今日は、最近の道行く風景に浸透しながらも、日本社会の「寛容さ」を問い直している、ある奇妙なデザインの公共設備について深く掘り下げてみたいと思います。
「歓迎」と「拒絶」
最近、街中で妙な形のベンチを見かけることはありませんか? 座面の中央に不自然な手すりがついていたり、そもそも座面が極端に傾いていて、座るというよりは「寄りかかる」ことしかできなかったり。あるいは、高架下の平らな地面に、突如としてゴツゴツとした岩が並べられたり、鋭い金属製のトゲが設置されたりする光景。
これらは、専門用語で「排除型設計(ホスタイル・アーキテクチャ)」、あるいは「アンチホームレス設備」と呼ばれています。アメリカでも同種の設備が存在しているということです。
排除型設計とは何か
これらのデザインの目的は、実は非常にシンプルです。特定の場所で「寝泊まりする」「長時間滞在する」といった行為を、物理的に不可能にすることにあります。
例えば、ベンチの中央にある仕切り。あれは一見、パーソナルスペースを確保するための配慮に見えますが、真の目的は「横になって眠る」ことを防ぐことにあります。また、海外で見られるスプリンクラーの深夜稼働や、若者や路上生活者の滞留を防ぐための高周波音(モスキート音)なども、五感に訴える排除の形です。
こうした設備を目にしたとき、私たちは二つの相反する感情を抱きます。「ここまでしなくても……」という不寛容さへの嘆きと、一方で「これで安心して歩ける」という安堵感です。
ルンペン罪と秩序
ここで少し、法律の視点からこの問題を眺めてみましょう。日本にはかつて「浮浪罪」という言葉があり、現在も軽犯罪法第1条4号には、いわゆる「ルンペン罪」と通称される規定が存在します。
その内容は、「働く能力があるのに働く意思がなく、住居を持たず諸方をうろついている者」を拘留や科料に処するというものです。この法律の根底にあるのは、職や住居を持たない不安定な状態が「犯罪の予備軍」になりやすいという防犯上の懸念や、公共の場所を占有することへの秩序維持、そして「勤労」という国民の義務を促す道徳観でした。
もちろん、現代においては、経済困窮や疾患は「福祉」の問題であり、単に家がないこと自体を罪に問うのは、憲法が保障する「移動の自由」や「個人の尊厳」に対する侵害ではないか、という強い懸念があります。住居がないことを罪とすれば、その人は生きているだけで常に犯罪状態にあることになってしまうからです。
とはいえ、この法理上の議論と、現場の住民感情との間には、大きな隔たりがあるのも事実です。
統計上では減少しているが......
ここで客観的に日本のホームレス(路上生活者)の「数」を確認してみると、この20年で10分の1程度にまで激減しており、過去最少を更新し続けています。しかし、それにもかかわらず、なぜアンチホームレス設備は増え続け、人々の議論を呼ぶのでしょうか。
背景にあるのは、問題の「質」の変化です。 かつてのような多人数による集団生活は減りましたが、残された方々の高齢化や路上生活の長期化が進んでいます。そうなると、特定の公共スペースを24時間「占有」し、荷物を広げて私物化するケースが目立つようになります。
地域住民や通行人からすれば、ベンチが誰かにずっと独占されている状態を見れば、「本来の公共性」が失われたと感じます。子供を遊ばせる親や高齢者にとって、予測できない行動をとるかもしれない存在への不安は、理屈を超えた切実なものです。ゴミの放置や衛生状態の悪化といった維持コストも、最終的には住民の税金や負担としてのしかかります。
つまり、ホームレスの数こそ減ったものの、残った一部の事例に対する住民の不満や不安が、社会の許容限度(寛容さ)を超えてしまっている、というのが、現在の都市の実状なのです。
副作用
こうした実情に対して行政や施設管理者が選んだのが「物理的な排除」でした。法律で無理やり追い出そうとすれば人権侵害だと批判されますが、最初から「寝られないベンチ」を置くのであれば、法的な紛争を避けつつ、目的を達成できるからです。
しかし、ここには「副作用」が生じます。 寝られないように設計されたベンチは、体調が悪くなって少し横になりたくなった人や、重い荷物を持って休みたくなった高齢者にとっても不便になっているという余波です。特定の誰かを排除しようとした刃は、結果として地域住民や通行人の全員に向けられ、一時の休憩場所を提供するという本来の目的と機能の一部分を奪っていきます。
アンチホームレス設備は、いわば社会問題に対する現場の弥縫策のひとつに過ぎません。ほころびを隠し、視界から遠ざける役目はある程度果たしますが、ホームレス状態を生む経済的な格差や、孤立という根本的な社会病理を治す方策ではありません。
ではどう向き合うべきか
「都市の秩序を守るために、こうした設備は順当な対応である」という意見は、非常に現実的で論理的なものです。地域住民からの声に基づく公共の利益を守るための防犯措置として、その一定の合理性は誰も否定できないでしょう。
一方で、それらの殺伐としたデザインを見るたびに、日本社会が他者の困窮に対してどれほど冷淡に、不寛容になっているかを見せつけられるのも事実です。
アンチホームレス設備が普及した背景には、不安と正当性があります。しかし、排除によって一時的な平穏を得た先に、地域にどのような未来があるのか。誰もがいつかは弱者になり得るという視点を持ちながら、「秩序と寛容のバランス」や「公共空間のあり方」について、今一度冷静に議論を重ねる必要があるのではないでしょうか。