トランプの活用7選

 最近の暇つぶしの遊びとなると、持ち歩いているゲーム機やスマートフォンで楽しむ方が大半であると思いますが、古典的な遊びとしてトランプが一組あればいろいろな用途で活用できます。電池の残量の心配もありません。以下に7つの活用方法をまとめてみましたので以下ご覧ください。

 

 

  1. ゲーム   これが一番の基本的な使い道になります。ババ抜きや大富豪、7並べ、クロンダイク(ソリティア)などなど非常に多彩な遊び方が存在しています。ポーカーやブリッジなどは少しルールが難しくなるものの、定番の遊び方以外についてもルールを知っておくと、楽しみが更に広がることは間違いありません。また、一人遊びだけでなく二人以上で一緒に楽しめるので、コミュニケーションを深める一助になることも期待できます。
  2. 占い   そもそもトランプは現代でも占いで使用されているタロットカードから生まれたという説があり、そのためかトランプを使った占い方法が類書で紹介されています。占いが好きな方であれば、趣味や特技として手順を幾つか覚えておいても良いと思います。
  3. 手品   こちらは手順を覚える上に手先の器用さも求められますが、カードマジックを趣味や特技としてひとつでも身につけておくと、かなり楽しめるのではないかと思います。ご承知の通り、技量を磨いてゆけば際限が無く、神業や奇跡のような現象を披露することも目指せる技芸です。なお、日本で広く販売されているトランプにはプラスティック製が多いのですが、手品に使うのであれば米国メーカーの紙製のものを使うのが一般的ということですので、本格的に取り組もうという方は覚えておきましょう。
  4. 記憶力トレーニング   ゲームとして広く知られる神経衰弱をやると、記憶力のテストになると実感されると思います。しかし「メモリースポーツ」としてトランプを使う競技もあり、シャッフルされた1デックのトランプ52枚の順番を(AからKの数字だけでなく♠♡♢♣のスートも)正確に記憶するというスピード種目があり、ある年のその種目の世界記録は15.61秒だったということです。常人にちょっと考えられない脳力ですが、専門にテクニックを編み出して弛まぬトレーニングを重ねた結果なのでしょう。いきなり1デックを覚えるのは無理でも、7枚くらいを無作為に抜いて、数字の順番を覚えて復唱できるかを友人や家族と試してみてはいかがでしょう。
  5. くじ引き   例えばサイコロが欲しいのに手元に無い場合に、トランプのAから6を抜いた6枚をシャッフルした後、1枚抜くことにすれば、サイコロの代わりを果たせます。他にも例えば24人を4チームに組分けしたい場合、スート(♠♡♢♣)ごとに6枚だけ抜いた24枚をシャッフルし、一人ずつ抜かせれば容易に4組に分けることができます。あるいは1等賞は♡のAなどとすれば、簡単に抽選クジになります。
  6. 積み上げる   トランプ・タワー(元米国大統領の所有するビルのことではありませんよ。)とかトランプ・ピラミッドと呼ばれる、トランプを山形に積み上げる遊びです。滑りやすい面の上では非常に積みにくいですが、集中力と器用さ、丁寧さを試される遊びです。また、ピラミッド(山)ではなく円柱に積み上げる方法もあるようです。
  7. トレーニング   トランプを100デックぐらい集めたらウェイトとして筋力トレーニングに使えそうですが、そういう方法ではありません。「プロレスの神様」と呼ばれたカール・ゴッチ(1924~2007)が練習生に課したトランプを活用した筋力トレーニング方法があります。例えば、スートごとに♠なら腕立て伏せ、♡なら腹筋、♢はスクワット、♣は背筋のように種目を決めておき、シャッフルしたトランプを1枚ずつめくっては、出たスートの種目をカードの数字の回数だけこなし、すぐ次の1枚をめくるというのを続けるというものです。この主旨は、プロレスの試合では相手から自分の足を集中して責められるのでそれに耐え続けたり、自分の腕を使って相手を攻め続けたりと不規則な筋力負担が要求されるので、こうした工夫した練習を実行していたそうです。(更に詳しい情報は藤原喜明や前田日明の著作や証言を確認してみてください。実際のプロレスラーは上記の例にある種目と回数よりももっと高負荷に設定しています。)

