AirLand-Battleの日記

思い付きや素朴な疑問、常識の整理など、特段のテーマを決めずに書いております。

なぜ意味を教えてくれないのか? ~数学ⅡBって何?~

 学校の新しい学期が始まった時、その科目が一体どんな内容で、何を学ぶのか、漠然とした不安を感じたことはありませんか? 私たちの多くは、学校教育の中で意味の説明無しに「なんとなく」進むままに学習を進めてきたかもしれません。しかし、その「なんとなく」が、実は多くの学生にとって不必要な学習負担を生み出し、本来楽しいはずの学びを困難にしているのではないか——今回は、そんな教育現場の課題について考えていきたいと思います。

 

英語の「品詞」

 私には、忘れられない記憶があります。それは中学3年生の時の英語の授業の前に、私がふと「ここの副詞のAloneは動詞のgoを修飾していて~」とつぶやいた時のことです。すると、横にいた友人がぽつりと「あ、副詞って動詞を修飾するんだ。」と驚いたように言ったのです。 この言葉に、私は大きな衝撃を受けました。ごく当たり前だと思っていた「副詞」の機能が、同級生にとっては全く新しい発見だったのです。

 私たちは、小学校から英語を学び始め、中学校、高校へと進みます。しかし、「品詞とは何か」「品詞にはどんな種類があり、それぞれどんな役割を果たすのか」といった、英語学習の最も基本的な「地図」とも言える説明を、体系的に受けた記憶がほとんどないのではないでしょうか。「名詞」や「動詞」くらいならば、直感的に理解しやすいかもしれません。しかし、「副詞」や「前置詞」のように、その役割が複雑で、文脈によって機能が変わる品詞は、入門時期に適切な意味の説明が無ければ、多くの生徒にとって謎のままです。

 文部科学省の学習指導要領や検定教科書を見ると、品詞について全く触れていないわけではありません。しかし、その多くはコミュニケーション能力の育成を重視するあまり、文法知識を「それ自体を目的として教える」のではなく、「コミュニケーションを図る活動の中で必要に応じて扱う」というスタンスです。

 英語の品詞については、個人的には中学校の英語の先生が「英和辞書の最初の方に説明が書いてあるので読むと参考になる」といった主旨の説明があったようなあいまいな記憶があります。

 個別の文法項目を学ぶ際に、その文を構成する単語の品詞に軽く触れる程度で、学期の初めに「さあ、これが英語の品詞の全体像だよ!」と系統立てて説明される機会は、非常に少ないのが現状だと感じます。 これでは、生徒たちは文法用語を耳にしても、その言葉が指し示す概念や全体の中での位置づけを理解できず、結果として「なんとなく」英語を暗記する作業に陥ってしまいかねません。その「なんとなく」こそが、不必要な学習負担を生み出しているのではないでしょうか。

 

数学の科目名

 英語の品詞の話に加えて、もう一つ皆さんに考えていただきたいのが、高校数学の科目名です。

 数学I、数学A、数学II、数学B、数学III、数学C。 初めてこれらの科目名を目にした時、皆さんはどう感じたでしょうか? 私は正直に言って、「IとII、IIIは学年を示すのかな?」「AとB、Cは内容が全く分からない?」とだけ感じました。「名は体を表す」という言葉がありますが、高校数学の科目名からは、一体何を学ぶのか、さっぱりイメージできませんでした。

 かつては「基礎解析」「代数・幾何」「微分・積分」といった、内容が直接的に伝わる名称が使われていた時期もあったそうで。これらは、まさに学問分野を示しており、学習者にとっては何を学ぶのかが比較的に明確でした。しかし、現在の名称は、学習の進度を示す「I、II、III」と、特定の分野を示す「A、B、C」が混在し、その意図が非常に分かりにくくなっています。

  • 数学I: 二次関数、三角比、データの分析など、高校数学の基礎。
  • 数学A: 場合の数と確率、整数の性質、図形の性質など、離散数学的思考。
  • 数学II: 指数関数、対数関数、三角関数、図形と方程式、微分・積分の基礎。
  • 数学B: ベクトル、数列。
  • 数学III: 微分・積分の発展、極限、複素数平面など、理系向け。
  • 数学C: 統計的な推測、数学と社会生活、線形代数の基礎(新科目)。

