現代社会を生きる私たちは、日々さまざまなストレスや葛藤に直面しています。SNSを開けば誰かへの誹謗中傷があふれ、職場では責任のなすりつけ合いや、目先の利益だけを追う不正が後を絶ちません。こうしたギスギスした世の中の空気を感じるとき、ふと思うことがあります。「私たちは、本当に『大人』になれているのだろうか?」と。
今回は、橋本左内(1834~1859)の『啓発録』、そして老子(B.C.571 ?~B.C.470 ?)やニーチェ(1844~1900)といった先哲の言葉を補助線に、現代社会を賢く、そして豊かに生き抜くための「成熟のステップ」を整理してみたいと思います。
第一段階:「稚心を去れ」
まず私たちが最初に向き合うべきは、幕末の天才・橋本左内が、わずか15歳の時に自分を律するために記した『啓発録』の一節、「稚心(ちしん)を去れ」という言葉です。
左内の言う「稚心」とは、単なる子供っぽさのことではありません。それは「自分への甘え」「怠け心」「目先の楽しさに流される心」を指します。具体的には、何か嫌なことがあったときに「自分は悪くない、社会が悪いんだ」と他人のせいにする他責思考や、やるべきことを「明日やればいい」と後回しにする依存心を指しています。
現代社会における問題の多くは、この「稚心」を去りきれていない大人たちが引き起こしていると言っても過言ではありません。
例えば、組織内での不正や隠蔽体質を考えてみてください。「叱られたくない」「今この場をしのげればいい」という短絡的な思考は、テストの点数をごまかす子供の心理と地続きです。また、深刻なイジメ問題においても、自分の頭で考えず「みんながやっているから」と周囲に流されるのは、精神的な自立を欠いた「群れる稚心」の現れです。
左内は、どんなに立派な学問を積み、知識を蓄えたとしても、この根底にある「稚心」を去らなければ、人間として大成することはないと断言しました。まずは、自分の弱さを直視し、自らの足で立つ「自立」の覚悟を持つこと。これが、成熟への第一歩となります。
第二段階:いわゆる「大人のやり方」には染まらない
左内が説いたように、私たちはまず「自立した大人」になる必要があります。しかし、単に社会のルールを守り、真面目に働くだけの大人になることがゴールではありません。そこには、また別の「未熟さ」という罠が待ち構えているからです。
ここで登場するのが、老子やニーチェが警告した「打算心」や「固定観念」、そして「ルサンチマン(妬み・ひがみ)」という問題です。
現代の日本社会を覆う閉塞感の一因は、行き過ぎた「コスパ・タイパ至上主義」や「前例踏襲」にあるのではないでしょうか。「これをやって自分に何の得があるのか?」という過度な打算心は、新しいことに挑戦するワクワク感を奪い、イノベーションを停滞させます。
さらに深刻なのが、ニーチェが説いた「ルサンチマン」です。これは、自分が現状を変える努力をする代わりに、成功している他人の足を引っ張ることで、相対的に自分を優位に見せようとする卑屈な心理です。SNSでの過剰なバッシングや、誰かの失敗を寄ってたかって叩く「引きずり下ろし」の文化は、まさにこのルサンチマンの噴出と言えます。
社会的なルールは守っている。仕事もこなしている。しかし、心の中は妬みや打算、あるいは「こうあるべきだ」という古い固定観念で凝り固まっている。これは、左内の言う「稚心」は去ったかもしれませんが、人間としての生命力を失った「枯れた未熟さ」の状態にあると言えるでしょう。
第三段階:創造性と自由への回帰
では、私たちはどうすればいいのでしょうか。自律して自立しながらも、心に豊かさを保つ道はあるのでしょうか。その答えこそが、多くの偉人が提唱した「子供のような純粋な心(童心)」を取り戻すことです。
老子は、「最高の徳を備えた人は、赤ん坊のようである」と述べました。損得勘定抜きで世界を眺め、作為なく振る舞うことの尊さを説いたのです。また、ニーチェもまた、精神の成長の最終段階(ラクダ⇒ライオン⇒)として「子供」を挙げました。過去の常識や他人の評価に縛られず、「今、ここ」を遊びのように全力で楽しみ、新しい価値を創造する存在こそが、人間のあるべき姿だとしたのです。
ここで注意したいのは、この「童心」は、第一段階で捨てた「稚心(甘え)」とは全く別物だということです。
「稚心」を去った自立した土台があって初めて、その上で成り立つ「童心」が輝きを放ちます。自律心があるからこそ、純粋な好奇心や情熱を、社会を良くするための創造的なエネルギーへと変えることができるのです。
例えば、芸術家の岡本太郎が「子供の目を持った大人でありたい」と言ったとき、それは単にわがままに振る舞うという意味ではありませんでした。世間の固定観念というフィルターを外し、自分の感性で世界を驚きをもって受け止めるという、極めて能動的で力強い生き方の宣言だったのです。
結論
私たちは、「稚心を去れ」という橋本左内の厳しい教えと、「子供のようであれ」という老子やニーチェの自由な教え、その両方を必要としています。
第一段階は、橋本左内が説いた「自律と責任」です。自分を律し、他責にせず、社会的な責任を果たす土台を作ります。ここがグラついていると、どれほど才能があっても、無責任な行動で周囲を傷つけることになります。
第二段階は、老子やニーチェが説いた「純粋と創造」です。第一段階を固めたうえで、打算や妬みから解放され、子供のような好奇心で新しい価値を生み出していきます。
現代の日本社会を見渡すと、第一段階のままわがままに振る舞う「幼稚な大人」か、あるいは第一段階は固めたけれど第二段階に気付かない「死んだ目をした大人」のどちらかに偏りがちです。
私たちが目指すべき「成熟」とは、決して感性が鈍り、物分かりが良くなって守りに入ることではありません。
「甘え」や「依存」という稚心を潔く去り、一人の自立した個人として立った上で、心の奥底にある「純粋な情熱」や「驚きの感性」を解き放つこと。この、一見矛盾する二つの要素を自分の中に同居させることこそが、真に豊かな大人の姿ではないでしょうか。