 

 以上の他にも、白地の大きいAから4くらいまでのカードならばメモに使えるとか、見栄え良いAやKであれば本のしおりとして挟むといった使い方も考えられるようです。もっともこれらは活用というよりかは処分方法になってしまいますね。

 

 以前に防災用品としてトランプが挙げられているのを読んだことがあります。避難所生活が続くと精神的に滅入ることが多いため、手軽な気分転換の方法としてゲームなどが有効と考えられるとのことでした。集団避難生活のなかでゲームをして、あまり盛り上がってしまうと周りの迷惑になりそうですが、遊び方を選べば良いでしょう。トランプ1組であれば、防災袋の中にあっても容量のかさむものではないというのも利点です。

 

 さて、トランプを持っていない方にこれを御覧いただいて、一組買っておこうと思っていただければ幸いです。意外と用途があって便利なものだと思います。

 

労働者も神様です

 三波春夫(1923~2001)のセリフ「お客様は神様です」は今でも中年以上の年代の方であれば頭の片隅に強く残っている名文句でしょう。ニコヤカにこう言って歌う姿は、まさに古典的な日本の芸人、貫禄ある実力派歌手の風情でした。もっともこのセリフについて一部では、お金を支払う側が居丈高に振る舞ったり、難癖をつけたりする人のとっての言い分とされる懸念があり、お金を受け取る側は過剰に卑屈で不利な立場を強いられるという日本社会の因習を助長させたとの見方もあるようです。

 まず先に明確にしなければならない点として、インターネット上で「三波春夫オフィシャルサイト」を参照すると、「歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。」と語っており、芸を披露する場での自身の心構えから発露したセリフであることが分かります。生前の三波春夫の本意としては、上記のような因習とは全く関係は無いということです。

 自身の価値観や心構えはあくまで自らの考えで養い堅持するものと信じます。特に自己犠牲や奉仕といったことは決して他から強制されるべきものではないでしょう。

 

 それでも、おもてなしの心をもってお客様を尊重し、その満足を目指すことも捨てて良い価値観ではありません。消費者庁という役所が存在するくらいなので、お客様(消費者)を騙したり深刻な不利益を与えたりする悪徳企業が日本社会にまだまだ多く存在することは事実です。そして、他方で多くの企業が「お客様第一主義」を掛け声にして、大なり小なり日本の工業製品とサービスの内容と水準を高めていることも一方の事実と考えています。やはり「お客様は神様です」のセリフは良い意味でこれからも日本社会に定着していって欲しいところです。

 

 ここでもう一歩進めて考えたいのは、日本人はお客様(消費者)としてでのみ大切にされるのではなく、「労働者」としても、「子孫」としても、「選挙民」としても、「障碍者」としても、「年金生活者」としても、「子供」としても大切にされるべきなのです。特にお客様の反対の立場に位置することの多い労働者としては、長時間で高負担、低報酬といった条件と環境が長年にわたって問題視されているのですから、「労働者も神様です」という意識も定着させてほしいと思います。

流行りとしても避けたい言葉

 新しい外来語や商品、サービス、技術、印象的な発言などが広まってゆくときには、当然のことながらそれらは「新しい用語」として流行り言葉となりますが、それとは別に日常会話や文章の中で「表現」として流行り言葉が生まれ定着することもあります。前者については例示の必要は無いと思いますので、後者の例として特に気に掛かっているものを挙げるならば、「ヤバい」「エグい」「半端無い」といった言葉が挙げられます。

 

