駅名標から多様性への対応を考える

 鉄道の駅にある自駅名と前後の隣駅名を記した看板の正式呼称は、「駅名標」あるいは「駅名板」と云うのだそうです。電車に乗っていて現在地を確認したり、ときどき難読の駅名があるとローマ字表記で判読したりと基本的かつ必要な設備であることに異論は無いでしょう。

 さて、現在の首都圏の駅名標には日本語の自駅名に加えて、ローマ字とハングル、簡体字の中国語が記載されているのが普通です。(ちなみに以前に北海道の新千歳空港の駅を訪れた際に、ロシア語のキリル文字の記載があったので珍しいと感じました。) そしてそもそもの駅名標の「機能」は、自駅名と隣駅名を明示することにありますので、不正確な記載や読み難い記載は避けなければならないはずです。韓国や中国からの旅行者は歓迎したい気持ちでいますが、駅名標に記載しなければならないほど多いとは思えないのですが、皆様はどうお感じになっているでしょうか?

 

 もちろんハングルや中国記の記載があればより読み易く、少しは親切と感じていただけるかもしれません。しかし通常、海外旅行をしようという人間であれば、出国する空港でローマ字くらいは読んでいるか、読める人間と一緒にいることでしょう。韓国の人に至っては英語の能力を示すTOEIC試験成績では日本を大きく超える水準にあり、ローマ字を読むことに何ら不便はないでしょう。

 日本人観光客が多く訪れるハワイや韓国の一部では、街中に日本語表記の看板があって便利に感じることは確かにあります。しかしいくら日本人観光客が多くても韓国や中国のすべての駅で日本語表記が徹底していることはありません。まぁ、日本人は国民性として基本的により親切であり、韓国や中国がどうであれ返報性は期待していないということでしょうか。

 

 駅名標にハングルや中国語を記載しているということは、デザインとしてそれだけ単純から煩雑になっているということです。文字も日本語とローマ字だけの場合よりも、小さく読み難い大きさになっているはずです。または看板という設備自体についてより大きく高いものを選んで買っているのかもしれません。ちなみにJR東日本では2021年から保守管理の費用節減の主旨から、駅にある時計を300以上撤去したということですので、駅名標は撤去こそしないでしょうけれど、もしも老朽化して取替えるのであれば、より簡明なものをたくさん設置して欲しいと個人的に希望します。

 

 翻って少し広げて一考するに、昨今では「多様性」を認め、より豊かな社会を実現しようという社会課題がありますが、そのためにコストが想像以上に増えてしまったり大多数の人間の少なからぬ不便と忍耐を強いることになったりする事例は今後増加してゆくかもしれません。多様性実現に対する現実的な制約条件が存在することを、そしてそれを見越して具体的な条件を考える時期に来ているように思います。

 

サイズ違いを薦めるのは止めて

 服や靴などを買う際に、選んだ商品について適正サイズの在庫が無く、少し大きめや小さめのサイズを薦められたことはないでしょうか? 合わないサイズの服は余計なダブつきで不快になったり締め付けられて動きにくくなったり、そしてなにより期待した見栄えにならないので、タンスの肥やしになるだけです。また合わないサイズの靴はブカブカですぐに脱げてしまったりあるいは足と擦れて靴擦れになったりで、歩き難くなることは避けられません。

 

 売る側としては当然の対応なのかもしれませんが、これは大変悪い商習慣であると考えています。もちろん最終的に買うか否かを決めるのは買う側なので、「サイズが合わないので止めておきます。」と言って断ることはできます。とはいえ、現実にはしばしば口八丁手八丁の店員さんに丸め込まれてしまう人も(わたしを含めて)かなりいることは想像に難くありません。

 買ってみたが不満足という結果になれば、長期的には売った側の評価が下がることに繋がるわけで、やはり売る側はサイズ違いを薦めるのを内部規定などで止めておくようにした方が、誠実な商売というものではないでしょうか。信頼第一ですよ。

 もう一つ逆に考えてみると、サイズ違いを安易に薦めてくるような店というのは、そもそもあまり誠実な店(あるいは店員)ではないと見定められるので、そうした店では(あるいは店員からは)買わないという方針を持つというのも一法です。

 

