AirLand-Battleの日記

思い付きや素朴な疑問、常識の整理など、特段のテーマを決めずに書いております。

国会議員はむしろ増やすべきでは?

 今回は、今の日本で「常識」とされている政治改革の方向に、あえて一石を投じてみたいと思います。それは、「国会議員の定数は増やすべき」というものです。これは決して天邪鬼で奇をてらった提案ではなく、あくまで素朴な疑問に基づくものです。

 多くの人は「身を切る改革」として、議員定数の削減こそが正しい道だと信じています。しかし、本当にそうでしょうか?議員を減らすことが、かえって私たちの首を絞め、政治の質を下げているのではないか。そんな視点から、この「逆転の発想」の合理性について説明したいと思います。

 

1. 「一票の価値」

 まず、ゼロベースで考え直してみると、「一票の価値」は、歴史的に見ると軽くなっているという点です。

 常識ないし定例になっていますが、選挙のたびに「一票の格差(選挙区ごとの票の重みの違い)」はニュースになります。しかし、私たちがそれとは別に注目すべきは、過去と現在を比較したときの「絶対的な一票の重みの低下」ではないでしょうか。

 日本の国会が誕生した明治23年、当時の人口は約4,000万人で、衆議院の定数は300人でした。計算すると、議員1人が代表する国民は約13.3万人です。 現行憲法のもとで初めて行われた昭和22年の選挙では、人口約7,800万人に対し、定数は466人。議員1人あたり約16.7万人を代表していました。

 ところが現在はどうでしょう。人口は約1億2,400万人に対し、定数は465人。議員1人が背負う国民の数は、約26.6万人にまで膨れ上がっています。

 明治時代と比較すれば、私たちの一票の影響力は、算術的に「半分」にまで薄まっているのです。人口が増え、社会がこれほど複雑化しているのに、それに負託を受けたリーダーとして対応する責にある国会議員の数は増えていない。これでは、国民一人ひとりの声が届きにくくなるのは、ある意味で当然と言えるのではないでしょうか。

 

2. 「裾野を広げる」

 「議員を増やせば、質の低い議員も増えるだけではないか」という批判も聞こえてきそうです。しかし、これは「裾野を広げれば、それだけ高くできる」という理屈と同じに考えることもできるはずです。

 定数を極端に絞り込んでしまうと、当選できるのは「誰からも嫌われない無難な人」や「強力な組織票を持つ人」ばかりになります。その結果、似たようなバックグラウンドを持つ人ばかりが集まる「政治の同質化」が起こり、議会から活発なアイデアが消えてしまいます。

 逆に定数を増やすことで、当選に必要な票のハードルを適度に下げれば、特定の分野に特化した「尖った専門性」を持つ人材が入り込む余地が生まれます。多様性の尊重が十分に認識された今日では、この点については理解し易い考え方でしょう。

 100人の中から10人選ぶのと、1000人の中から100人選ぶのとでは、どちらが「突出した天才」を拾い上げる確率が高いでしょうか。分母を広げることは、国会という組織の中に、多様な知見と新しい競争原理を持ち込むための、最も単純ながら強力な手段であると思います。

 

3. 具体的な選出方法の一案

 では、単に数を増やすだけでなく、少しでも「品の高い」議員として、どのような人たちが国会に加わるようにすべきでしょうか。ここではやや乱暴ではありますが、現在の閉塞感を打ち破るための具体的な選出のアイデアを提案してみたいと思います。

 例えば、各政党の比例代表の名簿上位に、特定の専門性や背景を持つ人たちのための「指定枠」を設けるという方法です。

  • 企業経営の経験者: 予算の使い道、組織の効率化、そして何より「決断のスピード感」を知る経営者が加わることで、行政の無駄を徹底的に排除する視点が生まれます。

  • 叙勲受章者や各界の重鎮: 長年一つの道を究めた科学者や文化人を「知の重し」として迎え入れます。彼らは次の選挙を気にせず、国家の100年先を見据えた議論ができるはずです。

  • インターネットを通じた選出: 地元の地盤や組織を持たなくても、全国の有志から支持される「本当に議員になってほしい人」をデジタルの力を借りて吸い上げます。もちろん議員となるのを受け容れるか否かは本人の意思で最終決定することとしましょう。(組織票やハッキングの危険は留意しておく必要があります。現役の芸能人やスポーツ選手は上手く除外しなければならないでしょう。)

  • 女性枠の拡充: 生活に根ざした視点を政治の意思決定のど真ん中に強制的に組み込むことで、これまでの男性中心の政治では見落とされてきた課題に光を当てます。

 これらの多様な属性が混ざり合うことで、国会は「単なる権力争いの場」から「社会の英知を結集する場」へと少しは変貌してゆけるのではないでしょうか。

 

4. 憲法の方針

 日本国憲法は、国権の最高機関として国会を位置づけ、独裁や一部の人間による寡頭政治を強く否定しています。つまりより多くの民意を聞くことのできる、衆議に基づく政治運営を大原則としているはずなのです。

 しかし皮肉なことに、国民の支持を得やすい「定数削減」を進めれば進めるほど、権力は少数の議員に集中しやすくなります。議員の数が少なくなれば、党幹部の意向一つで物事が決まるようになり、多様な民意が切り捨てられるリスクが高まります。

 実際のところ、これまで行われてきた国会議員の定数削減の際にも、やはりこうした指摘はありました。その指摘に対しては、独裁政治や寡頭政治につながるような極端な削減をしないことや立法府の効率化という点において国民の利益につながるもの、という判断に落ち着いたということです。

 それでも今回の議員を増やすという主張には、憲法が目指した「国民の代表による統治」という方針に基づき、現代の人口規模に合わせて正しく対応しようとする試みと解することができるはずです。

 

民主主義のインフラ投資

 もちろん、議員を増やせばそれだけ税金が使われます。しかし、質の低い政治によって生じる「失われる国益」の損失額に比べれば、有能な人材を数百人増やすためのコストは、決して高いものではありません。

 「安かろう悪かろう」の政治を追求するのではなく、1.2億人の多様な意思を適切に処理できるだけの「十分なキャパシティ」を国会に持たせること。

 議員数を増やすという選択は、決して贅沢ではなく、国の未来を守るための「民主主義というインフラへの投資」なのです。削減することが正義だという思い込みを一度捨て、この「裾野を広げる」という選択肢を、真剣に検討してみる価値は十分にあるのではないでしょうか。

 

 

 

******** 2026年5月5日追記 ********

 以前に「議席数を根本的に考え直す」という題名で投稿したことがありましたが、今回も同様の主張を別の材料から紹介するというものになりました。個人的には十分に納得されうる内容であると思うのですが、それでも「議員はたくさんいても意味が無い」というのが一般的な理解なのでしょうね.....