AirLand-Battleの日記

思い付きや素朴な疑問、常識の整理など、特段のテーマを決めずに書いております。

『小並感』の気持ちを大切に

 インターネットの掲示板やコメント欄を眺めていると、しばしば「小並感(こなみかん / しょうなみかん)」という言葉に出会います。「学生みの想」を略したこの自虐的なネットスラングは、自分が抱いた感動や思考をうまく言葉にできず、結局「すごかった」「面白かった」という幼稚でつまらない表現に落ち着いてしまった際の、ある種の諦めや照れ隠しとして使われています。

 しかし、この「小並感」という言葉に宿る、自らの表現力不足を嘆く気持ちも、少し見直してみれば大切にすべきことではないでしょうか。なぜなら、その嘆きは「もっと的確な語彙で、有益な何かを伝えたい」という、知的な向上心の裏返しだからです。

 現代社会では「活字離れ」が嘆かれて久しく、短く刺激的な言葉ばかりが消費されています。そんな中で、自分の語彙のなさや表現力不足に「下を向く感性」を持っているということは、名文や洒脱な表現を尊重する「上向きの意志」をまだ失っていない証拠だと考えられます。

 では、どのようにして「小学生並みの感想」を脱し、自身の思考の解像度を上げた文章を綴れるようになるのでしょうか。語彙力を単なる「英単語の暗記」のような知識の貯蔵としてではなく、血肉化された「表現の道具」に変えていくための具体的な処方箋を考えてみましょう。

 

1. 思考の「解像度」を上げる

 私たちが「面白い」という一言で済ませてしまうとき、脳内では何が起きているのでしょうか。おそらく、そこには無数の微細な感情や発見が混ざり合っているはずです。文章の策案能力や推敲能力を向上させる第一歩は、この混ざり合った「具体」と、まとめた「抽象」の間を往復することにあります。

 認知科学の世界には「抽象の梯子」という概念があります。例えば「この本は有益だ」というのは梯子の高い位置にある抽象的な表現です。ここから梯子を下りて具体化してみるのです。「この本の第3章の認知バイアスの解説は、昨日の会議での失敗の原因を鮮やかに説明してくれた」というように、もう少し具体的な例示を加えるようにしてみるということです。

 逆に、個別の出来事から「つまり、これはサンクコスト(埋没費用)に囚われた人間の脆弱性の話だ」と、一段高い概念へ上って抽象的にしてみることも重要です。この梯子の往復運動こそが、文章に深みと説得力を与えます。

 

2. 自分なりの「評価の物差し」

 「小並感」に陥るもう一つの原因は、対象を評価する自分なりの軸(基準)が言語化されていないことにあります。

 有益なコメントや文章を書く人は、あらかじめ自分の中に複数の「物差し」「着目点」を持っています。例えば、ある映画を観た際に「脚本の論理的整合性」「映像がもたらした情緒的インパクト」「現代社会における意義」といった三つの軸で観測してみる。

 基準が決まれば、それに呼応する語彙は自然と引き出されます。単に「良かった」と書くのではなく、「論理的には破綻していたが、情緒的な訴求力において比類なき体験だった」と書くことができれば、それはもはや小学生の感想ではありません。

 

3. 古典的知恵「三多」

 文章修練の王道として、宋代の文人・欧陽脩(1007~1072)が説いた「三多(さんた)」という教えがあります。多読(看多)、多作(做多)、多考(商量多)の三つです。

 これを現代的に解釈するなら、ただ漫然と読むのではなく、なぜこの人の文章はリズムが良いのか、なぜ説得力があるのかという「メタ視点」で読むこと(看多)。そして、型を意識して書くこと(做多)。結論・理由・具体例・再結論という「PREP法」のようなフレームワークを使い倒し、脳に出力の経路を物理的に定着させる訓練です。

 そして最も重要なのが、商量(吟味し、考えること)です。「もし自分が反対の立場ならどう書くか?」という反論のシミュレーションを脳内で行うことで、文章に客観的な視点と、他者への配慮が加わります。

 

4. リズムとセンスの正体

 上級の作文能力として語られる「センス」や「リズム感」は、決して天賦の才だけではありません。それは「良質なストック」と「聴覚的な推敲」の集積です。

 リズム感のある文章とは、読者の呼吸に合致した文章です。これを身につけるには、自分が「美しい」と感じる名文を音読し、あるいは写経することが有効と言われています。句読点の位置、一文の長短の対照を身体的に覚え込ませるのです。

 また、センスが良いと感じさせる文章は、あえてすべてを説明しない「余白」を操っています。「彼は非常に後悔した」と直接的に書く(叙述する)のではなく、「彼はその晩、何度も鉛筆を削り直した」と、動作で語らせる(描写する)。こうした「換喩」の手法は、読者の想像力を信頼し、文章に奥行きを与えることができます。

 

5. 語彙を「動員」せず「配置」する

 ここで注意すべきは、語彙力とは「難しい言葉を知っていること」ではないという点です。いわゆる「死語」とされる古語や、衒学的な専門用語を濫用すれば、知識は褒められるかもしれませんが、実際のところ、心に届く名文には近づけません。

 漢語は論理を固めるために、和語は情緒に訴えるために、カタカナ語は客観的なスピード感を出すために。言葉を「意味」だけでなく「機能」で選び、配置する感覚が重要です。

 最も平易な言葉を使って、誰もが避けて通れない深い真理を射抜く。これこそが、私たちが目指すべき表現の地平ではないでしょうか。

 

おわりに

 「小並感」という自虐の裏側にある、「もっとうまく伝えたい」という渇望。その気持ちを、どうか捨てないで欲しいと思います。自分の表現の稚拙さに絶望したとき、それは「理想の文章」という高みを見上げているということになります。