今回は、2012年から中学校で始まった「ダンスの必修化」という一見唐突に見える教育改革に注目することで、現代日本人が直面している心と体の危機、そして「自分という実感」を取り戻すためのヒントを探ってみたいと思います。
現代社会を生きる私たちが、どこか「生きづらさ」を一部の人は深刻に感じているというのはなぜでしょうか。実はその背景の一つに、日本人の「身体性(しんたいせい)の欠如」という問題が隠れていると指摘されているのです。
1. 「身体性」
まず「身体性」とは何か、という点から整理しましょう。これは単に「運動神経が良い」とか「体が丈夫だ」ということではありません。哲学や心理学の視点から「自分の身体を、自分そのものとして実感し、世界とリアルに関わる能力」を指します。
本来、人間にとって体は「自分自身」そのものです。お腹が空けば不快になり、柔らかいものに触れれば心地よい。こうした五感を通じた反応の積み重ねが、「私はここに生きている」という根源的な安心感(存在の肯定)を作ります。
しかし、現代社会はこの身体性を希薄にさせる装置に満ちています。スマホの画面を見つめている間、私たちの意識はネットの海を漂い、肉体はただの「座っている物塊」と化しています。これが「身体性の欠如」と呼ばれる、以前から教育関係者が抱えていた課題でした。
2. なぜ「体育」では不十分だったのか?
ここで「体を動かすなら、野球やサッカーでもいいじゃないか」という疑問が湧くのは当然でしょう。しかし、文部科学省がダンスを必修化した背景には、従来のスポーツでは補えない「身体の回復」という狙いがありました。
従来のスポーツの多くは、ルールに従い、勝利や記録という「外部の目的」のために身体を効率よく動かすことが求められます。ここでは身体は目的を達成するための「道具」になりがちです。
一方でダンス(特に教育現場で重視される創作ダンスや現代的なリズムのダンス)は、自分の内側から湧き上がるリズムや感情を形にするものです。そこには「正解」がありません。自分の不器用な動きや、独特のリズムをそのまま外に出すプロセスは、身体を道具としてではなく「表現の主体」として取り戻す作業なのです。
3. 社会問題の背景にある「肉体の不在」
日本社会が抱える深刻な問題——高い自殺率や「ひきこもり」現象——と身体性の関係についても触れなければなりません。
身体性が失われると、人間は「思考(言葉)」の世界に閉じ込められます。頭の中だけで「自分はダメだ」「消えてしまいたい」というネガティブなループが始まると、それを止めるブレーキが効かなくなります。 豊かな身体性を持っている状態なら、ふとした風の心地よさや、食べ物の味、心臓の鼓動といった「生身の感覚」が、理屈を超えて「生」へと繋ぎ止めてくれます。しかし、身体が概念化(客体化)されてしまうと、死という選択すらも「データのリセット」のような非現実的なものに感じられてしまうリスクがあるのです。
また、「ひきこもり」についても、他者のナマの身体が放つ膨大な情報量(視線、呼吸、空気感)に圧倒され、処理しきれなくなった結果、情報のコントロールが容易なデジタル空間へ退避しているという側面が指摘されています。
4. ダンス必修化から10年
では、この壮大な「身体性回復プロジェクト」であるダンス教育は成功しているのでしょうか。10年が経過した現在、その成果と課題が認識されています。
【認められる成果】 現場からは、生徒たちのコミュニケーションが活性化したという声が多く聞かれます。言葉による議論が苦手な子でも、身振り手振りでリズムを合わせる過程で、他者との「非言語的な共鳴」を体験できています。また、かつての世代に比べ、自分を表現することへの「恥じらい」が減り、自己肯定感が高まったというポジティブな変化も報告されています。
【直面している課題】 しかし、理想と現実のギャップも小さくありません。最大の課題は「指導者のスキル不足」です。多くの体育教師はダンスの専門教育を受けておらず、何をどう評価すべきか苦慮しています。 結果として、単にDVDの映像を模倣させるだけの「ステップの暗記作業」に陥ってしまう授業もあり、それでは本来の目的である「自由な自己表現」や「身体性の回復」からは遠ざかってしまいます。
5. 「身体性の欠如」への取り組みは続く
公教育でのダンス必修化は、いわば「現代社会の環境の中で透明になりかけた子供たちの肉体を取り戻そう」という、国を用意した処方箋でもありました。
学校教育の中だけで全てが解決するわけではありませんが、この試みは私たち大人にとっても示唆に富んでいます。私たちは日々の生活で、どれほど自分の体の声を聞いているでしょうか。
-
SNSの通知に反応する前に、自分の呼吸の深さに気づくこと。
-
効率を求めて歩くのではなく、地面を踏みしめる感覚を楽しむこと。
-
上手い下手に関わらず、好きな音楽に合わせて少しだけ体を揺らしてみること。
こうした些細な「身体的応答」こそが、情報の荒波の中で自分を見失わないための、最強のアンカー(錨)になります。
ダンス教育が目指したものは、単にカッコよく踊ることではありません。それは、「この不完全な肉体こそが、かけがえのない自分である」という実感を、すべての子どもたちに、そして私たち大人にも取り戻させることなのです。