 流行り言葉に対しては、年齢を重ねてゆくにつれて保守的になって新しい単語を覚えることを疎ましく感じて嫌い、使うのを避けるべきと考えるようになったら、基本的に自身の老化減少として考慮しなければならないと思っています。しかし「ヤバい」「エグい」「半端無い」については、他に使うべき言葉(形容詞・副詞)が既に多く存在しているにも関わらず、何にでも安易にこの言葉を充てているように感じられてなりません。多様で適格な表現を選ぶ努力をせずに、何にでも使える単語だけを無自覚に使い回す人が増えてゆくことは、日本語が将来に向けて貧相になってゆくことになります。もちろんそれは同時に日本人の思考力も全体として低下してゆくことにもなります。

 

 他方で、衒学的に新しい専門用語を一般向けに使うような無遠慮な人も間違いなく存在するので、その正当な反論として誰にでも分かりやすい日本語を心がけるべきという意見も以前からあります。そもそも日本語というのは他の言語と比べても語彙量が膨大で、更には外国からの「新しい用語」のカタカナやアルファベットも増加し続けており、これに加えて古代から続く奥ゆかしい表現の伝統もあることで、現代における分かりやすさの追求は常に文字であり会話であれ必要であることは論を俟たないでしょう。

 

 ここであらためて留意したいのは、分かりやすい日本語というのは決して簡素化だけを意味しないということです。新しい用語を正しく理解するためには、的確な説明表現が必須であり、そのためには既存の用語を元に推敲された言葉で述べなければならないと考えます。また、日常会話の中でも工夫した比喩や考えながらの発言には、多くの人から「上手いことを言うなぁ」という敬意が多少の差はあれ得られるものです。

 

 もうひとつ別の面で留意しておきたいのは、「ヤバい」「エグい」「半端無い」といった言葉ばかり使う人というのは、それを注意深く聞いている人からすると「この人は語彙の少ない、不勉強な人間かもしれない。アホだな。」と思われているという事実です。怖くはありませんか?

 

学校で学習方法を学習させてはいかが

 義務教育で(例えば財産管理やプログラミングなど様々な)新たな教科を加えるべきという議論をときおり見聞きすることがありますが、もっと根本的なこととして、学習方法を学習させれば良いのではないかと以前から考えていました。教育進度に追いつけない生徒(いわゆる落ちこぼれ)を減らすという教育界での数十年来の重要課題に対する方策として、具体的な記憶術や集中法、速読術、重要語句の意味を理解するための豊富な比喩、同年代の生徒が躓きを解消した体験談などなどを副読本としてまとめて、教師が参考として随時紹介したり生徒自身で自習したりするようにすれば助かる生徒はある程度いると期待できないでしょうか?

 

 おそらく教育関係者はテクニックを教えるということに対して、浅薄で枝葉末節なこと見ていると想像しています。どこか特定の文房具や教材・機械の宣伝になることや、学習意欲の程度など他に根本原因がある、そもそもテクニックというのは大小非常に沢山あるため万人向けのものは無いなどといった点も考えているのかもしれません。また、教育現場では教師個々の裁量で語呂合わせや「テストで難しい問題で止まってしまったら、それを一旦保留にして先の問題を解き進めると良い」といったテクニックを教えることを禁止しているわけではないという実態も、ことさら学習方法について独立した教科として採り上げるような性質のものでは無いと見なされる理由になるかもしれません。

 

 学習方法の学習については、1件の学習項目毎に具体例を複数紹介することを原則として、学習塾を含めた教育現場の教師や教育心理学の専門家、現役の高校生や大学生などに依頼すればきっと面白いものもできることでしょう。この副読本は従来のような教科書検定からは除外して自由な内容とし、また当然のことながら、この学習方法に関するテストはしないということも重要と考えています。

 高校・大学受験や各種資格試験に関連する学習方法とテクニックについてはその重要度が十分に認知されており、多くの関連書籍が出版されていることを鑑みても、義務教育を受けている生徒にとっても有益になるとは思えないでしょうか?

