AirLand-Battleの日記

思い付きや素朴な疑問、常識の整理など、特段のテーマを決めずに書いております。

「全方位外交」は意味無し

 世界はいつでも変動のさなかであり、時代はいつでも激動しています。

 さて日々のニュースを眺めていると、「全方位外交」という言葉をときおり耳にすることがあります。特定の敵を作らず、世界のどこの国とも仲良くやっていく。一見すると、”平和主義"の日本にとってこれ以上ない「正解」のように聞こえるかもしれません。

 しかし、冷静に現状を見つめ直してみると、その「全方位」という心地よい響きの裏で、大切な国益を失っているのかもしれません。今回は、この「全方位外交」という言葉が、現代日本においていかに空虚な掛け声に成り下がっているか、そして、その方針の基づく「外交」がもたらす代償について、具体的に検証してみたいと思います。

 

1. 「全方位外交」の誕生

 そもそも「全方位外交」という言葉は、1978年に当時の福田赳夫首相(1905~1995)が提唱したものです。当時の日本は高度経済成長を遂げ、世界第2位の経済大国へと駆け上がっていました。

 当時の世界は冷戦の真っ只中。アメリカを中心とする「西側」自由主義陣営と、ソ連を中心とする「東側」社旗主義陣営とが対立していました。その中で福田首相が掲げたのは、「日米同盟を基軸としつつも、体制の異なる国々(ソ連、中国、中東、東南アジア)とも実務的な信頼関係を築く」という、非常に野心的な方針でした。

 つまり、当初の「全方位外交」は、軍事力ではなく経済力と誠実さを武器に、日本の活動領域を世界中に広げていこうとする積極的な外交姿勢の方針だったのです。

 「国連中心主義」という言葉が外務省の創作であったのと同様で、こうした政府与党が創った標語は日本では非常に変えにくい性質になってしまいます。ただ、これを知ってか知らずか、野党側もこの標語には批判や反対をしないということにはやや疑問を感じます。

 

2. なぜ「全方位」は「空虚」になったのか

 しかし、この方針はすぐに壁にぶち当たります。1979年のソ連によるアフガニスタン侵攻。これにより世界は「新冷戦」へと突入し、どちらの陣営に付くのか、明確な態度表明を迫られるようになりました。

 「全員と仲良くする」ということは、厳しい対立の中では「誰の味方でもない=誰からも信頼されない」というリスクに直結します。

 現代における「全方位外交」は、本来の積極的な意味を失い、「決断の先送り」や「八方美人的な無節操な振る舞い」を正当化するための隠れ蓑になってしまいました。

 特に、全方位外交を「崇拝」する人々の中には、現実世界の厳しいルールをあえて無視しているかのような傾向が見受けられます。例えば、「軍事同盟」や、特定の国を優遇する「最恵国待遇」といった枠組みを、あたかも不純なものとして嫌悪する心理です。

 しかし、国際政治は「善意の交換」だけで成り立っているわけではありません。軍事同盟は「誰が味方で、誰が脅威か」を明確に線引きする行為であり、経済協定は「誰と優先的に利益を分かち合うか」を選ぶ行為です。全方位に良い顔をしようとすることは、これらの「選択」から逃げ出し、結果としてどの国からも本気で守ってもらえない状況を自ら作り出しているのです。

 

3. 他国は批判しない日本

 日本の外交を象徴するもう一つのキーワードに、「静かな外交」があります。他国を声高に批判せず、水面下で対話を促すという手法です。しかし、これが今や日本の首を絞めています。

 国際社会において、他国から批判声明を受けるニュースは頻繁に耳にしますが、日本が(他国の様子を伺った後に同調するのではなく)自ら主体的に他国への批判声明を発することは極めて稀です。

 この「沈黙」は、決して「中立」を意味しません。国際政治の世界では、「沈黙は同意」とみなされます。

 例えば、ある国が不当な人権侵害や現状変更を行っている際、日本が口を閉ざせば、世界はその行為を日本が許容していると判断します。その結果、どうなるか。 日本が将来、同様の被害を受けた際に、「あの時、君たちは何も言わなかったじゃないか。なぜ今さら助けを求めるのか」という強烈な反論を許してしまうのです。これは、日本の道徳的な影響力を削り、外交的な「カード」を自ら捨てていることに他なりません。

