AirLand-Battleの日記

思い付きや素朴な疑問、常識の整理など、特段のテーマを決めずに書いております。

世界から取り残される日本の大学

 日本の多くの大学は、かつてない存立の危機に瀕しているようです。一般的に大学には「教育」「研究」「社会貢献」という3つの大きな機能があるとされますが、このいずれの側面においても、日本の大学は世界基準から大きく引き離されつつあります。

 世界的な評価機関であるTHE(タイムズ・ハイヤー・エデュケーション)やQSが発表する2026年版の世界大学ランキングを見ると、その現実は残酷です。日本のトップである東京大学や京都大学が20位圏外、あるいは30位圏外で足踏みをする中、シンガポールや中国、韓国の主要大学がトップ20の常連となり、日本を完全に追い抜いています。

 なぜ、日本の大学はこれほどまでに弱いのでしょうか。その背景には、少子化という深刻な環境変化を無視し、既得権益に安住し続ける組織の構造的問題、そしてそれを受け入れてきた日本社会特有の「歪んだ契約」があるようです。

 

1. 「世界ランキング」に見る日本の機能不全

 海外の評価機関が日本の大学を低く評価する最大の理由は、単に論文数だけでなく、3つの大きな機能に代表される組織運営が、グローバル標準から乖離している点にあります。

 まず「教育」の面では、日本の大学は学生を顧客として見ていません。欧米の大学では、学生が高い学費に見合う「質の高い指導」を求め、教授側も「分かりやすい指導」ができるかどうかが、自身の市場価値や報酬に直結します。一方、日本では教授の評価が「研究」や学内事務に偏り、学生への指導力は二の次とされる傾向が続いてきました。

 次に「研究」ですが、ここでも資金力の差が如実に現れています。欧米のトップ校が運用する巨額の基金に対し、日本の大学は国からの交付金に依存し、若手研究者のポストを削ることで食いつないでいます。その結果、他国の研究者に引用されるような「質の高い論文」の数は減少の一途を辿っています。

 最後に「社会貢献」です。欧米では大学の知見がスタートアップ創出や産業界への技術移転(知の還流)として機能していますが、日本の大学における社会貢献は、いまだに「公開講座」や「地域活動」といったボランティア的な枠組みから抜け出せていません。

 

2. 少子化をよそに続く「学部新設」

 日本の18歳人口が激減していることは、誰の目にも明らかです。しかし、不思議なことに大学の学部新設は止まりません。2024年度には私立大学の約6割が定員割れを起こしているというデータがあるにもかかわらず、です。

 これは「教育の質の向上」ではなく、生き残りのための「パッケージ替え」に過ぎません。「データサイエンス」や「国際」といった、今風の響きを持つ看板に掛け替えることで、目先の受験生を繋ぎ止めようとしているのです。また、文部科学省がデジタル分野への転換に3,000億円規模の基金を投じていることも、この「質の伴わない量的拡大」を助長しています。

 いわば、大学が「教育機関」としてではなく、補助金を得て組織を延命させる「自転車操業のビジネス」と化しているのです。このまま「大学全入時代」が進めば、卒業証書は単なる「4年間の猶予期間を買った証明書」になり、学位の価値はインフレを起こして崩壊するでしょう。

 

3. 大学自治の壁と行政

 この停滞に対し、政府も手をこまねいているわけではありません。しかし、その手法はやや強権的なものになっています。10兆円規模の「大学ファンド」を創設し、その支援条件として「学外者が運営に関与すること」を突きつけています。

 ここで立ちはだかるのが「大学の自治」という壁です。学内組織は「外部の人間が口を出すのは学問の自由の侵害だ」と反発しますが、実態としては、年功序列や講座制といった既得権益を守るための盾として「自治」が使われている側面も否めません。

 行政側は、ファンド資金をエサにガバナンス(統治)を刷新しようとしていますが、これは大学の自主的な変革を待つことを諦めた結果とも言えます。政府による直接介入が常態化すれば、大学はさらに官僚的な支配下に置かれ、自由な発想が失われるというジレンマに陥ります。

 

4. 企業の伝統的な学歴重視

 なぜここまで大学の質が下がっても、社会的な批判が爆発しなかったのでしょうか。そこには、採用する企業側の無関心があります。

 多くの日本企業にとって、大学教育の中身はどうでもよかったのです。彼らが求めていたのは、大学を卒業できるだけの「忍耐力」や、組織を乱さない「卒の無さ」でした。大学入試というフィルターを通過し、4年間を大過なく過ごしたという「月日」があれば、実務スキルは入社後に社内で教えればいい——。この「メンバーシップ型雇用」「人材育成の内製化」の原則が、大学を教育の場ではなく「スクリーニング(選別)の装置」に留めてきたとも見受けられます。

 しかし、技術革新のスピードが加速し、世界中で高度な専門性が武器となる現在、この地頭さえ良ければ白紙で採用するという日本型学歴重視は完全に限界を迎えていることは多くの人が指摘している課題です。

 

当事者である大学と国民の要請

 現在の日本の大学において、成功事例や将来性を見つけ出すのは困難です。一部のトップ校が「国際卓越研究大学」として生き残りを図る一方で、多くの中堅・地方大学は、少子化の波に飲まれて消えていくか、名前だけの学位を安売りする機関へと形骸化していくでしょう。

 大学という組織が「既得権益のムラ社会」のまま沈んでいくのか、あるいは痛みを伴う変革を成し遂げるのか。その成否は、大学自身だけでなく、それを利用し、評価する私たち社会全体の眼差しにかかっています。