大きな声を出す訓練

 日常生活において声の小さい人は少し損をしているように見えます。元気が無いような印象になりますし、聞き漏らした相手に悪い感情を持たれることも多いでしょう。いくつかの職業によっては、例えば教師や役者、歌手、サッカー選手などではかなり不利になるのではないでしょうか。

 

 逆に普段から不必要に声の大きい人というのも、粗雑で威圧的という印象になるので、何事も程度問題です。ただ、声量の小さい人が大きな声を出すことよりも、元々声量の大きい人が声を抑えることの方が容易なはずですので、声の小さい人はこの観点からも不利になっているのではないでしょうか。

 

 注意しておきたいのは、先天的に音声障碍を抱えた方がいる点です。わたしが子供の頃、国語の授業などで教科書を音読する声が小さいと先生から強く注意されていた同級生がいましたが、その人は日常生活でも声が小さかったため、いま考えてみると音声障碍だったのではないかと思います。現在の日本の障碍者の認定ではかなり深刻な状態でない限りは、音声障碍は認定されないことになっていますので、日本社会での音声障碍の認知度は向上させる余地が大きいのではないかとも考えます。

 

 役者や歌手、アナウンサー、応援団員などの場合には、ある程度大きな声量を持つことが必須条件であるため、養成訓練の一貫として発声練習や専門的なヴォイス・トレーニングをするのが常識になっています。方法論はきっとバラバラなのでしょうけれど、肚から声を出せるように反復練習することで、先天的な障碍が無い限りは、声量は確実に改善できるようです。(ひょっとすると練習が重すぎて、声を痛める人もあるいはいるのかもしれません。)

 

 特別な職業に就いている人以外であっても、例えばスポーツ観戦で普段より大きな声を出し続けたり、臨時の講習のために長時間にわたって多人数にマイク無しで話をしたりした翌日に声が出なくなるのも、声を出す訓練をしておけば回避ないし軽減できるのかもしれません。

 

 義務教育過程で筋力や走力などを計測することで、日本人の身体能力を継続して向上させようとしているという考え方についてはほとんどすべての人は賛同していただけると思います。例えばここに声量も計測項目に加え、音楽か体育の授業で練習してコツなどを伝えることができれば、日本国民の基礎的能力の一つが向上し、職業選択の幅も広がることが期待できないでしょうか。

 

 それにしても、身に付けさせたい知識や能力があっても、義務教育で強制させるとかえってその勉強が嫌いになってしまうことがあるのには困ったものです。