最近、「『去年のニュース』の追跡・解説ニュースを読みたい」という投稿をしたのに続いて、またニュースに関するお話をいたします。
ジャーナリストの基本的な使命は権力に対する批判にあるというのが、現状理解として妥当なところと考えています。特に政権与党や行政省庁、大企業あたりを主な対象としていて、他には大きな天災や事故、犯罪などを採り上げて社会的な課題があればこれらに対しても真実の情報を提供することを通じて、権力の腐敗とより良い社会の実現を目指しているようです。(もっとも今日の日本のジャーナリストの現状については、いろいろと批判があるのも承知しています。野党や司法機関、外国の悪いニュースは報道しない傾向にあるようです。)
先年話題になった本「FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」(ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド 著 2019年)では、一般人の理解とは異なって、アフリカの飢餓や貧困はかなり改善されていることなどを実例として、客観的かつ網羅的なデータを解説しており、ジャーナリストが常に飢餓や貧困に焦点を当てて報道していることが、一般人に誤った思い込みを刷り込んでいるという主旨が述べられていたと記憶しています。
そもそも先ずは何らかの批判をするという構えから始まっているジャーナリストの性格から、どうしても批判の対象となるべき不正や不条理、悲劇、惨劇を取り扱うことになります。紙数や放送時間は一定で与えられているため、そうした情報を継続的に受けた一般人は全体的な現状を正確には把握できなくなるわけです。
詳細な事実の報道の他に、背景の解説や識者の提言なども提供されることがあり、これらは客観的な理解を促すためのジャーナリストによる努力の一端なのかもしれません。とはいえその対象はやはり批判されるべき暗い現実(不正や不条理、悲劇、惨劇)になっているので、方向性が不適格という印象です。
もちろん暗い現実以外の報道として、どこかの動物園でサイの赤ちゃんが誕生しただの、関西で梅が見頃になっただの、スポーツで珍しい記録が達成されただのといった情報が提供されることも確かにあります。が、社会全体からすると「こぼれ話」の域を出ませんし、報道される全体からするとささやかなものに留まっていると思います。
他方で近年、インターネット上で相対的に右派的記事を挙げる人々を「ネトウヨ」と呼んでいますが、「日本のアレが海外から大絶賛」とか「近代の日本人の名誉回復」などを主旨とした記事がネトウヨによって取り扱われるようになったのは、上記のような既存のジャーナリストによる批判一辺倒の姿勢の不足を補完するために自然発生的に生まれたものなのかもしれません。ひょっとするとジャーナリストが事実を拾い漏れているだけなのか、些少な事項なので一般報道に値しないと見なしているのかもしれません。
個人的に考える良いニュースとしては、例えば「犯罪発生の劇的低減に成功した国」とか「外交交渉で和平成立させた要人へのインタビュー」、「全校生徒の英会話能力を短期間で大幅改善した学習方法」、「住民運動で自治体の歳出削減に成功」、「他の国のノーベル賞受賞者の成果」、「白書の数字で見つかった好循環」などなど、たくさんあるはずです。
ただ、こうしたニュースは単純に真似ができるわけではないですし、最終的な評価が定まらないということから、暗い現実のニュースよりも取り扱いが少し難しい面がありそうです。それでも方向性としてこうしたニュースを探してゆくことに意味はあるのではないかと思っています。