AirLand-Battleの日記

思い付きや素朴な疑問、常識の整理など、特段のテーマを決めずに書いております。

ネット情報の偏りに抗う処方箋

 インターネットは情報収集に関する利便性を飛躍的に高めました。パソコンやスマートフォンの画面を開けば、個人の関心や嗜好に応じた情報が瞬時に、かつ優先的に提供される環境が整っています。しかし、この至れり尽くせりのサービス機能は、裏を返せば、一人ひとりのユーザーを見たい情報だけの狭い檻に閉じ込める性質を併せ持っています。

 自分の好む情報ばかりに囲まれる「フィルターバブル」や、同意見のなかで認知が歪んでいく「エコーチェンバー」は、現代の情報収集における深刻な課題です。この最適化が進みすぎた結果、社会全体が共有すべき関心事や、未知の学問・技術といった新しい分野への接点が失われがちになっています。

 かつて、こうした情報の偏りを防ぎ、社会の共通言語を提供していたのが新聞やテレビをはじめとするオールドメディアでした。しかし最近、これらのメディアは全般的に低調であり、その役割を十分に果たせていません。

 それではどのようにして情報の偏りに対処していけばよいのでしょうか。オールドメディアの現状と限界を把握した上で、ネット空間、物理空間、そして実社会という3つのアプローチから、具体的な処方箋を提示します。

 

オールドメディアにとって「チャンス」のはずが.....

 ネットの情報偏重を是正する存在として、新聞やテレビへの期待は今も根強くあります。プロの記者による事実検証や、紙面・番組という限られた枠内に多様なニュースを並べる「一望性」は、本来であればネットによる偏りの対抗策になるはずでした。しかし、現在のオールドメディアは構造的な低調と信頼の揺らぎに直面しています。

 第一の理由は、ビジネスモデルの崩壊に伴うネットの後追いです。新聞の部数減少やテレビの視聴率低下が進む中、マスコミ四媒体の広告費はインターネット広告に完全に逆転されました。その結果、オールドメディア側も閲覧数や視聴率といった数値指標を追わざるを得なくなり、ワイドショー化やネットで話題になった生煮えのコンテンツを逆輸入するなど、情報の質がネットに同調・劣化する現象が起きています。

 第二に、編集権への不信感の可視化が挙げられます。メディア側が「何を報じ、何を報じないか」を決める門番意識やその偏向性が、ネットやSNSの発達によって可視化され、批判を浴びるようになりました。

 特に日本社会において大きな疑念や失望の背景となっているのが、報道内容や社説などに見られる明確な左傾化という指摘です。右派・保守派・与党の活動に対しては、あたかも機械的に批判的な論調を展開する一方で、彼らに有利な情報については「取材・報道しない自由」を行使しているのではないか、という疑念がたびたび生じています。

 本来であれば、ジャーナリズムの使命は事実に基づいた権力の監視です。しかし、戦後の歴史的経緯の中で「政府や与党の政策に異議を唱えること=正義」という教義が組織内で硬直化してしまいました。メディア側が自称する「中立」の基準点自体が最初から左側にシフトしているという、認知のねじれが組織内部で固定化しているのです。

 現在の新聞社やテレビ局で編集の決定権を握る幹部層(50代から60代以上)は、リベラルな思想を色濃く引き継いだ世代であり、これを変えることは自己のアイデンティティの否定に繋がりかねません。30代以下の若い記者が事実重視の姿勢を持っていたとしても、年功序列の縦社会の中でその舵を中道へと戻すのは容易ではありません。

 さらに商業的なジレンマもあります。現在、新聞を熱心に購読し、テレビの報道番組を長時間視聴しているボリュームゾーンは、60代から80代の高齢層です。もしメディアが突然中道公平へと舵を切り、これまでの主張と矛盾するような保守側に有利な事実を大々的に報じ始めれば、現在自社を経済的に支えてくれているコアな顧客層からの猛烈な反発や解約を招くリスクがあります。

 新規の若い読者が戻ってくる保証がない中で、既存の顧客を失うリスクには踏み切れない。こうした自浄作用の喪失が、オールドメディアから公平・中立な立場でネットの偏りに対抗するという絶好のチャンスを見送るだけの状況を産んでいるのです。

 

ブラウザの「おすすめ機能」を調整する

 オールドメディアに頼り切れない以上、個々人で自発的に未知の分野への接点を確保しなければなりません。まずは日頃使っているネット空間そのものを、自らの意志で組み替える手法から見ていきます。

 ネットワークサービスの「おすすめ機能」は、過去のクリック履歴や滞在時間に基づいて作られています。これを意図的に攪乱することが有効です。

 具体的な手法の一つが、ブラウザの「シークレットモード(プライベートブラウズ)」の活用です。週に数回、クッキーや履歴が残らない状態で大手ニュースサイトのトップページを開いてみます。ログイン状態の画面と比較すると、システムが個人向けに調整する前の、本来の「社会全体の関心事」が一目でわかります。また、SNSやニュースアプリで刺激的なゴシップや偏ったオピニオンばかりが表示されるようになったら、意識的に「関心がない」「非表示」のボタンを選択し、システム側の学習をやり直させることが重要です。

 あわせて、オールドメディアのデジタル版を能動的に使うことも効果的です。紙の新聞を購読せずとも、電子版の新聞にある「紙面ビューアー機能」を使えば、スクロール形式ではなく、紙面そのままのレイアウトでニュースを眺めることができます。記事の大きさ(1面、社会面、国際面など)によって、社会的な重要度の高低が視覚的に飛び込んでくるため、興味のないニュースにも自然と目が留まりやすくなります。

