近年では、気象衛星や分析用コンピューターの性能向上によって天気予報の信頼度は非常に高くなっていると感じます。しかし1990年代以前には「天気予報が外れて雨に遭った」という話を身の回りでときどき聞いた記憶があったので、当時は個人的に、「昨日の天気予報の答え合わせ」という番組を天気予報の直後に制作して、前日の予報の当たり外れの結果検証と外れた理由の説明をしたらどうだろうかと思っていました。外れた理由が不可避であると説明してもらえるのであれば、天気予報の体制そのものの信頼度は確保されるものと考えたからです。
これをもう少し拡大して考えてみると、一般(地上波テレビや全国紙)のニュースで大きく採り上げられた主だった政治・社会問題や事件について、そこで批判や指摘された疑義や危険性について、その当たり外れの結果検証と外れた理由を、例えば1年後に説明してもらえないかと思いますが、どうでしょうか?
実際にこうした「去年のニュース」の追跡記事は、新聞では時折り掲載されていることがありますが、対象が非常に限定されているという印象を受けています。あるいは1年ぐらいかけて裁判の判決が出た時期に、それがちょうど追跡記事のようになることもあります。いずれにせよ、疑義や危険が結果として非常に小さかったり無いに等しかったりした場合には、記事として掲載する意味が乏しくなると報道側が考えてあえて掲載しないものなのかもしれません。しかし、思い過ごしは思い過ごしとして確認する機会のある方が絶対に良いと考えます。また、1年前の小さな事件が未解決のままになったり広がったりして、誰も予想していない深刻な事態になっている事例があればそれを再確認できます。
先の天気予報の例について、たまたま予報が外れた個人的経験が強い印象となって、実態よりも天気予報は外れるものと見なす人は少なくなかったと思います。社会・政治のニュースについても同様で、行政や与党、大企業などを実態よりも無能あるいは邪悪なものと見なす人が多くなっていそうに思えないでしょうか?
「去年のニュース」に期待できる長所として、月日が経っているので冷静かつ客観的に問題・事件に向き合いやすいという点もあるでしょう。1年前に大きく盛り上がったニュースがあっても、後で改めて見直してみると、結局は空騒ぎの類であって、他に大きなニュースが無かった時期の徒花だったということも多いように感じます。また、事後に継続的に追加される記事やSNS上のコメントも含めて、見直すことでより広く深い理解を得ることができるでしょう。また、評論家やコメンテータの発言の中で誰が的確だったのか、という点も副産物として知る機会にできます。
他に期待できそうな長所としては、単純にまとめ直しがなされることで、ニュースを網羅的に分かり易いかたちで再認識できることも挙げられるでしょう。1年前は日々追加情報が入って心理的にも落ち着かず、振り回されているような状況とは違い、重要な要素とそれ以外が整理されて情報提供されれば、理解も広く深くなるでしょう。
それにしても、実際に「去年のニュース」を毎日提供する媒体があっても、多くの人にとっては売れないのかもしれませんね。困ったもんだ。