AirLand-Battleの日記

思い付きや素朴な疑問、常識の整理など、特段のテーマを決めずに書いております。

なぜ「忍者」はアメリカで人気を得られたのか?

 いまや世界中で「サムライ」と並ぶ、あるいはそれ以上に有名な日本のイメージとなった「忍者」。映画やアニメ、ゲームの中で、覆面を被り、超人的な身体能力で闇を駆ける「忍者」は、既に相当の認知度を誇っています。

 しかしそもそも、日本人であっても「忍者」の歴史はどこまで正しく知っているでしょうか?実際のところ、現代の日本人が思い浮かべるスタイリッシュなヒーローとしての忍者のイメージは、戦国時代に作られたものではありません。それは大正時代の日本で娯楽文学の中で生まれ、さらには昭和から平成にかけてアメリカで現地の文化と奇跡的な定着を起こした姿なのです。

 今回は、歴史の闇に埋もれかけた日本の「忍び」が、いかにして世界共通言語である「NINJA」へと変貌を遂げたのか、その変貌の軌跡を見てゆきましょう。

 

第1章:日本人が忘れていた「忍者」

 現代の日本人に「忍者はどこで生まれ、どうやって広まったのか」と尋ねれば、多くの人が「戦国時代の伊賀や甲賀の歴史からそのまま伝わった」と答えるでしょう。しかし、これは半分正しく、半分は誤りです。

 実際には、江戸時代の一般の庶民が忍者の存在を深く知る機会はほとんどありませんでした。当時の彼らは「忍び」や「隠密」などと呼ばれ、幕府の裏で働く地味なスパイ、あるいは泥棒のようなイメージを持たれていたのです。時折、歌舞伎などに登場することはあっても、それは「巨大なガマの妖術を使う怪しげな大盗賊」といった、非現実的な悪役が定番でした。

 この地味で陰湿、あるいは怪しげだった忍者の印象を引っくり返し、現代に続く正義のヒーローとして日本中に広く知らしめたきっかけがあったのです。それが、明治時代以降、特に大正時代に爆発的なブームを巻き起こした「講談本(こうだんぼん)」という大衆向けの物語本でした。

 なかでも1910年代、大阪の出版社・博文館が発行した『立川文庫(たつかわぶんこ)』という書き下ろしの文庫本シリーズが、当時の子供たちの間で大人気となる社会現象となりました。この薄型の手頃な本の中で、真田幸村に仕えるプロフェッショナル集団「真田十勇士」の一員として、魅力的な忍者たちが次々と誕生したのです。

 たとえば、1913年(大正2年)に発売された第40巻『猿飛佐助』。ここで描かれた佐助は、それまでの陰険な悪党ではなく、明るく爽やかで、野生のサルのように木々を飛び移るお茶目な少年ヒーローでした。翌1914年には、クールでニヒルな二枚目忍者『霧隠才蔵』が登場し、佐助の良きライバルとなります。さらに、巨大な鉄棒を振り回す怪力の大柄な男、三好清海入道なども加わりました。

 この「素早い主人公」「クールなライバル」「大柄なパワー系」というキャラクターの組み合わせは、現代のアニメや特撮ヒーロー、少年漫画における「三人組(スリーマンセル)」の基本構造そのものです。

 さらに立川文庫の作家たちは、それまで単なる魔法や妖術の一種であった忍術を、当時最先端だった大正時代の科学的な視点、たとえば心理学的な催眠術や火薬の物理的・化学的な配合として説明を試みました。厳しい鍛錬と科学的な工夫を凝らせば、自分も真似できるかもしれない、というリアリティが当時の子供たちを熱狂させ、ここで初めて、日本人の間に格好いい忍者像が定着し、その後もずっと様々な漫画やアニメーション、映画などの主役や脇役として採用されて、現在に至っているのです。

 

第2章:アメリカ上陸

 アメリカをはじめとする西欧圏で「NINJA」という言葉が爆発的に広まったのは、1960年代後半から1980年代前半にかけてのことです。これには、アメリカのエンターテインメント界を襲った「3つの明確な波」がありました。

