるときは「信じられないような不正や管理不徹底が長年放置・悪化していた」という不祥事が報じられます。あるひとは「日本人は白か黒かの単純な判断しかできない!」と言ったかと思えば、別の場面では「日本人は情緒的で曖昧なところがあるからなぁ.....」と言うこともあります。
いまの日本社会は、ルールが機能しない「なし崩し社会」になっているのでしょうか? それとも、息苦しいほどの「規制社会」になっているのでしょうか?
結論から言えば、その両方が同時に、かつ「戦略的」に存在しているのが日本社会の真の姿ではないでしょうか。一般国民の立場としては、この歪んだ構造をどう理解し、どう向き合うべきか。すこし見直してゆきながら考えてみましょう。
1. 「なし崩し社会」と「規制社会」
まず整理すべきは、この両極端な現象はバラバラに起きている問題ではない、ということです。これらは「責任を回避しながら、既得権益を守る」という目的のために、同じ根っこから生えた二つの枝と言えそうです。
―― 「なし崩し社会」の正体
日本における「なし崩し」とは、単なるルーズさではありません。それは、政治学者の丸山眞男(1914~1996)が指摘した「無責任の体系」の現代版と見ることができるでしょう。 明文化されたルール(建前)があっても、現場の「空気」や「身内の論理」がそれを上書きしてしまいます。問題が起きても「当時の判断だった」「組織として流された」とされ、個人の責任は霧の中に消えます。これは、「責任を取りたくないから、ルールを曖昧に運用する」という生存戦略です。
―― 「規制社会」の正体
上記の「無責任の体系」からは対照的に見える「ガチガチの規制」や「過剰なコンプライアンス」も、実は根底にあるのは同じ恐怖心に起因しているとみることができそうです。 何か不祥事が起きると、社会は「再発防止」の名のもとに、誰の裁量も許さない減額なルールを新設します。しかし、これは「安全のため」というより、「ルールに従ってさえいれば、もし失敗しても私は悪くないと言える」という免責を求めた結果です。つまり、「判断したくないから、ルールを絶対視する」という思考停止の防波堤なのです。
2. なぜこの「両極構造」が維持されるのか?
なぜ、私たちはこれほど不条理な構造を放置しているのでしょうか。そこには、既得権益を守っている特定のプレイヤーにとって都合の良い「規制の使い分け」が存在します。それは以下のような「鉄の三角形(政治・行政・業界)」であり、この日本社会の構造は非常に便利になっているのです。
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「外」に対しては「厳しい規制」を: 新規参入者や外資に対しては、1ミリの妥協も許さない硬直した法解釈を突きつけ、参入を阻みます。
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「内」に対しては「なし崩し」を: 一方で、身内の既存業者に対しては、「行政指導」や「黙認」、「裁量」という形で、ルールをなし崩しにする「抜け穴」を提供します。
つまり、ルールを極限まで厳しくしておき、その「抜け穴」を通る鍵を権力側が握ることで、誰を助け、誰を排除するかを自由にコントロールしているのです。これは、日本でイノベーションが起きにくい最大の構造的要因にも見えます。
3. 一般国民が受ける「二重の損失」
この両極構造の中で、私たち一般国民は二重の不利益を被っています。
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経済的停滞: 厳しい規制で新しいビジネスが育たず、一方で「なし崩し」の既得権益は延命されるため、経済全体の活力が失われます。
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精神的閉塞感: 私たちは、実効性のない「マニュアル」や「形式」に縛られる一方で、いざという時には誰も責任を取ってくれないという、極めて不安定な社会に置かれています。最近の「キャンセル・カルチャー」の激化も、この「誰も守ってくれない社会」への不安が、他者への攻撃性に転じたものと言えるかもしれません。
4. 三つの対処案
この巨大な構造に、ひとりひとりの国民はどう対抗すればよいのでしょうか。それは「ルールを増やすこと」でも「ルールを壊すこと」でもありません。「ルールの質」を変えることです。
① 「人治」から「デジタルによる透明化」へ
「なし崩し」が起きるのは、判断のプロセスが不透明(ブラックボックス)だからです。 行政手続きや意思決定にデジタル技術(DX)を導入し、「誰が、いつ、何を根拠に判断したか」を可視化させる必要があります。デジタルは「忖度」をしません。不透明な裁量を許さないシステムを求めることが、最大の防御になります。
② 「形式」ではなく「目的」を問う習慣
「これはルールですから」と言われた時、私たちは一歩立ち止まって「このルールの本来の目的は何ですか?」と問い直す必要があります。 目的を失った「ゾンビ規制」に対して、サンセット条項(期限が来たら自動的に廃止する仕組み)の導入を支持したり、無意味な形式主義をSNSなどで可視化・批判したりする知的な抵抗が有効です。
③ 「小さな失敗」を許容する文化の醸成
「規制社会」を加速させているのは、他者の失敗に対する不寛容な世論です。一度のミスで人格まで否定する社会では、誰もが「ガチガチの規制」を望むようになります。 「適切なリスクを取り、失敗しても再挑戦できる」という空気を作ることは、結果として、私たちを縛り付ける過剰な規制を緩和させることにつながります。
「空気」に支配されないために
日本社会の「なし崩し」と「硬直化」は、私たちが自ら思考することをやめ、責任を「空気」や「マニュアル」に預けてしまった代償です。 この閉塞感を打破する唯一の道は、私たち一人ひとりが「責任を伴う自由(裁量)」を肯定することです。「なあなあ」で済ませず、かといって「形式」で縛り付けもしない。現実を直視し、常にアップデートし続ける「生きたルール」を持つ社会へ。
まずは、身近な「おかしなルール」や「無責任な先送り」に対して、「なぜ?」と声を上げることから始めてみませんか。