今回は、知っているようで意外に知られてない「世界の料理」文化の歴史と、「和食」の世界的評価について少し調べていたいと思います。
ときおり耳にする「世界三大料理」という言葉がありますが、これはフランス料理、中国料理、そしてトルコ料理を指すのが一般的です。ここにスパゲッティやピザで大人気のイタリア料理は入っていないのに不満な人がおられるかもしれませんね。また、インドやメキシコ、タイあたりも現代では多くの人にとってなじみのある料理文化になっていますが、ここではランク外です。
そしてここでふと疑問に思うことはありませんか?「寿司やラーメン、天ぷら、抹茶などで相当程度有名になった日本料理は入っていないのか?」と。
この背景には、世界と日本の歴史と、日本独自の価値観があるのです。今回はその謎を解き明かし、なぜ現代において「和食」が世界中の人に知られる文化にまで育まれたのか、その軌跡を辿ってみたいと思います。
「世界三大料理」は帝国の遺産
まず、なぜフランス、中国、トルコの3つなのか。その共通点は、かつて広大な領土を支配した「強大な帝国の宮廷料理」であるという点です。
フランス料理はブルボン王朝、中国料理は歴代の中華王朝、トルコ料理はオスマン帝国。これらの国々では、皇帝や王の権威を示すために、各地から最高の食材と熟練の料理人が集められました。そこでは、莫大な予算と「手間」「時間」「希少性」をかけた、圧倒的な「足し算の豪華さ」が追求されたのです。
なおこの「三大」という選出には、明確な学術的出典や権威ある選定手続きはありません。19世紀のヨーロッパで美食批評が確立された際、あるいは日本が明治以降に知識を導入する際に便宜的に定着した概念だと言われています。当時の評価基準は、いかに複雑なレシピを体系化し、豪華な宮廷文化を築いたかにあったため、島国で独自の進化を遂げていた日本料理は、その枠組みから外れていたのです。
なぜ日本には「豪華な宮廷料理」が育たなかったのか
ここで一つの疑問が浮かびます。日本も上記の三大国のように長い歴史を持ち、朝廷や幕府といった権力者が存在したはずです。それなのに、なぜ三大国のような、贅を尽くし、圧倒的に豪華絢爛な美食文化が育たなかったのでしょうか。
これには、日本特有の社会文化と地理的条件、精神性が大きく関係しています。
第一に「肉食の禁忌」です。675年に天武天皇(?~686)が肉食禁止の詔を出して以来、日本では1200年以上もの間、公に肉を食べない文化が続きました。世界三大料理の豪華さの源泉は、家畜の肉とその「脂」による味の重厚さです。しかし、大規模な牧畜に向かない地形と仏教的価値観により、日本料理は「脂」を抜きにして、「水」と「出汁」で味を構成する極めて珍しい進化を遂げることになります。
第二に、支配層の価値観です。中世以降の主役であった「武士」は、質素倹約を美徳としました。美食に溺れることは心身を鈍らせる恥ずべき行為とされ、儀式的な「本膳料理」も、味の快楽より序列の確認が優先されました。さらに禅宗の「精進料理」から生まれた「一汁一菜」や「足るを知る」という精神が、最高の贅沢を「豪華な盛り合わせ」ではなく「極限まで削ぎ落とした一椀」に見出すという、独自のミニマリズムを生んだのです。
つまり、日本には贅沢をする経済力がなかったわけではなく、贅沢のベクトルが「加法(足し算)」ではなく「減法(引き算)」に向いていたのです。素材の鮮度を尊び、包丁一本でその持ち味を引き出す。人為的な加工を最小限に抑える「引き算の美学」は、世界の宮廷料理とは真逆の哲学があったのでした。
一応は、ときどき「宮内庁御用達」という添え書きのついた銘菓や特産品を見ることがあります。しかしそれらは単品であって、料理文化を形成しているといえるものではありません。
江戸庶民の文化と明治の文明開化
そんな地味でストイックとも言える日本料理が、なぜ今、世界中で「最高峰の美食」の一角と認められているのでしょうか。その逆転劇の種は、江戸時代に撒かれていました。
宮廷料理が発展しなかった一方で、江戸時代には世界でも稀な「高度な庶民食文化」が花開きました。100万都市・江戸の屋台で生まれた寿司、天ぷら、蕎麦。これらは、権力者の命令ではなく、目の前の客を喜ばせようとする職人たちの切磋琢磨によって磨かれました。
そして明治維新。1200年の封印を解かれた「肉食解禁」という衝撃を、日本人は驚異的な適応力で飲み込みました。西洋の技術を単に真似るのではなく、醤油や米といった自国の文化と融合させ、トンカツやすき焼きといった「和洋折衷」の傑作を生み出しました。
現代の価値観が「和食」を再発見した
21世紀に入り、世界の価値観は劇的に変化しました。かつての「権力の象徴としての豪華さ」に代わり、人々は「健康」「持続可能性」「職人技」を求めるようになりました。
ここで、日本が長年培ってきた「制約の中での工夫」の価値が脚光を浴びるようになります。 魚の鮮度を科学的に管理する「活け締め」の技術、素材を宝石のように扱う繊細な盛り付け、そして一品を極めるために数十年を捧げる職人たちの求道的姿勢。これらが、健康志向や目にも麗しい視覚文化、そしてミシュランガイドのような細部を評価するシステムと完璧に合致したのです。
今や、東京は世界で最もミシュランの星が多い都市となり、もしも仮に「世界四大料理」を選ぶなら、イタリア料理と日本料理とでその一角を争うと目されるのではないでしょうか。
知的な贅沢
こうして振り返ると、日本料理の歩みは世界的にも稀有な歴史であるといえるでしょう。大規模な牧畜ができず、肉食を禁じられ、質素を美徳とした。一見すると「美食」には不利な条件ばかりが並んでいました。
しかし、その「持たざる制約」こそが、素材本来の声を聴き、鮮度を極限まで追求するという、世界で唯一無二の洗練を生み出す原動力となったのです。
「世界三大料理」というクラシックなランキングには収まりきらなかった和食。それは、帝国の遺産ではなく、日本の気候、宗教、そして名もなき職人たちの工夫が積み重なってできた、人類の新しいかたちの文化遺産と言えるのかもしれません。