 

 また、「刺激してはいけない」という意見もしばしば聞く論調です。これは刺激(日本からの反論や批判)することで、相手国が更なる報復措置をすることを招くことを懸念しているのかもしれません。あるいは「冷静な対応」をすることや「事態の推移を注意深く観察」してゆくことについて、それが理性的で賢い姿勢に見えるということに酔っているのかもしれません。こうした論調をする人は最近の「認知戦」という言葉を知らないのでしょうか。

 自国の立場を主張し続ける「説明責任としての外交」として、不当な批判による国益の損害を防ぐための、国家として当然の防衛行為といえるでしょう。不当な批判に対して沈黙することは、その批判を「黙認(事実として認めること)」したと見なされるリスクになりうります。パートナー国(同盟国など)から見て、信頼関係の構築において予測不可能な存在と映れば、日本の存在価値を棄損することになります。

 

4. 報道が伝えない「見えない失敗」

 では、なぜこの課題による危機感をもっと共有できないのでしょうか。そこには、報道機関の構造的な問題があります。

 外交の失敗には、大きく分けて二つの形があります。 一つは、何かをして失敗すること(作為の失敗)。これはニュースになりやすい。 もう一つは、「すべきことをしないこと」で利益を逃すこと(不作為の失敗)。実は日本が直面しているのは、圧倒的に後者です。

 「批判声明を出さなかったために、数年後の資源交渉で優先権を奪われた」「曖昧な態度を続けたために、重要な国際会議の枠組みから外された」。これらは「何も起きなかった」ように見えるため、報道機関からのニュースの上で派手な見出しには決してなりません。

 また、外交の失敗が国民の生活に跳ね返ってくるまでには、数年から十数年の「タイムラグ」があります。 例えば、現在私たちが直面しているエネルギー価格の高騰。これさえも、過去のエネルギー外交において「特定の地域に過度に依存し続けた」ことや、「一貫性のない資源国への対応」といった、不作為の積み重ねが遠因となっている場合があります。しかし、メディアが「今日の電気代」と「十年前の外交の沈黙」を繋げて報じることはほとんどありません。

 私たちは、知らないうちに「国益の棄損」という代償を払わされているのです。

 

5. 呪縛を解くための新しい方向性

 「全方位外交」という魔法の言葉から脱却するためには、私たちが目指すべき方向性を、より具体的で、現実に基づいた名称で語り直す必要があります。

今、政治家や有識者の間で語られている言葉には、そのヒントが隠されています。

  • 「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」 これは「法の支配」を共有する国々と手を取り合い、力による現状変更を許さないという明確な意思表示です。「全方位」とは異なり、ルールを守る国を「選ぶ」姿勢を示しています。

  • 「価値観外交」 自由、民主主義、基本的人権。これらを単なるお題目ではなく、外交の「入場資格」として機能させる考え方です。

  • 「経済安全保障」 「どこからでも安く買えればいい」という全方位的な発想を捨て、信頼できる国から、リスクを管理しながら調達する。これは「生存のための選択」です。

 これらの言葉に共通するのは、「摩擦を恐れずに優先順位を付ける」という覚悟です。

 

責任ある「選択」の時代へ

 「全方位外交」という言葉の響きには、争いを避けたいという日本人の切実な願いと相性が良いのかもしれません。しかし、複雑化した現代社会において、その言葉はもはや「平和の処方箋」ではなく、直視すべき現実から目を逸らすための「麻酔」になっています。

 外交とは、誰かを怒らせるリスクを背負いながら、守るべきものを守るための交渉です。 批判すべき時に批判し、組むべき相手と組む。その過程で生じる一時的な摩擦を恐れるあまり、未来の選択肢を失うようなことがあってはなりません。

 私たちに必要なのは、空虚な「全方位」という幻想を捨て、どの価値観の上に立ち、誰と共に歩むのかという「責任ある選択」を支持する勇気であると思います。