政府の政策や法改正、特に防衛力の強化といった動きに対して、右傾化や軍国主義への回帰を懸念する声が上がることがあります。そうした批判の文章の中で決まったように引用される、有名な唱歌があります。
「♫この道はいつか来た道〜」
北原白秋(1885~1942)作詞、山田耕筰(1886~1965)作曲の国民的唱歌『この道』の一節です。表現の自由がある以上、どのような作品でも比喩やパロディーに用いることは自由とされています。しかし、このフレーズの使われ方を見ていると、表現としてのマンネリズム(陳腐化)や、ある種の趣味の悪さを個人的に感じざるを得ません。
なぜ、このフレーズはこれほどまでに「愛されて」いるのでしょうか。そして、そこには歴史への向き合い方に、歪みが潜んでいないでしょうか。文学的な視点と、歴史な視点から、この事象を見直してみたいと思います。
1. 政治利用される芸術
そもそも唱歌『この道』の歌詞をすべて読めば、これが政治や戦争とは一切関係のない、純粋な郷愁を歌ったものであることは明白です。ここで、その詞の全編を読み直してみましょう。
『この道』 作詞:北原白秋 (1926年)
一、 この道はいつか来た道 ああ そうだよ アカシヤの花が咲いてる
二、 あの丘はいつか見た丘 ああ そうだよ 白い時計台の帽子がみえる
三、 この道はいつか来た道 ああ そうだよ お母さまと馬車で行ったよ
四、 あの雲もいつか見た雲 ああ そうだよ 山ざしの枝も垂れてる
北原白秋が晩年に、自身の故郷である福岡県柳川市や、母の故郷である熊本県南関町、あるいは旅した北海道などの記憶を重ね合わせて紡いだとされるこの詩には、幼い頃に母親と歩いた道、昔見た景色を懐かしむ、温かく個人的な情景だけが描かれています。
それにもかかわらず、日本社会の一部では「いつか来た道」という一行だけを文脈から強引に切り離し、かつて戦争へと向かったあの歴史の繰り返しという比喩として定着させてしまいました。
(ただし、北原は戦時中に国家主義に傾倒していたという話があるので、ひょっとするとそれを逆手にとって引用している人もいるかもしれません。いや、そう知っていれば引用せずに無視するのが自然か.....)
文学や芸術の視点から見れば、郷愁を歌った美しい詩を、全く関係のない政治的プロパガンダや政権批判の道具として、あたかも反戦歌であるかのように扱うのは、すでに亡くなっている作詞者の芸術的意図を無視した悪趣味な誤用であるという批判を免れないと思います。
さらに、書き手側が独自の論理的な言葉を尽くす工夫を放棄し、誰もが知るフレーズに依存して読者の感情的な拒絶反応を誘発しようとする姿勢は、表現の自由の豊かさとは正反対にある、マンネリズムである言わざるを得ません。
2. 本当に「歴史は繰り返す」のか?
さて、この「いつか来た道」という表現の背後には、「歴史は繰り返す」という古代ローマの歴史家クルティウス=ルーフスの言葉に代表されるような、人類共通の歴史観が存在していると推察されます。確かに、世界史や日本史を学べば、過度な軍備拡張で自滅する国や、泥沼の内紛によってそれまでの隆盛を失う国の事例は、多く確認できます。だからこそ、多くの人がこの言葉に強い説得力を感じるのでしょう。
しかし、歴史をより深く観察するならば、一つの厳然たる事実に突き当たります。それは、まったく同じ状況、同じ人物、同じ時代ということは二度とないため、本質的には同じように繰り返すことはない、ということです。
アメリカの作家マーク・トウェイン(1835~1910)が残したとされる言葉に、「歴史は繰り返さない。だが、しばしば韻を踏む」というものがあります。
詩の中で「韻を踏む」とは、言葉そのものは違うけれど、その響きや構造、リズムが似ている状態を指します。歴史も同様です。役者(首脳たち)も舞台(時代背景や科学技術)も異なるため、歴史が寸分の狂いもなく再現されることはありません。ただ、恐怖や欲望、慢心に突き動かされる人間の集団心理という社会の行動原理が共通しているため、出来事のパターンが似通って見えるだけに過ぎないのです。
3. 体験重視の限界
ここで、さらに一歩踏み込んだ問題提起をしたいと思います。日本社会はこれまで、「歴史」を本当に重視してきたと言えるでしょうか。本当のところ、日本社会は真の「歴史」ではなく、単なる卑近な「経験」「体験」を重視し過ぎているのではないでしょうか。
先の大戦における軍国主義の惨禍を二度と繰り返さない、という目的のために、過去の悲惨な「経験」だけを社会のブレーキにしようとするアプローチには、重大な欠陥があります。なぜなら、その防衛策が機能するためには、現在が、当時とまったく同じ国際政治状況、勢力図、個々の政府の行動原理であること、が絶対の前提条件になってしまうからです。