 サイズでなく、色やデザインが希望どおりにならない場合については、その薦めに対して妥協しても機能的に不都合は無いので、買う側の不満は限定的になるでしょう。人によっては「こちらでもお似合いですよ」などといった店員を、後で恨む人もいるかもしれませんが、まずは機能性がすべての前提になっているものと考えますので、色やサイズの違いはいったん容認しても良いと思います。

 

 近年ではインターネット経由の通信販売が日常的になってはいます。しかし服や靴というものは、どうしても実物の大きさや外見の風合いなどを確認してから買おうという方がまだまだ多いはずです。そうした現物を取り扱っている店には、是非より誠実な商売を心掛けていただきたいと思う次第です。

 

呼ばれても無反応の人々

日常生活の一コマとして、銀行窓口やフードコート、病院などで順番を待っていると番号で呼ばれる仕組みにしているところは非常に多く見られると思います。これについて非常に気になるのが、番号を呼ばれても直ぐに反応しない人が一定割合で見られることです。

窓口の担当者が何回か繰り返して読んだり、名前が分かっていれば名前で呼び直したり、窓口から出てきて番号を何度も呼ぶことになり、これは他の人にとってはその分だけまた待ち時間が延びることになり、窓口の担当者にとっては不必要な労働負担になっています。言われるまでもなく、呼ばれたら即座に反応するべき性質のことではないでしょうか?個人的には不思議かつ不快に感じる「惨状」です。

 

もちろん非常に低い割合で、聴覚に障碍のある人や長く待っていたのでたまたまトイレに行った人、本などにかなり集中していた人は直ぐに返事ができなかったという事例は稀に起こりうることで納得できますし特段問題とは思いません。それでも無反応の割合はそうした人々の割合をかなり超えていると感じています。

 

なぜ無反応でいられるのかについて理由を推測して思いついた幾つかの例としては、(A)呼ばれて即座に大きな声で「ハイッ!」と返答するのは流石に恥ずかしいと考える人が多い、あるいは(B)特に病院などでは体調不良や加齢によって即応できない人も多い、さらには(C)自分が何番なのかを忘れていたという間抜けな人もはやり存在する、といったことが有り得そうです。

一応(A)については少し気持ちが分かるとはいえ、窓口の担当者は待っている人の一群に視線を送っているものなので、視線を合わせること(アイ・コンタクト)もできるし、少しだけ掌を挙げる、立っていれば窓口に視線を送りつつ歩き出す、座っていても同様で窓口に視線を送りながら立ち上がるという反応は直ぐにできて何ら恥ずかしくない動作であると思います。なぜこうしたことすらできないのか、理解できません。

続く(B)については、即応できないという点は納得できますが、それでも上記(A)に対する提案と同じで、何度も繰り返して番号を呼ばれるような事態にはならないのではないでしょうか。

最後の(C)はうっかりミスの一例とはいえ、納得できる範疇ではありません。「残りあと何人くらいかな」といったことを考えていれば、十分回避できるミスだと思います。

 

それにしても、こうしたことも都会の人間の冷たさのように感じられて仕方ありません。

 

「去年のニュース」の追跡・解説ニュースを読みたい

 近年では、気象衛星や分析用コンピューターの性能向上によって天気予報の信頼度は非常に高くなっていると感じます。しかし1990年代以前には「天気予報が外れて雨に遭った」という話を身の回りでときどき聞いた記憶があったので、当時は個人的に、「昨日の天気予報の答え合わせ」という番組を天気予報の直後に制作して、前日の予報の当たり外れの結果検証と外れた理由の説明をしたらどうだろうかと思っていました。外れた理由が不可避であると説明してもらえるのであれば、天気予報の体制そのものの信頼度は確保されるものと考えたからです。

 

 これをもう少し拡大して考えてみると、一般(地上波テレビや全国紙)のニュースで大きく採り上げられた主だった政治・社会問題や事件について、そこで批判や指摘された疑義や危険性について、その当たり外れの結果検証と外れた理由を、例えば1年後に説明してもらえないかと思いますが、どうでしょうか?