第1波:1967年、スクリーンデビュー

 西欧の一般大衆が、初めて「NINJA」という言葉と存在をハッキリと目にしたのは、映画『007は二度死ぬ』(1967年公開)でした。日本を舞台にしたこの作品で、ジェームズ・ボンドの味方として「日本の秘密工作部隊=忍者」が登場します。ただ、この時の描かれ方はまだ黒装束というよりも、機関銃を持った現代的な特殊部隊に近いものでした。

第2波:1980年、活字での大ヒット

 アメリカ人の頭脳に「NINJA」のイメージを強烈に植え付けたのが、作家エリック・ヴァン・ラストベーダーが1980年に発表した小説『The Ninja』です。この作品は、日本文化のエキゾチックな魅力とサスペンスを融合させ、文芸界の権威であるニューヨーク・タイムズのベストセラーリストに20週以上もランクインし続けるという大記録を打ち立てました。これにより、文字情報として「NINJA」の認知が全米に広がることとなりました。

 なおエリック・ヴァン・ラストベーダー氏は、アクション映画「ボーン」シリーズの原作者としても知られています。特殊訓練を受けた知能と戦闘力を持ちながらも、ある程度の現実味のあるヒーロー像が、「忍者」と「ボーン」に共通する性格になっているのを感じます。

第3波:1981年、全米ニンジャブームの爆発

 そして、世界的な熱狂を決定づけたのが、1981年に公開された映画『燃えよNINJA』です。この作品で敵役の忍者を演じた日本人アクション俳優、ショー・コスギ氏のキレのある凄まじい武術アクションがアメリカの若者たちを驚愕させました。

 この時期を境に、アメリカの子供たちの間では、それまで大定番だった西部のカウボーイの仮装が、覆面を被った忍者の仮装に取って代わられるほどの社会現象が起きたそうです。

 

第3章:なぜ「忍者」はアメリカ人に好まれるのか?

 一過性のブームであれば、数年で消費されて終わるはずです。しかし、忍者はアメリカの文化に深く根付き、現在でもビジネス界で、異様に仕事ができる凄腕のプログラマーや問題解決者をリスペクトを込めて「彼は忍者だ」と呼ぶほどに定着しています。なぜ、これほどまでに愛されるようになったのでしょうか。

 そこには、アメリカ人がもともと大切にしていた精神性や、すでに受け入れていた文化との偶然の合致があったと考えられます。

 第一に、武士道への憧れと、そこから派生したユニークさが挙げられるでしょう。 1980年にはテレビドラマ『将軍(SHŌGUN)』がアメリカで異例の高視聴率を記録し、アメリカ人は義・礼・名誉を重んじるサムライの精神に強い憧れを抱いていました。しかし、個人主義を重んじるアメリカ人にとって、主君に絶対服従し、面子のために切腹するサムライのシステムは、少々お堅く、共感しにくい部分もありました。 そこへ現れた忍者は、サムライ譲りのストイックな精神性や礼儀正しさを持ちながらも、形式に囚われず、個人の技術でしなやかに生き抜くダークヒーローでした。この自由度の高さが、アメリカ人の心に深く刺さったのです。

 次に、彼らのアイデンティティである開拓者精神やガンマンの面影も背景にありそうです。 アメリカ人は、西部のガンマンのように、荒野の孤独に耐え、己の手に馴染んだ道具と腕前だけを頼りに、独自の正義で生き抜くサバイバーを好む傾向があります。忍者が銃社会のアメリカにおいて、あえて刀や手裏剣といった道具を機能的なガジェットとして使いこなし、肉体のキレだけで絶望的な状況を切り抜ける姿は、ガンマンが銃の早撃ち技術を極める姿と完全に重なるものを見たのかもしれません。

 そして三番目は、アメリカ伝統のヒーロー像との親和性です。 アメリカには古くから『スーパーマン』や『バットマン』のように、「普段は正体を隠し、特殊な衣装を身にまとって夜の街で悪と戦う」というアメコミ文化がありました。忍者の黒装束と覆面は、まさに彼らにとって理想のヒーローのコスチュームだったのです。しかも、宇宙人のような超能力ではなく、バットマンのように、人間が厳しい修行の末に身につけた、 隠密性と体術の技で戦うというリアリズムが、彼らの好みに合致したようです。