 

 考慮したいのは「学校は知識やテクニックだけを教える場ではない」といった意見です。個人的にも非常に尊重したい意見です。しかし知識やテクニックの不足から躓いてしまうと、それ以外のことを学習したり経験したりする機会が失われやすいとも考えています。また、学校の勉強が楽しければ、その余裕で学生生活全体がより豊かになり易いはずです。

 

布団よりもベッドが選ばれる高齢化社会

 比較広告というものは足を引っ張っていると見なされて嫌われるのを避けているためか、あまり一般的でなく、商品評価の雑誌においても「順位付け」はあっても片方に軍配をあげるような断定をする人は少ないようです。しかし使用者や用途といった条件が限定されていれば、かなり選択を断定できることも事実です。

 例えば、寝具は布団とベッドのいずれが好ましいかと問われれば、少なくとも高齢者向けには明らかにベッドの方が適合すると言えそうです。以下に両者の長短比較をしてみましたので、その判断根拠を見ていただきたいとおもいます。

 

 布団とベッドとは面白いことにかなり対照的で、一方の長所が他方の短所になっている関係が見て取れます。

あ:布団の長所         ア:ベッドの短所

 日中は部屋を広く使える                  一定のスペースを占有してしまう

 お直しや交換が容易                      マットレスの交換は一苦労

 寝ている間に落ちる心配がない           寝相が悪いと布団や人が落ちる

 部屋の模様替えにも考慮不要                室内でも移動は非常に面倒

  畳の日本家屋に適合                              畳には沈み込むおそれが大きい

 比較的に安価で購入できる                   購入と設置作業にやや負担大

 

い:ベッドの長所         イ:布団の短所

    上げ下ろししなくてよい                   毎日の上げ下ろしは少し負担

    ホコリ等を避けられる                      ホコリ等を吸いやすい

     起きるときに体が楽                        寝起きには意外に労力が要る

     快適なマットレス製品が多い                 敷布団は経年で劣化し易い

     底冷えをかなり軽減                               底冷えは避けられない

     宮、引き出しなどは便利                        雑多なモノを枕元に転がすことに

 

 それぞれの長所、短所とも全般的には納得できるとして、これが健康や運動能力に少なからぬ不具合を抱えている高齢者の視点からすると、布団の長所は必ずしも魅力的ではなく、布団の短所は非常に重要な短所に映ることになるでしょう。さすがに典型的な日本家屋で畳の部屋ばかりの場合には、ベッドを選択するのに躊躇があることは間違いないとしても、ベッドの短所は必ずしも重要な問題とは感じられず、ベッドの長所は非常に重要な長所に映ることになるでしょう。

 最近の統計の多くではベッド利用者の割合は60~70%になっているそうですので、全体としてはもはや完全にベッドが多数派ですが、習慣的に布団から切り替える踏ん切りがつけられないまま、足腰を含めて身体に負担をかける毎日を送っている高齢者も多いのではないかと心配な気がします。健康寿命を延ばすためにも、高齢者は論理的に判断して布団からベッドへの乗り換えを前向きに検討するべきと考えますが、皆様、そして皆様のご両親はいかがでしょうか?

和食とイタリア料理の有名料理で見つけた共通点

 世界3大料理に入っているのは中国料理とフランス料理、トルコ料理であり、残念ながら和食は含まれていません。しかしインド料理、地中海料理、タイ料理、韓国料理、ドイツ料理、メキシコ料理など3大に入っていても良さそうな、世界中で親しまれている有名料理は他にも多く認知されていると思います。特にピザやパスタ、リゾットなどで人気のイタリア料理については、大好物としている日本人も多いことでしょう。

 ここで個人的に最近気づいた、和食とイタリア料理の有名料理で見つけた共通点2件を簡単に紹介したいと思いますのでお付き合いください。

 