 実際にこうした「去年のニュース」の追跡記事は、新聞では時折り掲載されていることがありますが、対象が非常に限定されているという印象を受けています。あるいは1年ぐらいかけて裁判の判決が出た時期に、それがちょうど追跡記事のようになることもあります。いずれにせよ、疑義や危険が結果として非常に小さかったり無いに等しかったりした場合には、記事として掲載する意味が乏しくなると報道側が考えてあえて掲載しないものなのかもしれません。しかし、思い過ごしは思い過ごしとして確認する機会のある方が絶対に良いと考えます。また、1年前の小さな事件が未解決のままになったり広がったりして、誰も予想していない深刻な事態になっている事例があればそれを再確認できます。

 先の天気予報の例について、たまたま予報が外れた個人的経験が強い印象となって、実態よりも天気予報は外れるものと見なす人は少なくなかったと思います。社会・政治のニュースについても同様で、行政や与党、大企業などを実態よりも無能あるいは邪悪なものと見なす人が多くなっていそうに思えないでしょうか?

 

 「去年のニュース」に期待できる長所として、月日が経っているので冷静かつ客観的に問題・事件に向き合いやすいという点もあるでしょう。1年前に大きく盛り上がったニュースがあっても、後で改めて見直してみると、結局は空騒ぎの類であって、他に大きなニュースが無かった時期の徒花だったということも多いように感じます。また、事後に継続的に追加される記事やSNS上のコメントも含めて、見直すことでより広く深い理解を得ることができるでしょう。また、評論家やコメンテータの発言の中で誰が的確だったのか、という点も副産物として知る機会にできます。

 他に期待できそうな長所としては、単純にまとめ直しがなされることで、ニュースを網羅的に分かり易いかたちで再認識できることも挙げられるでしょう。1年前は日々追加情報が入って心理的にも落ち着かず、振り回されているような状況とは違い、重要な要素とそれ以外が整理されて情報提供されれば、理解も広く深くなるでしょう。

 

 それにしても、実際に「去年のニュース」を毎日提供する媒体があっても、多くの人にとっては売れないのかもしれませんね。困ったもんだ。

 

 

アメリカのプロ・スポーツチ―ムの名付け方に感心

 アメリカのプロ・スポーツ・チ―ム、具体的には野球(MLB)とアメフト(NFL)、バスケットボール(NBA)、アイスホッケー(NHL)のチーム名を眺めていると、同都市(フランチャイズ)内でオーナーは異なっているはずが何かしらの同じ意図を以ってそれぞれの名前がつけられていることが分かります。こうした名付けがなされる背景には、郷土愛かファンへのマーケティング、名前を決定することへ強くこだわる文化などがあるに違いありません。以下に目についた実例を挙げてゆきますので、どうぞご確認ください。

 

 シカゴは株式などの商品取引で有名であり、そのためかNFLはベアーズ(商品取引用語で下降基調ないし弱気)でNBAはブルズ(同じく上昇基調ないし強気)という対比で名付けられた形になっています。また、MLBはカブス(子熊)となっているのも、NFLとのつながりを連想させます。

 

 デトロイトではMLBはタイガース(虎)でNFLはライオンズ(獅子)と、猛獣の中からしばしば対比される2種を並べたような形になっています。

 同種の動物から選んだように見える事例として他には、アトランタをフランチャイズとするNFLチームはファルコンズ(隼)で、NBAチームはホークス(鷹)と共に鳥類から近類で名付けられています。ボルティモアでもNFLはレイブンズ(烏)でMLBはオリオールズ(ムクドリモドキ)と、こちらも鳥類から2種類が選ばれています。

 

 そもそもアメリカのプロ・スポーツチ―ム全体で見ても鳥類に由来するチーム名は相対的に多く見られるため、何か心理的ないし文化的に好まれる傾向がありそうです。そういえば日本のプロ野球12球団の中でも3チーム(スワローズ・ホークス・イーグルス)は鳥類から名付けられています。

 なお、鳥類以外の区分としては猛獣や人(出身・職業など)、自然、地場産業を由来としていることが多いように感じます。そうした区分でも同じフランチャイズ都市で同じ意図を感じさせる事例を探してみましょう。

 

 マイアミではNFLがドルフィンズ(イルカ)でMLBはマーリンズ(マカジキ)と、大型の海洋生物から選ばれています。アメリカ国内でも南国リゾートの印象を強い都市であるためか、それから連想されるモチーフに決めたものと想像されます。

 

 ヒューストンはNASA(アメリカ航空宇宙局)の宇宙センターがあることで有名で、かつ地場産業にもなっているのではないでしょうか。NBAはロケッツで、MLBはアストロズ(宇宙飛行士)と名付けられています。

 また首都であるワシントンを拠点都市としているチームとしては、MLBのナショナルズ(国民)とプロホッケーNHLのキャピタルズ(首都)があります。このあたりはもう少しひねった名前の方が良さそうな気がしませんか?