 当時のハリウッド映画(『ランボー』など)は、筋肉隆々の大男が重機関銃をぶっ放す大雑把な力任せのアクションが全盛でした。そのマンネリズムに対して、音も立てずに忍び寄り、筋肉の量ではなくスピードと知恵で巨漢を圧倒する東洋の忍者が現れたのです。それは当時のアメリカ人にとって、新鮮で洗練された、究極にスタイリッシュな存在として映り、新たな形のヒーローとしての「居場所」を確保できたのです。

 

第4章:アメリカ独自の進化

 アメリカのエンターテインメントという巨大な市場に放り込まれた「忍者」は、そこから日本人の想像を超えた独自の進化を遂げることになります。日本の忍者が、日本史・いくさ・求道精神・陰といった道具立ての中にあったのに対し、アメリカの「NINJA」は、彼らの好きなジャンルと融合して、よりオープンで陽気な存在へと生まれ変わりました

 その象徴が、1984年に誕生した『ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ』です。 この作品は、カメが突然変異して忍者になるという奇想天外な物語ですが、アニメ化されると世界的な大ヒットを記録しました。ここで、忍者の本質が劇的に変わります。 日本の忍者は、感情を殺し、闇に生きるのが美学ですが、この4人のカメたちは、ピザが大好きで、スケボーに乗り、陽気なスラングを連発する10代の若者として描かれました。さらに、カメでも忍者になれるという設定によって、忍者は日本の血筋や歴史的な伝統という枠組みから完全に解放されたのです。修行さえ積めば、人種も、国籍も、果ては生き物の垣根さえ越えて、誰でもNINJAになれるというアメリカらしい自由な概念へと拡張されました。

 さらに、アメリカ人はニンジャを自分たちの得意分野である近代軍事技術やSF・近未来へと結びつけました。 本来の忍者は見つからずに情報を持ち帰ることが最優先ですが、アメリカの映画に登場するNINJAは、迷彩服を着て機関銃を構え、敵の基地を正面から爆破する特殊部隊のような戦い方を好みます。人気アニメ『G.I.ジョー』などでは、「全身黒づくめの正義のニンジャ」と「全身白づくめの悪のニンジャ」が戦うという、西部劇の善悪の記号をひっくり返したような分かりやすい演出も定番化しました。

 やがて時代が進むと、ニンジャはハイテクなパワードスーツを身にまとい、レーザーの刀を振り回す「サイボーグ忍者」としてSFの世界にまで登場するようになります。ただし、どれほど時代や世界観が変わっても、あえて銃ではなく、極限まで鍛え上げた個人の近接格闘スキル(刀や手裏剣)で戦うというスタイリッシュさだけは、脈々と受け継がれていきました。

 

世界的なヒーロー

 日本の大正時代に『立川文庫』という講談本の中で、子供たちをワクワクさせるために「キャラクター化」された忍者。そこで形成された確固たる「原型」があったからこそ、国境を越えるのに耐える強固なキャラクター性を発揮できたのです。

 そしてアメリカへと渡った「忍者」は、現地の人々の価値観や、ガンマンの精神、アメコミヒーローの文脈と偶然の適合を見せ、さらに独自の進化を遂げました。

 もし、忍者が「日本の伝統」という殻の中に閉じこもったままであったなら、世界中の人々からこれほど親しまれることはなかったかもしれません。アメリカ人が自分たちの文化に合わせてNINJAの枠組みを広げ、陽気に、ハイテクに、そしてスタイリッシュにアレンジし続けたからこそ、いまやNINJAは、中世の騎士(ナイト)や海賊(パイレーツ)と並ぶ、人類共通の「時代を超越した普遍的なヒーロー」として、世界のカルチャーに堂々と君臨しているのです。

 

 

 

【補足データ】 忍者が主人公となっているマンガ

 『忍者ハットリくん』 藤子不二雄Ⓐ  1964年

 『カムイ外伝』        白土三平 1965年

 『仮面の忍者 赤影』     横山光輝 1966年

 『ピュンピュン丸』     つのだじろう  1967年

 『伊賀野カバ丸』       亜月裕  1979年

 『さすがの猿飛』      細野不二彦 1980年

 『NARUTO -ナルト-』  岸本斉史 1999年