AirLand-Battleの日記

思い付きや素朴な疑問、常識の整理など、特段のテーマを決めずに書いております。

日本社会の課題「悪平等」

 現代の日本社会には、時々「これって公平なの?」と首をかしげたくなるような状況を見聞きすることがあります。特に、努力している人が報われないように見えたり、逆に「なぜあの人が?」と感じるような優遇があったりすると、心の中にモヤモヤとしたものが生まれます。

 今回考えてみたいのは、そんなモヤモヤを表現するのにぴったりの言葉、「悪平等」についてです。 昨年来から議論を呼んでいる”日本人ファースト”という言葉が産まれたことの背景には、外国人への法令の適用が「不備」であったり、あたかも明治時代の「治外法権」のようであったり、または賞罰の適用が「悪平等」になっていたりすることが要因のように思えます。

 

憲法の「平等」と私たちの感じる「不公平」

 日本国憲法第14条は、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と定めています。これは、私たち国民一人ひとりが人間として尊重され、不当な差別を受けないための、非常に大切な原則です。

 この原則は「一視同仁(いっしどうじん)」という言葉にも通じる、分け隔てなく接するという美しい理念に基づいています。しかし、現実の世界ではどうでしょう? 「善良で努力している人と、そうでない人が、全く同じように扱われるのは納得いかない」と感じることはありませんか? まさに、ここに「悪平等」という言葉が生まれる背景があるのです。

 「悪平等」とは、法の下の平等が形式的に適用されることで、かえって不公平や非効率を生み出している現状を指します。個々の状況や努力を考慮せず、一律に同じ扱いをすることによって生じる問題意識と言えるでしょう。

 

なぜ「悪平等」は問題視されるの?

 この「悪平等」がなぜ多くの人の心に引っかかるのか、その理由を探ってみましょう。

  • 努力や成果の不当な評価:  私たちは、一生懸命努力したり、社会に貢献したりした人が正当に評価されるべきだと考えます。しかし、犯罪を犯した人や社会に負担をかける人と、誠実に生きる人が同じように扱われるように見えるとき、不公平感は募ります。
  • 社会全体の非効率性:  例えば、本当に支援が必要な人に十分なリソースが回らず、本来は自立できるはずの人にまで手厚い支援が行われるような場合、社会全体としての資源の配分が非効率になっていると感じます。
  • 責任と負担の軽視:  犯罪行為や社会規範からの逸脱に対して、適切な責任が問われなかったり、負担が軽視されたりすると、真面目にルールを守る人々の間で「割に合わない」という感覚が生まれてしまいます。

憲法が目指す「平等」は、本来「機会の平等」や「法の適用の平等」です。しかし、現代社会においては、一人ひとりの状況に応じた「実質的平等」や「配慮」が不可欠であるという認識も広がりつつあります。

 

具体例から見る「悪平等」のモヤモヤ

 いくつか具体的な例を挙げながら、この「悪平等」の構造を見ていきましょう。

例1: 国籍による医療・福祉サービスの「公平性」

 「先祖代々日本に住み、教育を受け、納税してきた日本人と、最近転居してきた外国人が、同様の医療サービスや生活保護を受けるのは納得しにくい」という声を聞くことがあります。これは非常にデリケートな問題ですが、日本の制度は以下のような考え方に基づいています。

  • 医療サービス:  国民健康保険などの医療保険制度は、原則として日本に「住民票を持つすべての人」(国籍問わず)が加入義務を負い、保険料を支払うことで医療サービスを受けられます。これは、国籍ではなく「居住者」として一律に制度を適用しているためです。感染症対策など、公衆衛生上の観点からも、国籍を問わず一定の医療提供は重要です。
  • 生活保護:  基本的には日本国籍を有する者が対象ですが、実務上は、永住外国人や日本人の配偶者など、安定した在留資格を持つ外国人も保護の対象となる「国民」に準ずる扱いを受けています。これは、日本に生活基盤を持つ人々を人道上保護する必要があるという判断からです。
  • 刑法の取り締まり:  日本国内で罪を犯した者は、国籍を問わず日本の刑法が適用され、日本の司法制度に基づいて裁かれます。特定の外国人が不当に取り締まりを免れているというのであれば、それは制度の問題ではなく、個別事案の捜査や司法運用の問題、あるいは外交特権などの特殊なケースでしょう。

 こうした制度は、「居住者としての社会保障」や「人道上の観点」から設けられており、憲法の「平等」が、単なる国籍のみで機械的に区別することのないよう、ある程度の範囲を広げて解釈・運用されていると理解できます。しかし、長年社会に貢献してきたと感じる人々と、そうでないと感じる人々の間で、義務と権利のバランスに対する納得感の差が生まれるのは、自然な感情かもしれません。

例2: 生活保護と刑務所の「逆転現象」

 「生活保護を申請しても受けられずに餓死する事件がある一方で、刑務所では累犯者が生活保護以上の水準で『支援』を受けている」という点も、多くの人が不公平感を抱く典型例です。