 

 ニューヨークに拠点を置くプロ・スポーツ・チ―ムが多いのですが、その中で意図を強く感じさせるものとしては、NBAのニックス(オランダ系の意)、MLBのヤンキース(アメリカ東北部)とメッツ(都会)と住民の出身に由来するチーム名が見られます。

 

 以上の例示は2023年7月現在のアメリカのプロ・スポーツチ―ムの現状から挙げたものです。アメリカのプロ・スポーツチ―ムは日本より数が多い上に頻繁にフランチャイズ都市を引っ越したり、チーム名を変えたりするため、近い将来に変わりうることもご了承願います。

 現在、ロサンジェルスに拠点を置くNBAのレイカーズ(湖)は、1947年に湖の多い土地で知られるミネソタ州で設立された当初のチーム名を1960年にロサンジェルスに移転した後も引き続き使っているチームです。したがってロサンジェルスの自然や歴史や関連人物とは何の関係も無いのが現状になっています。しかしそれを承知で名乗っているのですから、これはこれで伝統を大切にしているということで意義を知り、誇りにしているということになるのでしょう。

 

 それにしても日本のプロ・スポーツチ―ムの名付け方は、チームイメージの主張だけに終始していて、上記で列挙したような地元の共感などなどまで深慮遠謀したものにはなっていないように感じられます。日本において、本当にスポーツを高い水準の文化に昇華させるには、チーム名ひとつから細かく考えておく必要があると考えます。

 

トランプの活用7選

 最近の暇つぶしの遊びとなると、持ち歩いているゲーム機やスマートフォンで楽しむ方が大半であると思いますが、古典的な遊びとしてトランプが一組あればいろいろな用途で活用できます。電池の残量の心配もありません。以下に7つの活用方法をまとめてみましたので以下ご覧ください。

 

 

  1. ゲーム   これが一番の基本的な使い道になります。ババ抜きや大富豪、7並べ、クロンダイク(ソリティア)などなど非常に多彩な遊び方が存在しています。ポーカーやブリッジなどは少しルールが難しくなるものの、定番の遊び方以外についてもルールを知っておくと、楽しみが更に広がることは間違いありません。また、一人遊びだけでなく二人以上で一緒に楽しめるので、コミュニケーションを深める一助になることも期待できます。
  2. 占い   そもそもトランプは現代でも占いで使用されているタロットカードから生まれたという説があり、そのためかトランプを使った占い方法が類書で紹介されています。占いが好きな方であれば、趣味や特技として手順を幾つか覚えておいても良いと思います。
  3. 手品   こちらは手順を覚える上に手先の器用さも求められますが、カードマジックを趣味や特技としてひとつでも身につけておくと、かなり楽しめるのではないかと思います。ご承知の通り、技量を磨いてゆけば際限が無く、神業や奇跡のような現象を披露することも目指せる技芸です。なお、日本で広く販売されているトランプにはプラスティック製が多いのですが、手品に使うのであれば米国メーカーの紙製のものを使うのが一般的ということですので、本格的に取り組もうという方は覚えておきましょう。
  4. 記憶力トレーニング   ゲームとして広く知られる神経衰弱をやると、記憶力のテストになると実感されると思います。しかし「メモリースポーツ」としてトランプを使う競技もあり、シャッフルされた1デックのトランプ52枚の順番を(AからKの数字だけでなく♠♡♢♣のスートも)正確に記憶するというスピード種目があり、ある年のその種目の世界記録は15.61秒だったということです。常人にちょっと考えられない脳力ですが、専門にテクニックを編み出して弛まぬトレーニングを重ねた結果なのでしょう。いきなり1デックを覚えるのは無理でも、7枚くらいを無作為に抜いて、数字の順番を覚えて復唱できるかを友人や家族と試してみてはいかがでしょう。
  5. くじ引き   例えばサイコロが欲しいのに手元に無い場合に、トランプのAから6を抜いた6枚をシャッフルした後、1枚抜くことにすれば、サイコロの代わりを果たせます。他にも例えば24人を4チームに組分けしたい場合、スート(♠♡♢♣)ごとに6枚だけ抜いた24枚をシャッフルし、一人ずつ抜かせれば容易に4組に分けることができます。あるいは1等賞は♡のAなどとすれば、簡単に抽選クジになります。
  6. 積み上げる   トランプ・タワー(元米国大統領の所有するビルのことではありませんよ。)とかトランプ・ピラミッドと呼ばれる、トランプを山形に積み上げる遊びです。滑りやすい面の上では非常に積みにくいですが、集中力と器用さ、丁寧さを試される遊びです。また、ピラミッド(山)ではなく円柱に積み上げる方法もあるようです。
  7. トレーニング   トランプを100デックぐらい集めたらウェイトとして筋力トレーニングに使えそうですが、そういう方法ではありません。「プロレスの神様」と呼ばれたカール・ゴッチ(1924~2007)が練習生に課したトランプを活用した筋力トレーニング方法があります。例えば、スートごとに♠なら腕立て伏せ、♡なら腹筋、♢はスクワット、♣は背筋のように種目を決めておき、シャッフルしたトランプを1枚ずつめくっては、出たスートの種目をカードの数字の回数だけこなし、すぐ次の1枚をめくるというのを続けるというものです。この主旨は、プロレスの試合では相手から自分の足を集中して責められるのでそれに耐え続けたり、自分の腕を使って相手を攻め続けたりと不規則な筋力負担が要求されるので、こうした工夫した練習を実行していたそうです。(更に詳しい情報は藤原喜明や前田日明の著作や証言を確認してみてください。実際のプロレスラーは上記の例にある種目と回数よりももっと高負荷に設定しています。)

