現代人は人生の岐路に立つとき、あるいは組織を率いる立場になったとき、そばしばリーダーシップの「正解」を求めて書を求めます。古今東西、権力の頂点に立った者たちもまた、同じ孤独と責任を抱えていました。その彼らが、自らを律し、国家を導くための指針とすべきとした学問、それが「帝王学」と呼ばれるものです。
しかし、いざ「帝王学を学びたい」と思い立って書店を巡ると、ある壁にぶつかります。中国古典だけでも『貞観政要』『資治通鑑』『商君書』と、実にさまざまな書物が挙げられており、どれが本当の「帝王学の書」なのかが判然としないのです。
実は、「帝王学の書」には「これさえ読めば完璧」という唯一無二の決定版は存在しません。なぜなら、目指すべき王の姿が「徳による平和」なのか「法による秩序」なのか、あるいは「生き残るための力」なのかによって、選ばれるべき主義志向が異なるからです。
本稿では、東洋、日本の武家政権、そして西洋という三つの視点から、歴代の支配者たちが何を座右の書としてきたのかを幾つか挙げて、そのさわりに触れたいと思います。
1. 中国古典の帝王学
中国の長い歴史の中で、多くの思想家や皇帝が「理想の統治」を論じてきました。その中で、多くの人が個々に挙げる「定番」には、それぞれの主義志向があります。
まず、守成(維持)の書として名高いのが『貞観政要』です。唐の太宗(598~649)と臣下たちの問答を集めたこの本は、リーダーがいかに部下の耳の痛い忠告(諫言)を受け入れ、謙虚さを保つべきかを説いています。権力者が陥りやすい傲慢を戒めるための、精神的な支柱と言えます。
次に、ケーススタディの宝庫として重用されたのが『資治通鑑』(1084年)です。「歴史を政治の鑑(かがみ)とする」という名の通り、紀元前からの興亡の歴史を司馬光(1019~1086)が編纂したもので、毛沢東(1893~1976)が生涯で17回も通読したというエピソードがその実用性を物語っています。
そして、リーダーの自己修養を説く『大学』があります。これは「まず自分を律し、家を整え、その先に初めて国家の統治がある」という段階的な成長を説く儒教の根本経典です。
一方で、より冷徹な現実主義を説く書物も存在します。『商君書』や『韓非子』といった法家の書です。これらは、人間の善意に頼るのではなく、厳格な法と報酬、そして罰によって組織を動かす技術を教えます。中国の皇帝たちは、表向きは『大学』のような徳を語りつつ、裏ではこうした法家の知恵を使って権力を維持するという「外儒内法」のスタイルを伝統としてきたことが分ります。
2. 日本の武家政権にとっての帝王学
日本の歴史に目を向けると、鎌倉時代以降は「武家政権」という特異な政治体制が続いていることが特徴的です。天皇や公家とは異なり、武力で秩序を保たねばならなかった将軍や大名たちは、文官を兼ねながらより実務的に、生存に直結する知恵を求めました。
鎌倉・室町時代の武士にとって、最高の教科書は中国の古典だけでなく、自分たちの「先例」でした。幕府の公式記録である『吾妻鏡』は、武家政治の理想像を確認するための必読書となりました。また、戦国時代には各家で『今川状』のような「家訓」が作られ、一族が生き残るための具体的な教訓が語り継がれました。
江戸時代に入り、世の中が安定すると、徳川家康をはじめとする統治者たちは、再び中国の体系的な学問に光を当てます。家康が特に重視したのは、中国の歴代の政治の要諦をまとめた百科事典『群書治要』でした。これを印刷・普及させたことは、武士を「戦う集団」から「治める集団」へと変貌させるための国家プロジェクトでもありました。
また、江戸の指導者層には、朱子学の入門書である『近思録』が広く普及しました。さらに、武士としての戦略的思考を養うために、『孫子』や『呉子』といった武経七書、武田信玄(1521~1573)の軍略を記した『甲陽軍鑑』、徳川家の苦闘を伝える『三河物語』なども、精神を鍛える座右の書として読み継がれました。
3. 西洋の皇帝たちの帝王学
「帝王学」という言葉から、古代ギリシャ・ローマや中世ヨーロッパの君主を思い浮かべる方も多いでしょう。西洋にもまた、「鏡の書(プリンスのための鏡)」と呼ばれる、君主があるべき姿を映し出すための独自の文学ジャンルがありました。
古代において、リーダーシップの理想とされたのは、クセノポン(B.C.427~B.C.355)の『キュロスの教育』です。ペルシャの開祖をモデルにしたこの物語は、後のマキャヴェリ(1469~1527)さえも絶賛した西洋帝王学の元祖です。また、ローマの賢人キケロ(B.C.106~B.C.43)による『義務について』は、公人としての道徳を学ぶバイブルとされていました。
中世に入ると、宗教的な側面が強まります。フランク王国のカール大帝(748~814)はアウグスティヌス(354~430)の『神の国』を愛読し、地上に神の理想を実現しようとしました。しかし、ルネサンス期にマキャヴェリが『君主論』を著すと、帝王学は劇的な変貌を遂げます。「愛されるよりも恐れられろ」という冷徹な権力掌握術は、良識ある人々を驚かせましたが、神聖ローマ帝国のカール5世(1500~1558)などの実力者たちはこれを密かに学び、政治のリアリズムを磨きました。
その後、絶対王政の時代にはボシュエ(1627~1704)の『聖書から引き出された政治』が王権の正統性を裏付け、啓蒙主義の時代にはフリードリヒ大王(1712~1786)がヴォルテール(1694~1778)の一連の著作に触れながら「国家第一の僕」という新しい君主像を模索しました。さらに、ナポレオン(1769~1821)のような英雄は、『プルタルコス英雄伝』を読み耽り、過去の英雄たちの行動を自らの戦略に取り入れました。一方、哲人皇帝マルクス・アウレリウス(121~180)は『自省録』の中で、権力者である前に一人の人間としていかに生きるべきかを問い続けていました。
帝王学の書の3類型
こうして概観しつみると、東西を問わず、支配者たちが手にした書物には類型があるように思えます。それは、以下の3項目の問いへの答えを探しているということではないでしょうか。
- 自分自身をいかに律するか(修身)
- 部下や組織をいかに動かすか(統治)
- 歴史の教訓をいかに現代に活かすか(判断)
東洋ではそれが儒教的な道徳や『貞観政要』のような問答になり、西洋では『君主論』のような技術論や英雄伝の物語になりました。 歴史上の偉人たちが、数千年の荒波を越えて残してきたこれらの書物は、現代を生きる私たちにとっても、確かな羅針盤となってくれるかもしれません。