日々の暮らしの中で、ふと街中の風景が変わったことに気づくことはありませんか。かつては近所の庭先で当たり前のように見かけた「番犬」の姿が消え、今や犬は家の中で家族として過ごすのが当たり前になりました。
現在は日本人とペットの関係が転換点を迎えている時代になっていると言えます。今回は、ヨーロッパの厳しいペット規制と、それとは対照的な日本の現状、そしてこれからの求められる「飼い主としての資格」について、整理してゆきたいと思います。
1. ヨーロッパの厳格なルール
最近、SNSやニュースで「フランスでペットショップの販売が禁止された」という話を聞いたことがあるかもしれません。これは決して誇張ではなく、ヨーロッパの一部では動物福祉の観点から、私たちの想像を超える厳しい規制が現実のものとなっています。
例えばフランスでは、2024年からペットショップの店頭で犬や猫を展示・販売することが全面的に禁止されました。目的は明確です。「可愛いから」という一時の感情による衝動買いを抑制すること。そして、その裏に潜む劣悪な繁殖業者、いわゆる「子犬工場(パピーミル)」を壊滅させることです。
また、イギリスでは「ルーシーズ・ロー」という法律が施行されています。これは、悪質な環境で繁殖に使われていたキャバリア犬「ルーシー」の悲劇をきっかけに生まれた法律です。これにより、生後6カ月未満の子犬や子猫を、ブリーダー以外の第三者(仲介業者やショップ)が販売することが禁じられました。
これらの国々では、ペットを飼おうと思えば、信頼できるブリーダーを自ら探して直接赴くか、動物保護施設から譲り受けるしかありません。つまり、ペットを飼うというライフスタイルは「手軽な消費」ではなく、「重い責任を伴う選択」へと明確に転換したのです。
2. 多頭飼育崩壊を防ぐ
日本でたびたび問題になるのが「多頭飼育崩壊」です。一人の飼い主が管理能力を超えた数の動物を飼い、最終的に共倒れになってしまう悲劇です。なぜ日本ではこれが起きやすく、ヨーロッパの一部では防げているのでしょうか。
そこには、社会が飼い主に課す「物理的・経済的なブレーキ」の差があります。
ドイツなどの事例を見ると、まず「犬税」という仕組みがあります。これは1頭ごとに税金がかかるものですが、特徴的なのは「2頭目、3頭目と増えるごとに、1頭あたりの税率が跳ね上がる」仕組みになっている自治体が多いことです。経済的な余裕がなければ、物理的に数を増やすことができないよう設計されています。
さらに、飼育スペースについても「窓の有無」や「散歩の回数」まで細かく法律で規定されています。これに違反すれば、動物は没収されます。一方、日本では「個人の自由」や「所有権」が非常に強く尊重されるため、周囲が異変に気づいても、法的な介入が遅れ、手遅れになってから発覚するという構造的な課題を抱えています。
3. 日本のペット事情。30年間の変遷
ここで、日本のデータに目を向けてみましょう。皆さんは、日本の犬や猫の数がこの30年でどう変わったかご存知でしょうか。
実は、犬の飼育頭数は激減しています。1990年代半ばには約900万頭だった犬は、2008年頃に約1,310万頭でピークを迎えましたが、現在は約684万頭と、ピーク時のほぼ半分にまで落ち込んでいます。一方で、猫は900万頭前後で横ばい、あるいは微増を続けており、2017年にはついに犬と猫の数が逆転しました。
なぜ犬はこれほど減ったのか。そこには日本社会の構造的な変化があります。 超高齢社会となり、自分の寿命とペットの寿命を天秤にかけ、「最期まで看取れないかもしれない」と飼育を断念する賢明な高齢者が増えたこと。そして、共働き世帯の増加により、散歩などの手間がかかる犬よりも、比較的留守番のしやすい猫が選ばれるようになったこと。
つまり、日本においては法的な禁止ではなく、生活環境の変化と飼い主の自制心によって、飼育にブレーキがかかっている状態なのです。
4. 日本の「殺処分」の今
かつて日本は、年間数十万頭の犬猫を保健所で殺処分しているとして、欧米から激しい批判を浴びてきました。特に、ガス室による処理は「非人道的だ」と厳しく指摘されてきました。
しかし、この10年ほどの日本の努力は、もっと正当に評価されても良いはずです。2010年度に約20万頭を超えていた殺処分数は、2022年度には約1.2万頭にまで減少しました。10年強で「10分の1以下」にまで減らしたのです。
これは、2022年から始まったマイクロチップ装着の義務化(捨てさせない仕組み)や、自治体が「無責任な引き取り依頼」を拒否できるようになった法改正、そして何より民間の譲渡活動が活発化した成果です。
もちろん、まだ課題はあります。「殺さないこと」だけをゴールにする日本と、「苦痛があるなら安楽死させるべきだ」と考える欧州では、生命倫理の根底にある考え方が異なります。しかし、日本もまた、欧米からの批判という「外圧」を糧に、独自の成熟した共生社会を作り上げつつあるのです。
5. ペットを飼う責任
ここまで見てきたように、世界は「誰でも自由に、モノのようにペットを買える時代」を終わらせようとしています。
ヨーロッパでは「法律、税金、知識の証明」という意思の基づいた規制を設け、日本では「住宅事情、経済的コスト、社会的な視線」という成り行きで生じた障害が、結果として飼い主の資質を問う形になっています。
これからの時代、ペットを飼うために必要なのは、単なる「動物好き」という感情だけではありません。
-
20年先まで見越した経済的な「計画性」
-
動物の生態や法律に関する正しい「知識」
-
そして、万が一自分が飼えなくなった時のための「セーフティネット」
これらを備えて初めて、日本社会はペットという「伴侶」と共に生きる資格を得るのではないでしょうか。
ペットを飼うことが、もはや当たり前の権利ではなく、選ばれた責任ある人だけが享受できる「文化的な誇り」となる。そんな未来が、すぐそこまで来ていることを覚えておきましょう。