AirLand-Battleの日記

思い付きや素朴な疑問、常識の整理など、特段のテーマを決めずに書いております。

本当に「精神年齢」の高い人とは

 今回は、日常で時折り使っている「精神年齢」という専門用語の意味、そして「本当の意味での精神的成熟」という点ついて少し考えてみたいと思います。

 巷ではよく「あの人は精神年齢が高いから落ち着いている」とか「いい大人なのに精神年齢が低い」といった会話を耳にすることがあるはずです。しかし、心理学や福祉の専門的な視点からこの言葉を確認してみると、私たちが抱いているイメージとは少し異なる、別の真実が見えてきます。

 私たちが目指すべき「成熟」とは一体何なのか。知能、社会性、そしてそれらを育む環境という三つの視点から整理してみましょう。

 

「精神年齢」

 さて、もともと専門用語としての「精神年齢(Mental Age)」は、知能検査の結果を分かりやすく示すための指標として誕生しました。

 20世紀初頭、フランスの心理学者アルフレッド・ビネー(1857~1911)が開発した世界初の知能検査において、「その子の知能が、何歳児の平均的な水準に相当するか」を測ったのが始まりです。例えば、実年齢が5歳の子が8歳児レベルの問題を解ければ「精神年齢は8歳」となります。かつてのIQ(知能指数)は、この精神年齢を実年齢で割り、100を掛けて算出されていました。

 つまり、精神年齢とは「認知能力や学習能力の到達度」を指すものであり、必ずしも「人格の完成度」や「情緒の安定」を保証するものではありません。勉強は驚くほどできるけれども、自分の感情をコントロールできなかったり、他者への配慮に欠けたりするケースがあるのは、この「知能」と「成熟」が別次元の概念としていたのです。

 

日常生活で言われる「大人びている」の意味

 では、私たちが日常で「あの人は大人だ」と感じる時に、無意識に評価しているのは何でしょうか。それは知能指数の高さではなく、次のような多元的な「成熟」の要素が見られると考えられます。

 まず挙げられるのが「心理社会的成熟」です。これは社会の一員として適切に機能し、他者と良好な関係を築きながら、自分の足で立つ(自律する)能力を指します。 また、ストレスや不測の事態に直面してもパニックにならず、自分の感情を客観的に捉えて建設的に対処できる「情緒的成熟」も欠かせません。これらは1990年代から話題になった「心の知能指数」とも呼ばれる「EQ」と深く関わっています。

 さらに高い次元では、人生の矛盾や不確実性を受け入れ、広い視野で物事を判断できる「賢慮」、そして自分の潜在的な可能性を社会のために発揮しようとする「自己実現」といった概念が含まれます。

 これらを総称して、私たちは「あの人は精神年齢が高い(=成熟している)」と呼んでいるのです。

 

「社会性」

 ここで注目したいのが「社会性」という視点です。 上述の「知能」や「感情抑制」といった要素は、個人の内面的なスペック(何ができるか)と言えます。しかし、社会性とは「自分以外」の他者や環境に対して、その能力をどう機能させるかという、外に向けられたスペックを表すこととして考えてみましょう。

 真に社会性が高い状態ならば、自分の正しさを証明するために相手を論破すること(知能の行使)ではなく、その場の状況や相手の感情を読み取り、全体の調和を保ちながら目的を達成する(社会性の行使)ことができる状態を指します。 周辺の人にとって、その人が「大人である」と判断する最大の軸は、この社会性が生み出す「予測可能性」と「安心感」に他なりません。

 

「いい人の演技」には陥らないこと

 こうした成熟を目指す上で、非常に重要な注意点があります。それは「社会性が高いと評価されたいから、そのような『いい人』を演じる」という考え方(外発的動機)です。

 周囲の目を気にして、あるいは罰を避けるために「聞き分けの良い大人」を演じている状態は、実は真の成熟から遠ざかっています。なぜなら、そこには「自分はどうありたいか」という自発的な意志が欠けているからです。評価を気にするあまり、自分の内面的な欲求を抑圧し続けると、人格の円満な形成(自己実現)は止まってしまいます。

 

環境要因

 では、どうすれば「演じる」のではない、本物の成熟を育むことができるのでしょうか。ここで非常に重要な役割を果たすのが、周囲の大人や教育者といった「環境」の接し方です。

 発達心理学において、人間が内発的に成長するためには「自律性」「有能感」「関係性」の三つが満たされる必要があるとされています。 周囲が「ありのままのあなたで安全だ」という無条件の安心感を提供し、「自分で選んでいい」と信頼して委ねる環境。こうした「心理的安全性」がある場所で初めて、人は失敗を恐れずに試行錯誤し、深い知恵や情緒的成熟を獲得することができます。

 逆に、大人が「正解」を押し付け、「条件付きの肯定(成績が良い時だけ、大人しい時だけ褒める)」を繰り返す環境は、子供や学習者に「大人びた演技」を強要する檻となってしまいます。

 大人がまず、自分の失敗を認め、他者と誠実に語り合い、困難に知恵を持って立ち向かう背中を見せること。その背中を見ていた子供には、(ときには建前になってしまいがちな)言葉によるどんな教育よりも強力なメッセージとして、成熟を促す材料となるはずです。

 

 

本当の意味での精神的成熟

 本来の専門用語としての「精神年齢」は知能の指標ですが、一般人が口にするような目指すべき真の「精神年齢の高さ」は、高い知能を持ちつつも、それを社会というネットワークの中で調和的に運用できる高度な社会性を備えることであると考えられます。そして、その成長を支えるのは、受験テスト(一種のパズル)に向けた学習を通じて獲得する「知能」や、「EQ」に代表される情緒の安定を評価・指向することだけではなく、信頼と自律を重んじる周囲の人間「環境」がカギになっていると思います。