しかし、1930年代の戦前と、2020年代の現代とでは、前提条件が180度異なります。具体的な数値を交えてその構造の変化を見てみましょう。
まず、国際的な枠組みが異なります。戦前は国際連盟という機能不全の組織しかなく、世界は帝国主義による弱肉強食の時代でした。しかし現代は、国際連合の枠組みや、経済的な相互依存関係が張り巡らされています。
次に、社会の前提となる人口動態が決定的に違います。1930年代(昭和初期)の日本の人口は約6500万人から7000万人規模であり、その大半を若年層が占めるきれいな「ピラミッド型」の若い国でした。エネルギーに溢れた若者が社会の主流であり、だからこそ熱狂的な軍国主義やポピュリズムへと社会全体が傾倒していく土壌があったのです。
一方で、現代の日本社会(2020年代)の人口は約1億2000万人ですが、65歳以上の高齢者が人口の約30%を占める「超高齢社会」へと突入しています。社会の関心は「拡張」ではなく「維持や縮小」にあり、現在の日本社会に懸念されているのは、戦前のような好戦的な熱狂ではなく、むしろ政治や社会に対する圧倒的な「無関心」や「冷笑主義」です。
このように、社会の構造が根底から異なる以上、過去の「経験」だけを頼りに戦前回帰を叫ぶのは、現代特有の新しいリスクを見落とす原因になります。現代の日本社会が直面しているのは、メディアの検閲ではなく、インターネットやSNSによる情報の過剰な分散と世論誘導であり、徴兵制ではなく、少子高齢化による国力そのものの衰退です。「いつか来た道」というワンパターンな警戒論は、こうした現代のリアルな状況に対する思考を停止させいるようです。
4. 「経験」から「歴史」へ
では、真の意味で歴史を重視し、歴史に学ぶとはどういうことでしょうか。それは、自国だけの主観的な経験や反省の殻に閉じこもらずに、客観的かつ複合的な構造の分析することであると思います。
日本社会におけるこれまでの平和論の多くは、「日本がまた暴走するのではないか」という、内向きの視点ばかりに囚われています。しかし、歴史として真摯に日本の現況を分析するのであれば、視点を外に向け、他者の立場に立った多角的なシミュレーションを行わなければなりません。
例えば、「かつて軍国主義によって侵略された側、あるいは現代において他国から主権を脅かされている側」の立場を想定してみましょう。その視点に立てば、「一国が軍備を放棄して平和を念じているだけでは、強大な軍事力を持つ隣国の善意に自国の運命を丸投げすることになる」という冷徹な現実に気づくはずです。歴史が教えるのは、「力の空白」こそが、他国の侵略や介入を誘発するという構造的リスクです。
また、「国際社会において同盟協力する側」の立場を想定することも重要でしょう。自国の安全や経済活動が、どのような国際的なネットワークによって担保されているのか。他国が危機に陥ったとき、自国が何もリスクを負わずに平穏を貪る姿勢を見せれば、国際社会からどのように評価され、将来的にどのような孤立を招くのか。そうした双方向の客観的な力学を分析することこそが、本当の意味での「歴史」から学ぶという姿勢でしょう。
現実を広く直視
日本社会が長く引きずってきた「感情的な反省(体験重視)」と、これから必要とされる「理性的な戦略(世界史重視)」の違いは、以下のように整理できます。
経験や体験に固執する人々は、視点が主観的であり、日本国内の過去の行動と内省,、被害者ばかりを見つめます。その結果、想定する脅威は「自国の軍国主義」という単一のシナリオに限定され、対策も現状維持の思考停止に陥ることになります。
一方で、「歴史」を分析する人々は、視点が客観的かつ俯瞰的であり、諸外国の行動原理や地政学、同盟関係といった「構造」を見つめます。そこでは、「他国の侵略」や「同盟の崩壊」といった多角的な危機シナリオが想定され、現代の変化に対応するための現実的な選択肢が模索されます。
「この道はいつか来た道」と繰り返す人々は、過去の日本だけを執着するように見つめていますが、本当に見なければならないのは、「現代の国際政治の上で、他国というプレイヤーがどう動き、日本社会がどういう位置に置かれているか」という冷静な分析であると考えます。
かつて昭和の日本が敗戦という壮絶な結果を招いた原因の本質も、実は、大局的な国際情勢や他国の視点(歴史的構造)を無視し、自国の都合の良い見通し(身内の精神論)に引きこもったことにありました。
そう考えるならば、現代において客観的な情勢分析を拒み、体験重視と手垢のついた比喩に引きこもって思考を停止させている姿勢こそが、皮肉にも、日本人を不幸にした戦前の失敗の本質を、忠実に繰り返しているように見受けられます。