 このように、それぞれの科目には明確な学習内容があるにもかかわらず、その名称からはそれが全く読み取れません。これは、教育者側の都合(内容の柔軟性など)が優先され、学習者側の不便さ(分かりにくさ、学習動機の低下)が後回しになっている典型的な例ではないでしょうか。

 一方で、高校の理科科目は「物理」「化学」「生物」「地学」と、非常に分かりやすい名称になっています。これは、それぞれの学問分野が独立して確立しており、名称自体が内容をある程度示しているためです。この点は、学習者にとって非常にメリットが大きいと感じます。

 しかし、中学校の理科は「第1分野」「第2分野」という、やはり内容不明な名称になっています。これは、特定の分野に特化せず、総合的な学習を通してバランスよく知識を習得させるという意図があるようですが、やはり「理科ー物理&化学」「理科ー生物&地学」のように、もう少し内容を連想させる名称の方が、生徒の興味を引きつけやすいのではないでしょうか。

 

全体像が見えないことの弊害

 ここまで見てきたように、英語の品詞、数学の科目名、理科の分野名など、学校教育の様々な場面で、「学期初めに基礎知識や全体像を把握するための説明が不足している」という問題が共通して見えてきます。

 この問題が引き起こす弊害は、決して小さくありません。

  1. 学習意欲の低下: 何を学ぶのか、それが何に役立つのかが不明瞭では、生徒は学習に積極的に取り組むモチベーションを保ちにくくなります。
  2. 不必要な学習負担: 基礎知識や全体像が欠けたまま学習を進めることは、地図を持たずに旅をするようなものです。遠回りしたり、迷子になったり、学習効率が著しく低下します。
  3. 深い理解の妨げ: 個々の知識が点としてしか認識されず、それが全体の中でどのような位置づけにあるのか、他の知識とどう繋がっているのかが見えなければ、表面的な理解に留まり、真の学びに繋がりません。
  4. 科目への苦手意識: 「意味がわからない」「難しい」と感じる原因が、実は基礎知識の欠如や全体像の把握不足にあるにもかかわらず、科目自体に苦手意識を持ってしまうことがあります。

 文部科学省の学習指導要領には、「学習の見通しを持たせる」「既習事項との関連付け」「全体像の提示」といった趣旨の記述は確かに存在します。しかし、具体的な方法論や、学期初めの包括的なガイダンスの徹底については、各学校や教師の裁量に委ねられているのが現状です。そのため、現場では限られた時間の中で内容を消化することに追われ、本来重要な導入部分が十分に確保されていないケースも少なくありません。

 

 ただし一部のプログラム言語や大学の専門分野などでは、入門当初に用語の定義を羅列して、それらを正確に覚えることを要求する事例もあります。これは教える側の信念があるのでしょうけれど、個人的な好みとしては親しみにくい印象です。

 

教わる側の身になって考える

 教育は、学習者を中心に考えるべきです。その観点から見れば、現在の科目名称や学習導入のあり方には、改善の余地が大いにあると言えるでしょう。

  • 「学習者にとっての分かりやすさ」の徹底: 科目名一つとっても、生徒が直感的に内容をイメージできるような名称に変更すること。例えば、中学校理科は「理科ー物理&化学」「理科ー生物&地学」のように、より具体性を持たせること。
  • 学期初めの「羅針盤」の提供: 各科目で、学期の初めに時間を十分に確保し、その科目の基礎知識、全体像、学習する意義、そして今後の学習との関連性を、丁寧に説明する機会を設けること。英語であれば品詞の全体像を、数学であれば各分野の繋がりを、まさに「羅針盤」として示すことです。
  • 「なぜ学ぶのか」の対話: 生徒が「なぜこの科目を学ぶのか」「なぜ今これを学ぶのか」という疑問を持った時、それを共有し、対話を通して学ぶ意義を一緒に見つけていく機会を増やすこと。

 これらは、教育の質を向上させ、生徒一人ひとりが自信を持って学びに臨めるようになるために、不可欠なステップだと考えます。私たちの未来を担う子どもたちが、不必要な壁にぶつかることなく、学びの喜びを存分に味わえるよう、私たち一人ひとりが教育に対して問題意識を持ち、声を上げていくことが大切です。