AirLand-Battleの日記

思い付きや素朴な疑問、常識の整理など、特段のテーマを決めずに書いております。

ちっとも名誉を感じさせない「名誉教授」「名誉会長」が生まれる背景は?

 世の中には、厳しい選別を勝ち抜き、長年の研鑽を積んで頂点に立ったはずの人物が、信じがたいほど非常識な言動で周囲を困惑させる事例が後を絶ちません。大学の名誉教授がSNSで一般人に暴言を吐き訴訟を乱発する、アマチュア競技団体の重鎮が審判の不正を指揮する、あるいは国会議員が公衆の面前で他者を侮辱する。さらには教育の場であるはずの大学スポーツで、監督が選手に危険な反則を強要するといった事件まで起こります。

 多くの人の中から選ばれ、高い地位にあるはずの彼らが、なぜこれほどまでに「人格」の問題を露呈させてしまうのでしょうか。日本社会は伝統的に上に立つ者に高い徳を求めますが、現実はその期待を裏切り続けています。この矛盾の正体と、組織がとるべき処方箋について、構造的な視点から整理してみましょう。

 

1. 「能力」の陰に隠れる「人格」の不在

 第一の原因は、選抜プロセスそのものにあります。組織がリーダーを選ぶ際、最も重視するのは「成果」や「突破力」です。危機を乗り越える決断力や、ライバルを圧倒する能力は数値化しやすく、評価が容易です。一方、「人格」は内面的なものであり、短期間で見極めることが極めて困難です。

 結果として、人格に多少の難があっても、圧倒的な利益や勝利をもたらす人物が優先的に選ばれます。心理学では「ダーク・トライアド」と呼ばれる、自己愛が強く、目的のために手段を選ばない冷徹な特性を持つ人物が、短期的には非常に魅力的なリーダーに見えることが指摘されています。彼らは競争を勝ち抜く「生存戦略」として、あえて非情な振る舞いを内面化している場合すらあるのです。

 

2. 権力という「毒」と環境の罠

 もともとは志の高い人物であっても、置かれた環境が人格を損なわせることもあります。特に「名誉職」や「創業者」といった、長期にわたって地位が固定される立場では、周囲からのチェック機能が消失します。

 これを「ハブリス(傲慢)症候群」と呼びます。権力を握り、周囲が忖度(そんたく)してイエスマンばかりになると、脳の認知機能が変化し、リスクを過小評価したり、他者の感情を無視したりするようになります。大学やスポーツ団体のような閉鎖的な「ムラ社会」では、外部の常識が届かないため、組織内の歪んだ論理が「正義」として増幅されます。監督の指示で反則を犯す選手のように、組織全体の倫理観がボスの色に染まってしまうのです。

 さらに、現代ではSNSがこの問題を可視化しました。かつては組織内だけで許容されていたボスの「非常識」が、ひとたびネットで拡散されれば、一般社会の常識と激しく衝突し、炎上を引き起こします。彼らは自分の属するミニ宇宙の規範が、普遍的な社会規範と解離していることに気づけないまま、自滅していくのです。

 

3. 日本社会の「徳治主義」という幻想

 日本社会特有の背景も無視できません。日本には古くから、リーダーは道徳的な完成者であるべきだという「徳治主義」の期待があります。しかし、この「人格者であってほしい」という願いが、皮肉にも問題を深刻化させています。

 欧米諸国では、人間は権力を持てば腐敗するという「性悪説」に基づき、人格ではなく「システム」でリーダーを制御しようとします。職務上の倫理(エシックス)を細かく言語化し、契約違反があれば即座に解雇する。また、権限を分散させ、外部の目が常に光る構造を作ります。

 対する日本は、リーダーの自制心や「善意」に頼りすぎる傾向があります。人格を抽象的な「徳」として捉えているため、問題が起きても「あいつは人格に問題がある」という感情的な批判に終始し、不正を生んだ構造そのものを変える議論(ガバナンスの構築)まで至りません。属人的な善意に頼る組織は、リーダーが変質した瞬間に、不正が横行する「無法地帯」へと転じやすいのです。

 

4. 「有能な嫌な奴」をどう制御するか

 では、人格に起因する不祥事を防ぐために、私たちは何ができるのでしょうか。特にリーダーシップが不可欠な中小組織や急成長企業において、その力を削がずに暴走だけを止めるのは至難の業です。

 成功している外国企業の共通点は、人格という曖昧なものを「具体的な行動規範」に翻訳している点です。例えば、ネットフリックスは「Brilliant Jerks(有能な嫌な奴)」を一切許容しないと明文化しています。どんなに高い成果を出していても、チームの士気を下げる人格的欠陥があれば、即座に解雇の対象となります。

 また、個人の「徳」に期待するのをやめ、物理的な仕組みを取り入れることも有効です。重要な意思決定をリーダー一人の直感に委ねず、事前に言語化された基準に照らし合わせるプロトコル化、あるいは社外役員やエグゼクティブ・コーチングといった「外気」を取り入れることで、リーダーの認知の歪みを矯正する試みも始まっています。

 

5. 教育としての「ガバナンス」

 こうした「ルールやシステム」による制御は、一朝一夕には身につきません。日本では長らく、人格は家庭や学校での道徳教育で育まれるものとされてきました。しかし、現代のリーダーに必要なのは、道徳心だけではなく、「組織というシステムを健全に保つための管理技術」です。

 本来、これは高度な専門教育を必要とする領域です。欧米のビジネススクールで教えられる「組織行動論」や、専門職に課される「職業倫理」のように、人格の問題を「システムのバグ」として捉え、構造的に対処する方法を教える機関が日本にももっと必要でしょう。

 「あいつは立派な人だから安心だ」という性善説的な期待を一度脇に置き、誰が上に立っても暴走させないための「言語化されたルール」を持つこと。それこそが、リーダーを人格の崩壊から守り、組織を救う唯一の道です。

 人格を個人の内面の問題として放置せず、組織のパフォーマンスを支える「機能」として捉え直す。この視点の転換が、今、日本のあらゆる組織に求められています。

 あなたは自分の組織のリーダーが「壊れ始めた」とき、それを指摘できる仕組みを持っていますか?それとも、ただ「あの人の人格が……」と囁き続けるだけでしょうか。

 

 

 

******** 2026年4月11日追記 ********

 以前に「頭は良いはずなのにちっとも知性的でない人がいること」という題名で投稿したことがありましたが、今回もほとんど似たような内容になってしまったかな.....

 ともかくこうした「病理」は他者に向けた批判ではなく、あくまで自戒としておきたいと思いませんか?