経済学の世界には、古くから語り継がれる言葉があります。そのひとつが「経済学は社会科学の女王である」という有名な文句です。
現代社会において、ニュースを開けばGDPの増減や円相場の変動、あるいはインフレ率といった「経済」の数字を目にしない日は無いでしょう。ところで、なぜ経済学は「王」ではなく「女王」と呼ばれるのでしょうか。そして、もし経済学が「女王」であるならば、その隣に君臨しているはずの「王」は一体どの学問を指すのでしょうか。
今回は、社会科学の世界を見渡し、社会を形作るさまざまな学問の役割について確認してみたいと思います。
「女王」の地位を宣言した人物
この「社会科学の女王」という言葉を世界中に広めたのは、アメリカの経済学者ポール・サミュエルソン(1915~2009)です。彼が第二次世界大戦直後の1948年に出版した教科書『経済学』は、累計発行部数が数百万部に達し、数十の言語に翻訳された驚異的なベストセラーです。
サミュエルソンはこの本の中で、経済学を「女王」と呼んでいるのです。これは19世紀の数学者ガウス(1777~1855)が自らの専門領域について述べた中で、「数学は科学の女王であり、数論は数学の女王である」と称したことへの敬意あるオマージュになっています。
では、なぜ「王」でなく「女王」なのでしょうか。そこには西洋では常識であるチェスの駒としてのクイーンが持つ動きが隠喩となっているのです。クイーンは日本の将棋でいう飛車(ルーク)と角行(ビショップ)を合わせたような万能の機動力を持っています。経済学は社会科学の中においてこれに相当すると見なしているのです。もともとは市場や景気を分析する学問でしたが、現代では「インセンティブ」や「資源の最適配分」といった要素も研究対象に組み込むことで、結婚や出産、犯罪、教育、果ては政治家や官僚の行動分析に至るまで、社会のあらゆる領域を研究・分析の対象とするようになっています。この縦横無尽な万能感こそが、女王と呼ばれる所以なのです。
(ちなみにチェスの「キング」と将棋の「王将」の動きは基本的に同じです。)
また、経済学は「社会科学」の中で最も早くから数学的・統計的な手法を取り入れ、「自然科学」に近い厳密さを手に入れました。客観的な数値で社会を語る姿勢と方法論は、他の学問から見れば、学問の美しさと強さを併せ持つ「女王」になぞらえるのに不足はないでしょう。
社会科学の「王」を考えてみる
さて、女王がチェスの盤面を華麗に駆け巡る一方で、どっしりと鎮座し、その学問が倒れれば社会というゲーム自体が成立しなくなる「王(キング)」のような存在をひとつ考えてみることにしましょう。個人的にそれは、古代ギリシャ・ローマ時代からの伝統を汲む「法学(法律学)」ではないかと思っています。
チェスのキングは、機動力こそ一歩ずつと限定的ですが、その存在が否定されることは敗北を意味します。法学もまた、社会の「存立の根拠」を司る基礎原理です。
例えば、経済学が「インフレ率2%を達成するために金利をどう動かすか」という効率的な血流を考える学問だとすれば、法学は「そもそも日本銀行という組織をどう定義し、誰に決定権を与えるか」という社会の骨格、すなわちルールそのものを規定します。
もし法による秩序という土台が崩れてしまえば、いくら経済学が優れた分析や経済政策を行っても、その成果を享受する場そのものが消失してしまいます。紛争が起きた際、最後に事態を収束させるのは経済的な合理性ではなく、法という規範です。社会の正当性を保証し、最後の一線を守る法学こそが、学問の階層意識においても、社会の実務においても「王」の風格を備えていると思えるのです。
社会科学の主要三科
ここで、社会科学をより複合的に理解するために、法学と経済学、そしてもう一つの有力な王の候補である「政治学」を加えた「主要三科」という視点を導入してみましょう。これらは、社会を維持するための「規範・資源・権力」をそれぞれ分担していると考えられます。
1. 法学:規範の守護者(静的な王)
社会の「形」を規定します。何が正しい手続きであり、何が不正であるのか。古くから「法は社会の骨格である」と言われるように、人間が集団で生きるための最低限の約束事を司ります。
2. 経済学:資源の管理者(万能の女王)
社会の「血流」を最大化します。限られた時間やお金、才能という資源を、いかに無駄なく、人々の満足度を高めるように配分するか。その圧倒的な分析力は、社会を豊かにするためのエンジンとなります。
3. 政治学:権力の行使者(動的な王)
社会の「意志」を決定します。法が骨格、経済が血流だとすれば、政治は「どこへ進むか」を決める頭脳や意志に相当します。予算を福祉に割くのか、国防に割くのか。対立する意見を調整し、最終的な決定を下す「権力の配分」を司る政治学もまた、社会の方向性を決めるという意味で「王」の役割を担っています。
価値観という盤面を作るもの
さて、ここまで「社会科学」の枠内で話を整理してきましたが、実はこの盤面の下には、さらに深い土台が存在します。それが哲学や歴史学といった「人文科学」です。
厳密には、客観的なデータや集団現象を扱う社会科学とは分類が異なりますが、人文科学は「そもそもなぜ社会が必要なのか」「人間にとっての幸せとは何か」という問いを投げかけます。たとえ経済学という女王が効率的な資源配分を導き出したとしても、その「効率」の先にどのような人間像を描くのかを決定するのは、哲学的な価値観です。
考えてみれば、「国富論」のような初期の経済学の端緒は近代思想・哲学でした。「資本論」などはかなり思想・哲学に依拠した論理になっています。
人文科学が提供する価値という基盤の上で、法学という王が秩序を守り、政治学という王が意思を決め、経済学という女王が富を生み出す。現代社会は、こうした学問の連携によって研究、分析、運営されていると言えます。
結びに代えて
「経済学は社会科学の女王である」という言葉は、誇大広告ではないということが確認できたのではないでしょうか。複雑な現代社会を、論理と数値という武器で解き明かそうとした先人たちの研究の蓄積になっているのです。
私たちは、女王の機動力(経済的視点)を注視しつつも、王の安定感(法的・政治的視点)も忘れてはならないでしょう。将棋でもチェスでも、強力な飛車やクイーンだけでは勝てないように、社会もまた、効率(経済)と正義(法)、そして合意(政治)のバランスが取れて初めて、健全に機能するはずです。
さて、皆さんが「社会科学の王」を挙げるとすれば、何を思い浮かべるでしょうか?社会学や経営・戦略学あたりも近年はまずます重要になっています。広く興味を持って自由に考えるのも楽しいと思います。