「笑う」ということは自身が喜んだり、楽しかったりした場合の感情表現である他に、相手を侮辱したり軽蔑したりした場合の感情表現にもなっています。
一方が他方を笑わせようとして何か可笑しなことをして笑わせるという状況ならば、両者が楽しいという結果になりますが、一方が真剣に何かをしたのに対して他方にはそれが滑稽に映ったのでつい笑ってしまうという状況では、他方は一方を侮辱したかのような結果となります。また、一方が他方を笑わせようとしたが何も面白くなかったという状況では、一方は他方に対して何か空回りのやり取りを仕掛けたような結果となります。
ここで考えものとなるのは侮辱してしまった結果です。真剣に何かをした一方が重く受け止めなければ、一緒に笑える場合も多くありそうですが、本当に真剣にやっていたことを笑われては怒り出すこともまた多くありそうです。そもそも滑稽なことを真剣にやっていたら、それを見て笑ってしまうというのも自然な反応であり、避け難い「事故」です。これについては何か可笑しく映ることに出食わした場面では考え無しに笑うのではなく、このようなことをしている理由は何だろうかと一寸でも考えるようにしておけば、少しは相手の立場に身を置けるので、侮辱するような反応は見せずに済むのではないかと思います。
もうひとつ考えたいのは、一方が真剣な場合と笑われ役を買っている場合とがある点です。一方が真剣な場合については、上記のように笑ってしまう側が無知ゆえに侮辱していることになるので、笑ってしまう側に明らかな非があります。(特に他人の失敗などを主として笑う人も多いですが、はたから見れば笑っている方こそ狭量で知性の無い尊大な人間に見えませんか?)逆に笑われ役を買う側は、そもそも相手を楽しませようという配慮を持っている人であって、自分以外の誰も侮辱したり傷つけたりしないという心配りができている人ということです。そういえば日本の落語家や西洋のピエロ(あるいはクラウン)といった職業では自身が笑われ役になっており、基本的にはお客さんを指して笑ったりはしないものです。漫才の二人組や三人組なども、笑う役と笑われ役で別れているようですが、これらは一体でお客さんに笑われる形になっていると言えます。
個人的な体験で恐縮ですが、小学校高学年の授業中に先生が余談で「中華料理には様々な食材が使われている」という話を出したので、わたしが「ツバメの巣のスープ」と言ったら、同級生から「そんなフンだらけのもの食べられるか!」と大笑いされたことがあり、その時にわたしは「あぁ。皆知らないのか。」と平然としていたことがありました。少数の意外な言動が実は正しいこともあるのだなと子供ながらに実感したものでした。
みなさんは笑われ役を買っていますか?
ひとつ例外があるので、文脈が散漫になるのを承知で短く追記させてください。「赤ん坊」は何の意図も無い頼りない動作で見る人を笑わせてくれる存在であり、かつ自身も大いに笑います。例外にしては世の中に非常に多く見られる笑いの形態なので、この文章の中では分類不能でした。みなさんで他の分類方法を考えてみてください。