  • 生活保護の問題:  生活保護法は、最低限度の生活を保障するセーフティネットですが、過去には水際作戦(申請させない運用)や、扶養照会(親族への援助要請)が原因で、本当に困っている人が必要な保護を受けられなかった悲劇的な事例が報告されています。制度の厳格な運用が、時に命綱としての機能を果たせない現実があるのです。
  • 刑務所の処遇:  刑務所は、受刑者の矯正と社会復帰を目的とする施設です。衣食住、医療、教育、職業訓練などが提供され、受刑者一人当たりの経費は、外部で生活保護を受けるよりも高額になることがあります。これは、再犯防止のための投資という側面があり、社会全体の安全維持に必要なコストと見なされます。

 ここで「不平等」と感じるのは、「善良な市民の生存権保障」よりも「犯罪者の生活保障」が手厚く見えることへの、倫理的・感情的な反発があるからです。しかし、刑務所での処遇は、自由の制限という最大の人権制約と引き換えに提供されるものであり、単純な優劣で比較することはできません。それでも、生活保護制度が命を守る砦として十分に機能しているのか、という問いは、常に私たちに突きつけられています。

例3: 生活習慣病と医療費の「同一負担」

 「大酒飲みでアルコール中毒になった人と、全く飲酒しない人が肝硬変になった場合、同じ収入なら健康保険料や医療費が同じになるのはおかしい」という意見も、ごもっともだと感じるでしょう。

 これもまた、「自己責任」という言葉が頭をよぎる「悪平等」の例です。しかし、日本の国民皆保険制度は、以下のような原則の上に成り立っています。

  • リスク分散と社会連帯:  病気や怪我は誰にでも起こりうるため、健康な人が保険料を支払うことで、病気になった人を支える「助け合い」の仕組みです。
  • 医療の基本的人権:  医療は、個人の生活習慣や病気の原因によってアクセスが制限されるべきではない、という考え方が根底にあります。もし、医療費を個人の生活習慣で厳密に区別すると、経済的に困難な人々や、不健康な生活習慣を持つ人々が医療を受けられなくなり、社会全体の公衆衛生上のリスクが高まる可能性があります。
  • 原因特定の困難さ:  病気の原因は複合的であり、どこまでを「自己責任」とするかの線引きは非常に困難です。

 この制度は、個別具体的な「不公平感」をある程度許容することで、「誰でも必要な時に、経済的な心配なく医療を受けられる」という国民皆保険制度の大きな利益を維持している、と理解できます。

 

「悪平等」が社会にもたらす懸念と行政の対策

 このような「悪平等」が放置されると、私たち自身の社会に対する信頼が揺らぎかねません。

 現在、日本社会では、国政選挙の投票率の低さ愛国心の乏しさ国民間の連帯意識の低さが指摘されています。これに加えて、行政(そして立法、司法)の公平性が疑わしいとなれば、「遵法精神」や「社会性」、「他者への尊厳・寛容さ」といった、社会を支える精神的な基盤が失われかねない、という強い懸念があります。

 では、行政はこのような状況をどのように認識し、対策を講じているのでしょうか?

行政もこの問題の重要性を認識しており、様々なアプローチを試みています。

  1. 投票率向上と政治参加の促進:

    • 期日前投票や不在者投票の拡充、共通投票所の設置など、投票しやすい環境づくりを進めています。
    • 若い世代が政治に関心を持つよう、学校での主権者教育や、分かりやすい政治情報の提供にも力を入れています。
  2. 愛国心と連帯意識の醸成:

    • 学校教育で日本の歴史や文化を学ぶ機会を増やしたり、地域コミュニティの活動支援を通じて、人と人との繋がりや助け合いの精神を育もうとしています。
    • 災害ボランティア活動の促進や、社会的孤立を防ぐための包摂的な社会づくりも進められています。
  3. 行政の公平性・透明性の確保と信頼回復:

    • 行政の意思決定プロセスや予算の使い道を情報公開し、透明性を高めています。
    • 政策決定の理由や制度の運用について、国民に分かりやすく説明する努力を重ねています。
    • 公務員の倫理教育を徹底し、不正行為の防止にも取り組んでいます。
    • 生活保護制度の見直しや、障碍者、ひとり親家庭など、本当に支援が必要な人々への「実質的な平等」を追求する施策も進められています。

 

最後に:私たち一人ひとりにできること

 これらの問題は、行政の努力だけで解決できるものではありません。私たち一人ひとりが、社会の一員として、また当事者として意識を持つことが不可欠です。

  • 社会に関心を持つ:  選挙に行くだけでなく、日々のニュースに関心を持ち、様々な意見に触れてみましょう。
  • 学び続ける:  制度や法律がなぜそうなっているのか、その背景や目的を理解しようと努めることで、表面的な「不公平」だけでなく、その裏にある複雑な理由が見えてくるかもしれません。
  • 地域やコミュニティに参加する:  身近な場所での活動に参加することで、連帯感を育み、具体的な社会貢献ができます。
  • 他者への想像力を持つ:  自分とは異なる立場や状況にある人々について、思いを巡らせることで、寛容な社会を築く一歩になります。

 「悪平等」というモヤモヤは、私たちが社会の公平性や公正さを求める心の表れです。このモヤモヤをただ不満として抱えるだけでなく、建設的な議論のきっかけとし、より良い社会を築くためのエネルギーに変えていくことができれば......