 

 以上の他にも、白地の大きいAから4くらいまでのカードならばメモに使えるとか、見栄え良いAやKであれば本のしおりとして挟むといった使い方も考えられるようです。もっともこれらは活用というよりかは処分方法になってしまいますね。

 

 以前に防災用品としてトランプが挙げられているのを読んだことがあります。避難所生活が続くと精神的に滅入ることが多いため、手軽な気分転換の方法としてゲームなどが有効と考えられるとのことでした。集団避難生活のなかでゲームをして、あまり盛り上がってしまうと周りの迷惑になりそうですが、遊び方を選べば良いでしょう。トランプ1組であれば、防災袋の中にあっても容量のかさむものではないというのも利点です。

 

 さて、トランプを持っていない方にこれを御覧いただいて、一組買っておこうと思っていただければ幸いです。意外と用途があって便利なものだと思います。

 

労働者も神様です

 三波春夫(1923~2001)のセリフ「お客様は神様です」は今でも中年以上の年代の方であれば頭の片隅に強く残っている名文句でしょう。ニコヤカにこう言って歌う姿は、まさに古典的な日本の芸人、貫禄ある実力派歌手の風情でした。もっともこのセリフについて一部では、お金を支払う側が居丈高に振る舞ったり、難癖をつけたりする人のとっての言い分とされる懸念があり、お金を受け取る側は過剰に卑屈で不利な立場を強いられるという日本社会の因習を助長させたとの見方もあるようです。

 まず先に明確にしなければならない点として、インターネット上で「三波春夫オフィシャルサイト」を参照すると、「歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。」と語っており、芸を披露する場での自身の心構えから発露したセリフであることが分かります。生前の三波春夫の本意としては、上記のような因習とは全く関係は無いということです。

 自身の価値観や心構えはあくまで自らの考えで養い堅持するものと信じます。特に自己犠牲や奉仕といったことは決して他から強制されるべきものではないでしょう。

 

 それでも、おもてなしの心をもってお客様を尊重し、その満足を目指すことも捨てて良い価値観ではありません。消費者庁という役所が存在するくらいなので、お客様(消費者)を騙したり深刻な不利益を与えたりする悪徳企業が日本社会にまだまだ多く存在することは事実です。そして、他方で多くの企業が「お客様第一主義」を掛け声にして、大なり小なり日本の工業製品とサービスの内容と水準を高めていることも一方の事実と考えています。やはり「お客様は神様です」のセリフは良い意味でこれからも日本社会に定着していって欲しいところです。

 

 ここでもう一歩進めて考えたいのは、日本人はお客様(消費者)としてでのみ大切にされるのではなく、「労働者」としても、「子孫」としても、「選挙民」としても、「障碍者」としても、「年金生活者」としても、「子供」としても大切にされるべきなのです。特にお客様の反対の立場に位置することの多い労働者としては、長時間で高負担、低報酬といった条件と環境が長年にわたって問題視されているのですから、「労働者も神様です」という意識も定着させてほしいと思います。