江戸前寿司とピザ

 ともに炭水化物(米と小麦)の上にタンパク質と脂肪分(魚介類と肉、乳製品など)の食材を載せているという、「構造」が共通しているということの他に、もうひとつ共通点があるように考えています。それはどちらも元の料理方法を短縮した料理であるということです。

 寿司というものは元々、なれずし(熟れ鮨)という魚の保存食でしたが、これをもっと早く食べられるようにしたものが現在の江戸前寿司(にぎり寿司)といわれています。ちょうどこれと同様に、ピザというものは元々、中に具材を入れて焼いたパンでしたが、これをもっと早く食べられるようにしたものが現在のピザといわれています。(諸説あり。そもそも皿のように平たい形に焼くパンはエジプトをはじめとする地中海沿岸地域に古代からあったそうです。)

 文化が発展してゆくと時間や日時をかけてゆく方向に進みそうなものですが、短縮化という進化もあるということでしょうか。

 食いしん坊がやたら早く食べたがるのは、洋の東西を問わないのでしょうね。

 

田舎そばとデュラム・セモリナ・パスタ

 そばの麺は大きく分けて白っぽい更科そばと黒っぽい田舎そばとがありますが、更科そばはソバの実の中心部分のみを厳選して使っていることから白くなり、田舎そばはソバの実の黒い外皮も含めて使うことによって黒くなっているということです。ちょうどこれと同様にイタリア料理でも、パスタはデュラム種の小麦を敢えて粗挽きにした小麦粉を使っているため、一般の小麦粉よりも黄色味が強いものになっています。

 文化が発展してゆくと洗練・細分化された上品さを追求する方向に進みそうなものですが、野趣や食べごたえを追求することも食文化が広くなってゆく一因と思わせるところです。

 

 料理人の発想はどこの国や地域でも似通ってきそうなので、上記の共通点は他の国の料理でもみられる工夫なのかもしれません。引き続き気の向くままに類似点や共通点を探してみたいと思います。

 

靴底に耐久性を求めたい

 靴に関する宣伝文句やカタログで強調される点の多くはクッション性やグリップ性、ホールド性、通気性、重量そしてデザインに集中していて、靴底の耐久性を売り文句にしている製品はほとんど見たことがありません。これは一般的に靴というものが完全に消耗品として割り切られているからと推察されますが、とはいえ決して無視できるものでも無いと個人的には考えています。長持ちするというのもかなり重要な魅力と感じる消費者は決して少なくないはずです。

 もしも現在よりももっと靴底の耐久性に対する消費者からの要求が高まってそれが明確になれば、メーカー側も靴底の素材や形状に関する改善に注力するようになり耐久性が増すという技術的可能性は未だ十分にありそうに思えます。

(一部のビジネス用の靴で靴底が皮革になっている場合では、メーカーが有料で靴底の張替えに応じていることがありますが、これはあくまで限定された有料サービスであって、靴底の耐久性の向上に対する取り組みとはいえません。)

 

 ひょっとすると靴の買い替えサイクルを意図的に短く維持しておくために、メーカー各社が足並みを揃えてこの分野に手をつけていないのか、というのは流石に邪推でしょう。現状では他のメーカーに勝つことの方が営業の主軸のはずです。実際のところはおそらく軽量化とクッション性を優先していて、耐久性はそれほど消費者から求められていないと判断しているのでしょう。開発投資に見合う売上増加が見込めないのであれば、たしかにそうした選択になるのは十分理解できます。がしかし、それにしてもあまりに長く放置されたままに感じます。

 実は日本以外の国や地域で売られているが輸入されていない、または一部のスポーツ用に開発販売されているが高価なので汎用化されていないということもあるかもしれません。このあたりをビジネスチャンスと思う関係者はいないのでしょうか。

 

 個人でできる対策としては、1足を毎日履くことを避けるというのが広く知られたコツでしょうか。あとは微力ながら靴屋の店員さんに耐久性についてこだわりを訴えてゆけば、いずれ「挑戦社」が現れると信じることにしましょう。