 さらに、感情的なコラムを避け、NHKニュースアプリや共同通信、時事通信などの事実のみを淡々と報じる短信を意識して選ぶこと、そして海外メディア(BBCやロイターなど)の日本版に目を通し、同じニュースに対して異なるスタンスのメディアがどう報じているかを横比較する習慣をつけることが、ネット内での偏りを防ぐ対策となります。

 

大型書店を「全周」する

 ネットのアルゴリズムから完全に逃れるための極めて合理的かつ強力な手段が、物理空間の活用、なかでも大都市の大型書店へ買い物に行ったついでに、さまざまな分野の書棚を眺めながら全周するというアプローチです。

 ネットの検索は、自分の頭の中にあるキーワードからしか出発できません。これに対して大型書店で全階、全フロアを一巡すれば、脳に偶然の発見(セレンディピティ)を強制的に発生させることができるでしょう。

 書店の棚には、単に本が並んでいるだけでなく、背表紙の色、フォント、帯のキャッチコピー、本の厚みといった膨大な視覚情報があふれています。歩くだけで、それらの情報が一度に目に飛び込んできます。

 これによって、それまで存在すら想像したことがなかった「未知の未知」に接触することができます。世の中には多様な学究分野や専門技術、趣味、社会問題などがあるのだという実感を、肌で得ることができるのです。

 また、大型書店の棚の割き方(スペースの広さ)は、その時代の社会的な需要や出版界のトレンドがリアルに反映された「物理的なバロメーター」でもあります。そこを歩く行為は、ネットのクリックするか、しないかという二者択一とは異なり、「ちょっと背表紙を目で追う」「足を止めてパラパラとめくる」という、連続的な関心のグラデーションを許容します。この目的のない贅沢な散歩は、ネットに飼い慣らされずに社会の一望性を獲得する、有効な知のインフラ利用法と言えるでしょう。

 

実社会でいろいろな人に会ってみる

 最後の処方箋は、私たちが生きる実社会の中に自ら飛び込み、情報の偏りを強制的にリセットする手法です。ネットは同じ意見の人を自動で集めますが、実社会「属性や意見はバラバラだが、同じ空間や課題を共有せざるを得ない人をマッチングしてくれます

 第一に、地域の「住民協議会」や「市民対話会議」への参加です。各自治体では、都市計画やインフラ整備、福祉政策などを議論する場が定期的に開催されています。

 実際の会議室に集まるのは、子育て世代、商店街の店主、リタイアした高齢者など、地に足の着いた生活者たちです。そこでは、ネットの言論空間のようなイデオロギーの対立ではなく、「この道路の渋滞をどうするか」「避難所の備蓄をどうするか」という、生活実感を伴うリアルな利害調整が行われています。その議論の場に身を置くことで、ネットの空虚な対立軸から脱却し、社会の本当の複雑さに触れることができます。

 第二に、異分野の「公開講座」や「シンポジウム」の聴講です。大学や研究機関が一般向けに開催している講座へ物理的に足を運びます。動画配信での視聴と異なり、リアルな会場では「他のお客さんがどの発言に深く頷いているか」「どんな人が質問に立っているか」という、空間全体の熱量や空気感を同時にインプットすることになります。ネットの解説記事では数行で片付けられている先端技術や社会問題の裏側に、どれほど膨大な研究の蓄積と現場の葛藤があるのかを立体的に知ることができます。

 第三に、スマートフォンなどの情報端末を完全に預けて数日間を過ごすキャンプや、オフライン環境で集まる読書会といった「デジタルデトックス」を取り入れた体験型イベントへの参加です。常に何かのニュースに対して怒りや共感を求められる疲弊感から脳を解放し、画面の向こう側の記号化された世界ではなく、目の前にある物理的な現実世界へ五感を開き直すことで、自分自身の本来の関心の軸を静かに取り戻すことができます。

 第四に、地域の防災訓練の手伝い、お祭りの運営、環境美化活動など、「共通の単純作業」を目的としたコミュニティへのボランティア参加です。ネット上で出会う人は前提知識や趣味が同じ人になりがちですが、地域の奉仕活動で隣り合う人は、年齢も職業も、読んでいる新聞やニュースアプリも全く異なる可能性が高いと言えます。休憩時間の他愛のない雑談の中から、「今、この世代の人はこういうことに悩んでいるのか」という、アルゴリズムが絶対にサンプリングできない「生の世論」を肌感覚で知ることができるのです。

 

結びにかえて

 これからの時代において、日本社会の個人に求められるのは、「メディアを信頼するか・しないか」という二択ではありません。あらゆる情報源は偏り得るという前提に立ち、複数の情報源を組み合わせて自力でより広い全体像へと補完する態度であると思います。

 ネットの便利な自動最適化に身を委ねるだけでなく、週に数回はあえてノイズ(興味のない情報や、思い通りにならない他者)を浴びに行くというセルフコントロール。それを行う場所は、ブラウザのシークレットモードであり、大型書店の静かな書棚であり、泥臭い現実が動いている実社会のコミュニティです。

 物理的な移動と五感の動員を伴う能動的な情報摂取こそが、フィルターバブルの壁を内側からぶち破り、日本社会との健全な繋がりを保つための最も確実な防衛策となるでしょう。