報告を本当に重要と認識しているか

 以前に「ホウ・レン・ソウ」について書きましたが、「報告」については特に思うところがあるので再度ここで3点ほど考えてみます。

 

 まず1点目。実際のところ、報告無しでも状況や結果だけであれば見れば分かるという場合があります。何かひとつ立体的なもの(建物や大型機械など)を作っている途中や人や物が大体どのように並んでいるか、メーターで数値が表示されるようになっているなど、全国的な組織の上層部でもない限り現場の管理者ならば部下からの報告を待つまでもなく自分で状況や結果を把握できます。また、近年では「見える化」と称して、報告や共有すべき情報を容易に見える形にする取り組みが注目されていますが、これは報告という業務を省力できる点が魅力のひとつになっているでしょう。

 

 2点目は報告を得るために専任の担当者を置いている場合があります。例えば消防や機動隊などでは現場担当者は対処するのに必死であり、その最中ではとてもではありませんが報告は上げられないため、指揮官の補佐の位置づけで「伝令員」を配置しておき、指示を下達するとともに現場の情報を収集して迅速に共有を図るようにしているそうです。報告も仕事のひとつとはいうものの、本当に報告を重要と認識しながらも現場に負担をかけられないと考えたなら、報告のための担当要員を配置するというのも管理者は想定しておかなければならないでしょう。

 

 3点目は報告を定期的かつ形式的にするなど簡易化している場合があります。ときに上層部から突然「あの件は今どうなっているかね?」という下問があったので、現場担当者に作業を中断させて報告のために情報を集めてまとめるという飛び込みの報告業務が発生したという経験をしたり見聞きしたりといったことはないでしょうか?仕事中での突然の中断は業務効率の大敵ですので、回避できるものであれば回避したいものです。これについては報告を求める側が猶予をもって報告日を事前に設定しておく、その報告結果を元に何を判断したいといった作業目的や着目点を具体的に伝えておくことが基本です。とはいえ上層部の人間ともなると、「相手の立場に立て」とか「仕事の目的を理解しろ」と言いながら平然と相手の都合も理解度も関係なく指示してくることがあるのが現実です。

 

 報告はたしかに重要な業務のひとつですが、報告する側もされる側もその内容が経営に活きるものになるよう、そして惰性で続ける内向きの資料づくりに終わらないよう常に見直してゆきたいものです。