質問するのは無料(タダ)ではない

 「質問するのは無料(タダ)」――よく耳にするこの言葉。一見当たり前のようですが、果たして本当にそうでしょうか?

 私たち日本社会においては、積極的に質問をするという文化が根付いていないように感じます。授業や会議の最後に「質問はありますか?」と問いかけられても、手を挙げる人はごくわずか。これはなぜでしょうか?「質問するのは無料(タダ)」と言われているにもかかわらずにです。

 

 日本的な上下関係や、異論を唱えることを良しとしない、質問を挟むことが好ましくないものという漠然とした風土が影響しているのかもしれません。

 質問が挙がり難い原因について様々な背景をもう少し推察してみましょう。例えば、質問に対して否定的な反応が返ってくるのではないかと恐れる(いわゆる「心理的安全性」の欠如)。または質問のレベルが低く見られる、もしくは、質問自体が的外れであれば、「質問をすることは、自分の無知を晒すことだ」、周りの知人からの評価が下がることを恐れる。もう少し低俗な理由としては質問をすると授業などの終了時間が延びる、「場の流れを乱してしまう」、もしくは、質問をすることで他の人の時間を奪ってしまうことを恐れる。あとは、日本社会では、質問をするよりも、与えられた情報を受け入れることを重視する傾向があるといった要因が思い浮かびます。

 

 

 「質問するのは無料」だと言っても、そもそも質問の質は様々です。議論の主題から大きく外れた質問や、相手を攻撃したり、感情を煽るような質問既に回答が明らかな質問質問をする前に十分な情報収集をしていないため、的を射た質問ができない。このような質の低い質問は、たしかに議論を円滑に進めるどころか、かえって混乱を招く可能性があります。

 そう、質問するのが無料なら、質問者が未熟者であるか否かを回答者が判断するのも無料でできるということです。

 

 しかし、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という言葉があるように、質問をすることは決して恥ずかしいことではありません。むしろ、知的好奇心を刺激し、理解を深めるための第一歩と言えるでしょう。

 そもそも質の高い質問は、議論を深め、新たな発見をもたらすきっかけとなります。質問をすることで、自分がどこまで理解しているのか、どこが理解できていないのかを明確にすることができます。また、他の人の意見を聞くことで、自分とは異なる視点を得ることができます。ほかにも質問をすることで、問題点を見つけ出し、解決策を見つけることができるでしょう。

 特に近年注目されているチャットAIの分野では、質問の仕方(プロンプト)が非常に重要です。AIに的確な指示を与えるためには、具体的な質問や指示をする必要があります。

 

 積極的に質問をするためには、質問者として注意すべき要点を心得たいものです。まずは、何を知りたいのか、何を明らかにしたいのかを明確にすること。次に、質問をする前に、関連する情報を収集し、自分の考えを整理しておくこと。そして人間として相手の意見を尊重し、丁寧な言葉遣いを心がけ、相手の意見を聞き入れる姿勢を持つことを忘れてはいけないでしょう。

 

 「質問するのは無料」という言葉の裏には、質問の質の重要性が隠されています。的外れな質問や、挑発的な質問をすることは、議論を円滑に進める上で大きな障害となります。一方で、質の高い質問は、議論を深め、新たな発見をもたらすきっかけとなります。これからの社会においては、AIの活用がますます進み、質の高い質問をする能力が求められるようになるでしょう。

私たちは、積極的に質問をし、学び続ける姿勢を持つことが大切です。

 

 

追補:2020年8月28日に安倍晋三首相の辞意表明の記者会見をテレビで見ていたが、記者からの質問20件のうち半分くらいは直近の政権批判が背景にあるものだと個人的には感じた。在任日数2822日の首相が退任するのだから、政権への賛否は別として、この記者会見はある意味で歴史的な場面であったはずだが、質問の専門家であるはずの記者からの質問はこうした水準なのかと失望した記憶がある。